三十話 跡地を這う大蛇
「えっ……あれ? ちょと、遠宮ー……?」
稲川は震えを帯びた声で、呼びかける。
しかしその声には穏やかな波の音が被さるばかりで、当の本人からの返答は無かった。
居ない。
どういうわけか、遠宮は風の吹く間に、居なくなってしまっていた。
「拐かされたな」
侃螺が至極冷静に言う。
何に、とまでは口にする必要が無かった。
あちらこちらへ忙しなく視線を彷徨わせる稲川をよそに、荒井カコは1度だけ、ぐるりと辺りを見回した。
「見失いました」
稲川はカコの方を見る。
が、彼女が今しがた声を向けたのは、稲川ではなく、侃螺だった。
「見えたのか」
「少し。白くて長い、ものが」
ふむ、と侃螺は空を見上げる。
どのような妖怪の仕業か、見当が付いたらしかった。
「まず稲川さんを移動させます」
「では街の方が良いであろう。幾百年前と変わりなければ、奴らは人だかりを好まぬはずだ」
「わかりました」
カコは頷き、稲川の方へと向き直るや、彼女の手を掴んだ。
「行きましょう」
どこへとも言わず、カコは歩き出す。
だがその歩みは、手を掴まれた稲川がグッと踏ん張ったことで妨げられた。
「あ、あの!」
カコは振り向く。
黒い目と視線がかち合った稲川は息を呑み、しかしそれでも続けた。
「荒井さん、その……もしかして、だけど。ここに誰か……居る、の?」
「居ます」
半信半疑の問いに、平然とした答え。
隣からは、溜め息が漏れた。
「……これから、何、っていうか。どこ、行くの」
「駅の方へ。それから、私たちは遠宮さんを探します」
「私『たち』って……荒井さんと、私以外?」
「はい」
稲川は黙る。
突然居なくなった友人に、見えざる誰かが居ると言うクラスの問題児。
彼女の顔には、恐れが貼り付いていた。
「他に質問は」
カコの微笑みが、稲川の目を奪う。
色白の綺麗な肌に影が差し、瞳の黒は一層深く色付いていた。
「…………」
稲川は首を横に振る。
これを見届けたカコは今度こそ、彼女を連れて市街地へと足早に移動を始めた。
***
「貴様、あやつをどうしたいのだ」
無事に駅へと送り届けた稲川を半身で振り返り見て、侃螺は口を開いた。
「安全な場所に居てもらいたいだけですが」
カコは後ろなど全く見ず、ひたすら前へと足を動かす。
「侃螺さんこそ、なぜ隠れたままで?」
「ふん。姿を現したところで、何の納得が得られる。それと、私は別に隠れているわけではない。あやつに見る力が無いのだ」
「そうですか」
先ほどまで居た海岸には戻らず、山々の連なる方へと進路を向ける。
人ごみを避ける妖怪ならばその居処は自然、そういった場所であるはずだ。
緑の深い方へと歩を進めれば、人工物と自然物の比率が徐々に逆転していく。
ほどなくカコたちを取り囲むのは、まばらな民家と、いくらかの田んぼ、そして生い茂る草木の風景となった。
一帯の道は細く、あちらこちらに坂があり、人を探すには骨が折れそうな場所。
しかしだからこそ、目を光らせなくてはならない。
カコはスタスタと足早に歩きつつ、周囲に視線をやっていく。
すると不意に、小道の先に伸びる、古い階段が目に入った。
「…………」
カコは足を止める。
小道の脇には椿が鮮やかに咲いており、しかしその枝葉が影となっているせいで、階段の奥は真っ暗。
仮に人を隠すとしたら、うってつけの場所だ。
「行く価値はある」
黙って階段を見つめるカコの考えを汲み取り、侃螺が言う。
カコは頷き、小道の方へと歩き出した。
近付いてみれば、階段は石造りであった。
両脇には苔むした自然の土壁がそびえ、行くべき道を無骨に示している。
「ここに、門が在ったな」
石壁の足元を見た侃螺が呟く。
落とした視線の先には、ぽっかりとした窪み。
なるほど門の柱が立っていた跡らしい。
怪談を上り切り、カコは前を見る。
広がっていたのは、石灯籠や、石塔や、墓石が立ち並ぶ――境内らしき空間だった。
「遠宮さん」
カコは少し大きな声を発する。
だがその音は蔦や苔に吸い込まれていくばかりだった。
ここには居ないか、もしくは喋れる状態に無いか。
後者の可能性を考えたカコは、更に奥へ進まんと、足を踏み出した。
「ないか、探し物しちょっと?」
ざりり。
と、土と葉の擦れる音が響く。
弾かれるようにカコが振り向けば、1匹の大蛇が首をもたげて彼女らを見下ろしていた。
大蛇はチロチロと舌を出す。
その図体は見上げるほど大きく、そしてなぜか額には「千」と墨で書かれていた。
「こやつでは、ないな」
侃螺は息を吐く。
突然現れたこの大蛇は、確かにまた長い体をしていたが、鱗は土色だった。
遠宮を攫ったと思しき「白くて長い妖怪」とは異なる。
カコもそれを理解し、拳などは出さず、至極平和的に言葉を出した。
「遠宮さん、という女の子を見ませんでしたか。こげ茶色の髪で、それをおさげにしています」
「おっと。あたいを見てん、たまがらんか」
「驚かそうと?」
途端にカコは拳を握る。
と、大蛇は慌てて頭を下げてカコたちに近付けた。
「んにゃ、んにゃ、まさか」
カコの拳は既に半分出かけていたが、大蛇の素早い反応により、無事、元の位置に収められた。
「あたいはとあっ人間と約束してここを守っちょっ者じゃ。おはんたぁが困っていそうじゃっで、声をかけただけじゃ。そう、ほいで、遠宮だっけ?」
「はい」
「あたいは見ちょらんなあ。はぐれたと?」
「いいえ」
カコは首を横に振り、これまでの経緯を語った。
校外学習でこの地にやって来たこと、共に行動していた遠宮が突然いなくなったこと、その時に白く長いものが見えたこと。
あらかた説明し終えると、大蛇は「ううむ」と唸った。
「そんた、たぶんあんわろやなあ」
「誰ですか」
「ん、あそこじゃ」
大蛇が首を伸ばして示す方を見れば、木々の間から、つんと尖った山のてっぺんが覗いている。
それは先ほど海岸で話題に上がった、魂源岳だった。
「あん山には、昔からよう悪さをすっ奴がおっ」
「悪さ」
「人を攫うたり、絞め上げたり」
ぴり、とカコの目が険しさを帯びる。
「白くて長いんですか?」
「うん。白うて長か、布んごたっ奴やっど」
「では行きましょう」
カコは即座に魂源岳の方を向く。
迷いどころか、十分な思考すら挟んだか怪しいほどの早さだった。
「居場所は、頂上で良いのか」
四つ足の姿になりつつ侃螺が問えば、大蛇は頷いた。
「そうじゃ。大抵、そけおっ」
「ふむ」
侃螺は少し膝を折る。
と、カコは遠慮など皆無に、彼の背に乗った。
「おごいさあ、おはんな妖術師け?」
「違います」
「そうなんか。そんたあ……んにゃ、そん頼もしか物があればだいじょっか」
大蛇はずるりととぐろを巻く。
その金木犀色の目は、カコの懐に向けられていた。
「情報、ありがとうございました」
カコがそう言うや、侃螺は地面を蹴って宙へと駆け上がる。
大蛇は彼女らの後ろで、舌をちろりと出して見送りの意図を示していた。
「艇雲さんもそうでしたが」
やや強い風に髪をなびかせながら、カコは制服の内ポケットの辺りに触れる。
「皆さん、過去帳があるとわかるんですね」
「わかるに決まっている。斯様に妖力を溜め込むものは、そう他にあるまい。気にせぬ者は気にせぬが、少しでも慎重さがあれば『何かある』と察せよう」
「なるほど」
雑談もそこそこに、2人は前方を見やる。
文字通り山ほどの木々に覆われた、魂源岳。
もし本当に、大蛇の言及した妖怪が遠宮を攫ったのだとしたら、彼女の身が危ない。
カコは黒い、黒い目で山頂を捉える。
校外学習の自由行動は残り2時間。
一方で遠宮捜索における猶予は、そういくらも無かった。




