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殺人少女、異界に遊ぶ  作者: 広瀬 月草
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真の魔女

前話までのあらすじ:魔術を駆使したドフの攻撃を受け、ついに里奈は斃れた。どことも知れない真っ暗な空間で彼女はこれまでに殺してきた人々と望まぬ再開を果たす。人々はずっと待ち続けていたのだった。いつか里奈を、地獄へ引きずり落とすために。

 里奈の動きが止まった。

 ドフはぐったりとした少女の肉体を見下ろし息を吐いた。彼女の喉元には短刀の刃が斜めに突き刺さっている。血の気を失った手に触れると、筋肉のぴくぴくとした痙攣が伝わってくる。脈拍は失われていた。

(本当に死んだのか)

 間違いなく死んだはずだ。傷痕の大きさ、失血した量、脈拍。全ての情報が、目の前の肉塊から魂が失われたことを告げている。

 それでもこの場を離れられないのは、これまで無数の命を奪ってきたであろうこの少女が、その所業に反してあまりにも「死」のイメージから遠いところにいたせいだろう。

 里奈は殺しを重ね、もはや人とは呼べない領域にまで至っていた。死神を殺すことができないように、彼女を殺すこともまたできない。自分にできるのはただ一矢報いるだけだと、心の何処かで諦めてしまっていた。だからこそ、いざこうして里奈の骸を目の当たりにすると、喜びより先に非現実的な喪失感に近い感覚に侵される。

 自分は殺されることを望んでいたのかもしれない。復讐と称して里奈を殺そうとしながら、リーヴスやリリィ、ミューイのように惨たらしく殺されることが本当の望みだったのかもしれない。

(今となっては詮無いことだが……)

 右腕の傷をかばいながら踵を返した。

(脱出せねば。炎が森全体を覆うまで、もう時間がない)

「——死んで」

 はっとして振り返る。聞き違いではない。

 力を失った少女の口元が、ゆっくりと動いた。

「——二度も死んでしまって、かわいそうに」

 里奈の瞼が開かれる。その手がゆっくりと持ち上がり、喉元に突き刺さった短刀を掴んでもぎ取った。

 ゆらりと立ち上がった彼女に向けてドフは呟いた。

「化け物め」

 里奈が一歩踏み出した。首の傷口からは滝のように血を流し、腹に刺さった矢は内臓の震えに合わせるように小刻みに痙攣している。常人であればとうに命を落としているレベルの外傷。事実、彼女は確かに死んだはずだ。

 理解の及ばない脅威に対し、ドフは最後まで怖気付くことはなかった。素早く矢をつがえ、射る。

「…………」

 狩人の矢は放たれなかった。ドフの眼前に立った少女の手が、引き絞られた弓の弦をたおやかに抑えていた。

(目にも捉えられぬ……!)

「あのとき」

 里奈は穏やかな声色で囁いた。

「私を助けてくれてありがとう」

 その言葉を認識した瞬間、ドフは星を見た。

 首を真一文字に切り裂かれ、頭を後ろに倒される。第二の口のようにぱっくりと開いた傷から鮮血が吹き出し、少女の全身に降り注いだ。

(これで)

 意識の消失する刹那、ドフの心に確かな安らぎが去来し、

(儂も——)

 それを認識する前に、彼は逝った。



 里奈は血で霞む目元を手で拭った。ドフの鮮血はねっとりとした質感で、削りたての鉄のような匂いがした。半固形の血塊を人差し指にすくい、口に含む。飲み込むことなく口内で遊ばせていると、吐き気が込み上がってきた。

(つまり、私は生きてるってことだ)

 二度死んで余りあるほどの傷を負い、確かに里奈は地獄を見た。だが、今はこうして蘇り、息をしている。

(分の悪い賭けだったな)

 魔術師であっても肉体がダメージを受ければ死は避けられない。それはミューイを始め、この世界で命を奪った多くの魔術師たちが証明している。里奈も「本来は」死んでいるはずだった。

 そんな中で唯一の例外がラネッシュだ。

 ラネッシュは魔術を極めんとするため、自分の肉体を極限まで削ぎ落としていた。命の維持さえも魔術に頼ったその所業はまさしく狂気的だが、彼は確かに一つの秘奥に達していた。肉体に依らない生命の維持という神の御技に。

 真の魔術師にとって外傷は死の要因足り得ない。その事実に縋って、里奈は策を練った。

 死の寸前、損壊した肉体の内へ魂をとどめておくために自分の周囲を魔術で隔離したのだ。本来ならドフに吸収されるはずの魔力は行き場を失って里奈(の死体)に留まった。文字通り半死半生となったところで回復の魔術を操り、肉体を修復して「生」の割合を増やしてゆく。

 事は里奈の狙い通りに進んだ。ただひとつ計算外だったのは、里奈の死と同時にこれまで殺してきた生命の残滓が魂の内側で活性化し、暴れ始めたことだった。彼らは里奈を本物の地獄へと引きずり込もうとしていた。今日は撃退できたとしても——。

(彼らは私を待っている)

 どれほど長い時が経ったとしても彼らは待ち続けるだろう。里奈とて不老ではない。時が来れば、彼らとまた会うことになる。

(そのときは、この魂をくれてあげるよ)

 いずれ来る確かな敗北を思い、里奈は笑った。それは遠い未来の話だ。

 そして大事なのは現在のことだ。ドフはラネッシュを殺し、その魔力を奪い取った。そのドフを里奈が殺した。ということは。

「来た……!」

 里奈は目を閉じた。感じる。滝つぼに流れ落ちる大瀑布のように、魔力が自分に注がれるのを。それはラネッシュが膨大な犠牲の上に積み上げた力であり、ドフが狩りに明け暮れる生活の中で奪い取ってきた生命に由来する力でもある。里奈はそれを、身体を震わせながら受け止めた。

 トーラよりも、ラネッシュよりも強く、里奈はこの瞬間、この世界の頂点に立っていた。魔女の森を燃やす炎も、もう彼女の肌を焼くことはできない。今ならルイを相手にしても、顔も上げずに勝利できるだろう。

(そうだ……ルイ)

 里奈は思い出した。戻ると約束したのだった。

(彼は私に、罪の報いを受けるべきだと言った)

 抵抗は簡単だろう。もはや里奈を捕らえられる者などいない。

 だが、

(約束は守らなきゃ)

 今の里奈に抵抗するつもりはなかった。

 それよりも、知りたかったのだ。ルイの強さの秘訣は何か。その正義感はどこから来て、どれほど強固なものなのか。

 ルイという人間の魂の底まで見せてもらおう。失望すれば殺してしまおう。

「うふふふ……楽しみだね」

 それはまるで、御伽噺に登場する邪悪な魔女のような微笑みだった。その魅力で高潔な戦士を誑かし、邪道へと堕とす魔女。

(きっと楽しいことになる。それに、王城にはラネッシュの遺物がある。元の世界に戻るための手がかりもあるかもしれない)

 里奈は背後に巨大な翼を現出させた。王城のそびえる方角に目を向け、いざ飛び上がろうとした。

 その瞬間、周囲の景色が歪んで見えた。

(これって……)

 見間違いでは無い。森の木のまっすぐな幹が確かに曲がっている。炎が幾何学的な文様を描くように燃え上がり、落ちる木の葉も風に吹かれたかのようにその軌道を歪めていた。

 今や魔術師の頂点に君臨した里奈。知識はなくとも、その身に溢れる魔力で感じ取っていた。

(空間がたわんでいるの? それも私の周囲だけ)

 紙を折り目から引き裂くように、里奈の存在が切り取られる。肌に感じていた炎の温かみがふっと消え、焼け落ちる森の悲鳴が遠ざかっていく。

 ここでようやく、自分に起こっていることを悟った。

 これは「召喚」だ。かつてトーラが呼ばれたのと同じように、他の世界の誰かが私を呼んでいる。

「ま、待って」

 里奈は狼狽して叫んだ。

「まだ、この世界には——」

 抗う術はなかった。排水口に吸い込まれる泡のように、否応なく運ばれてゆく。ここではない異世界へ。


 数時間後、森の全てを焼き尽くした炎がようやく収まったとき、そこに里奈の姿はなかった。


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