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三十一話 長い白布の使い道

「この辺りか」


 侃螺は、すとん、と軽やかに着地する。


 そこは山中の、少し開けた場所。

 見る限り、自動車なんかを一時的に停めておくためのスペースであるようだった。


「鳥居……」


 侃螺の背から降りた荒井カコは、ぴたりと視線を一点に止める。


 濃く鮮やかな花を開いた寒緋桜の木と、その傍らに立つ古びた鳥居。

 カコはそれらをじっと見つめ、歩き出す。

 進むべきはこちらだと、確信していた。


 ざくざくと土を踏み、縄のかかった鳥居をくぐる。


 途端に、まるで部屋を移った時のように、パッと景色が変わった。


 鬱蒼とした木々はそのままで、しかし様子が違っていた。


 鳥居の手前からはほんの数本しか見えていなかった寒緋桜は、目が痛くなるほどそこかしこに並んでいる。

 荒れて見えた道は、つるりとした石畳となり、先へ先へと際限なく続いている。


 おまけに空は、絵の具を出鱈目に混ぜて塗ったように、不調和そのもののような色の具合をしていた。


「ふむ。跨いだな」


 侃螺は至って冷静に言う。

 訳知り風の口ぶりに、対してカコは首を傾げた。


「これは何ですか?」


「なんだ貴様。常日頃からあれほど蛮行に明け暮れておいて、知らぬのか」


 訳知り顔に真っ直ぐ拳が刺さる。

 思わず呻く侃螺に、カコは首を、先ほどとは反対側に傾げた。


「これは何ですか」


 わかりやすい「やり直し」の圧。

 心なしか語気も色を変えていた。


「……早い話、異空間だ。同じ位置に、異なる層で存在する。元より在ったり、何かしらの理由で発生したり……ほとんどの例は前者だが」


「今回も?」


「さあな。物は同じなのだから、事の一部始終を見でもしていない限り見分ける手立ては無いし、区別する必要も無いだろう」


 話を聞き、カコは小さな納得を得る。

 今までこの、侃螺の言う「異空間」に遭遇したことが無かったのは、自分があまり生活圏から出ないタチだったからだと。


 案外、荒井カコという人間は冒険心に乏しかった。

 まあ、彼女が各地を闊歩する存在でなかったことは、人間社会にとって喜ばしいことだっただろう。


 今となっては、退治すべき妖怪を探して動き回る状況となってしまっているわけだが。


「遠宮さん」


 カコは前方に向かって、声を投げかける。

 後方にあるはずだった鳥居は、既に消え失せていた。


 カコの呼びかけに対する返答が無ければ、何かが動く気配も無い。

 一帯はシンと静かで、時おり吹く風が木々の枝葉を揺らすだけだった。


「近くには居ないようだな」


 くいと首を動かし、侃螺は言う。

 それにはカコも同意見であり、2人は自然と、道を進み始めた。


 石畳の道はなだらかで、僅かな坂を作りながら、延々と続いている。

 辺りの景色もまるで変わらないまま、終わりの無い絵巻のごとく2人を取り囲んでいる。


 気が遠くなるような道筋。

 しかしカコたちはちっとも構わず、足を動かした。


 そうして、どのくらい経っただろうか。

 時間など有って無いような空間で、それでも長く歩き続けた末に、彼女らはどちらからともなく足を止めた。


「白い布……」


 カコは呟く。

 ずっと同じだった景色が、変わったのだ。


 劇的と言えるほどの変化ではない。

 だが決定的な違い――建ち並ぶ寒緋桜の枝に、白い布が掛かっていた。


 1本のみならず、視界の奥の方までずらりと、それでいてまばらに。

 鮮烈な色の花に紛れ、白く長い布がはためいていた。


 その有り様はまるで祭事のようで、ある種の目出度さすら醸し出していた。


 が、そんな見た目の話はカコには関係が無い。

 彼女はしずしずと近付いていく。


「待て、荒井カコ」


 侃螺が制止するも、当然、無意味。


 布の1枚のすぐ前まで行くと、カコは左の手でそれに優しく触れた。


 瞬間、布が生き物のようにうねり、彼女の左腕に絡みつく。

 蛇とも見紛う俊敏な動きだったが、布の端が肘にまで届きそうなところで、今度はカコの手がくるりと翻された。


 巻き付く布を、逆に巻き取るような形。

 カコは手際よく主導権を文字通り握り、布を枝から引きずり下ろす。

 かと思えば右手でも布を掴んで、雑巾よろしくコンパクトに纏めてギリリと絞った。


 布が擦れてか、あるいは別の何かか、「ギィ」と乾いた音が鳴る。


 するとその音に共鳴するように、他の、まだ無事に枝に掛かっている布たちが一斉に揺れ始めた。


「ぐっ」


 侃螺は思わず顔を腕で庇う。

 白い布がざわめき、空気をかき回す。


 軋む枝や、擦れる布や、起こる風の音が混ざり、ひどく耳障りな波を作り出していた。


「なるほど。全員、仲間ですね」


 カコはなおも布を絞りながら言う。


「あなたたちは、遠宮さんという女の子を見ましたか」


 荒れる布たちは言葉を返さない。

 返せないのかもしれないが。


 求める回答が得られないとわかるや、カコは布を絞る手を緩める。

 代わりに片手を懐に入れ、短刀を取り出した。


「貴様、何を」


 侃螺が言い終えるより早く、鋭い刃が布に突き立てられる。


 布はびくりと波打ち、静かになった。

 ただ風とは異なる拍子で小さく揺れ続けており、意識はまだそこにあるらしかった。


「遠宮さんの居場所を聞き出せるかと」


 やや遅れながら、カコは侃螺の問いに答える。

 そして短刀を刺したまま、提灯よろしく布を軽く掲げた。


 木の枝に並ぶ布たちはいっそう大きく揺れ、騒ぐ。

 戦慄いているという方が正確かもしれなかった。


「ふん、私は知っているぞ。そのような行為を、人間は『拷問』と呼ぶ」


「『事情聴取』です」


 カコは平然と言い、次に近い布の元へと歩み寄り始める。

 するとどうしたことか、数多の布がピタリと動きを止め、かと思えば皆一様に、ひとつの方角へとその端を向けた。


 意志とは、いとも簡単に暴力に屈するものである。


「そちらですか」


 布から短刀を引き抜き、カコは布たちの差した方を見る。

 それは道が伸びている方向と、全く一致していた。


 となると、遠宮は道の先に居るのだろう。

 カコと侃螺は、整列する布の間を通り、再び前進を開始した。


「快く教えてくださる方たちで助かりましたね。もしだんまりだったら、どうしようかと」


「どうするつもりだったのだ」


 荒井カコは答えず、目を開いて笑う。

 侃螺は蛇が出てこないうちに、藪から離れることにした。


 そんな具合で行くことしばらく、やがて布の道は終わり、2人はぽかんと開けた場所に出た。


 相変わらず寒緋桜に囲まれた、しかし先ほどまでとは打って変わって、型を抜いたように作為的な広場。

 その中央に、1人の少女が倒れていた。


「居ましたね」


 カコは若干、足を速めて彼女の傍に寄る。


 背の高い、こげ茶色の髪の女子生徒。

 人相もカコの頭にしかと記憶されているそれと同じ。

 目の前の人間は、間違いなく遠宮そのひとだった。


「存外、楽に見つけられたな。ではそやつを連れて疾く戻るぞ、荒井カコ」


「はい」


 カコは膝を付き、遠宮を抱える。

 これで稲川と合流すればめでたく解決、楽しい自由時間の再開だ。


 が、回れ右をしようとする彼女らを、にわかに大きな影が覆った。


「おや」


 カコは空を見上げる。

 そこには視界を埋め尽くすほどの、幅広く長い――もっと言えば、先ほど居たいくつもの布たちを全て纏めて縫い合わせたような、巨大な白布が漂っていた。


「なるほど。あれらでひとつだったか」


「そのようですね」


 黒い瞳が白布を捉える。

 カコは遠宮を侃螺に渡し、ゆっくりと、短刀を掲げた。

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