二十八話 生贄と事故
バスは予定通りの時刻に、華瑚嶌県に到着した。
現地の天気は良好で、やや風が強いくらい。
南の方に位置するだけあって、冬にも関わらずいくらか寒さは柔らかかった。
さて、まずカコたちが降り立ったのは文化資料館。
教員の引率のもと、生徒たちは敷地内の広場にずらりと整列する。
「えー、ではこれから資料館に入るが、本日は一般のお客さんも居るから、くれぐれも静かに行動するように。喋ってもいいが、必ず小声でな」
律儀に、あるいは気だるそうに、生徒たちは頷いて了解を示す。
「それと当然のことだが、展示物には決して! 傷を付けたりしないように!」
心なしか、教員および生徒たちの意識が荒井カコに向いたようであった。
当のカコはというと、わかっているのかいないのか、よくわからない微笑と共に教員の方を見ていた。
「ここからは事前に説明した通りだ。クラスごとに分かれて、職員の方からレクチャーをしていただく。一、二組は会議室で講義、三組は1階展示室の見学、四組は2階展示室の見学……」
手元のしおりに目をやりつつ、教員は以降の行程を説明する。
どうやら、人数が人数なだけに、組ごとのローテーションで講義や見学をするらしかった。
やがて教員が説明を終えると、それぞれの組は最初の場所へと案内される。
カコの属する四組は、先述の通り2階の展示室見学だ。
「はい、では皆さん、順路に従って自由に観覧してください。知りたいことがあったら、何でも私に聞いてくださいね」
四組の案内を担当する館の職員が、にこにこと柔和な笑みを浮かべて言う。
生徒たちはまばらに返事をし、めいめい展示室の見学をし始めた。
「ふむ、陶芸か」
侃螺はガラスケースに並んだ陶器を見、口を開く。
カコ以外には見聞きされていないのを良いことに、声の大きさは全く普段通りだ。
さながらマジックミラーの内側である。
「興味があるんですか」
「特段、無い。しかしこう見ると……」
首を伸ばし、侃螺は先の方まで見渡す。
ケース内の陶器あるいはそのレプリカは、古代から現代まで、作られた年代順に列を成しているようだった。
「……私が過去帳の中に居る間、世にどのような変化があったのか。目に見えて理解できるのは悪くない」
「そうですか」
カコは端的に返事をする。
瞳の黒は、よくよく見ると、ちょっぴりぬくい色をしていた。
「この茶碗などは趣味が良いな。白色の具合に品がある」
「これ、花を活ける器だそうですよ」
「…………」
侃螺は押し黙る。
相変わらず、都合が悪くなるとすぐこれである。
「説明書きを読むのもお勧めです」
「ふん。元よりそのつもりだ」
そう言って無理やり取り繕い、侃螺は解説のパネルを読み始めた。
***
2階の見学が終わると、一年四組の生徒たちは次に講義を聞くべく会議室へと移動する。
かなり広々とした部屋には、同時に五組の生徒らも入ることとなった。
「では、これから華瑚嶌県の文化について、簡単に講義をしたいと思います。よろしくお願いします」
館の職員が壇上に立ち、上から降ろされたスクリーンにはプレゼンテーションよろしく、デジタルで作成したスライドが投影される。
2クラス分の人間が入ったことで、席はほぼ満席。
ただしカコの周囲だけは、ほんのりと空いていた。
安全のためには一定の距離を保つ必要があるという点では、荒井カコは稼働中の草刈り機に似ている。
「ほう、あそこから色の付いた光を出し……そこへ当てているのか」
と、生徒たちのおかげで悠々とカコの隣に座ることができた侃螺は、天井のプロジェクターを見上げながら言う。
映写の仕組みがそれとなく理解できることに、誇らしさを感じているような声色だった。
「まずは皆さん、華瑚嶌県といえば何を思い浮かべますか? ――えー、そこのあなた!」
生徒に質問への回答をさせるため、職員が適当な者を選び、サッと手で示す。
「はい」
示されたのは、カコだった。
途端に部屋の空気が張り詰める。
職員は彼女のことを知らない。
だが生徒は、教員は、よくよく知っている。
彼女が気まぐれに、何度でも起動する爆発物であることを。
ただ実のところ、日頃のカコの行いは必ずしも気まぐれによるものではない。
特に暴力を伴うものは大抵、妖怪が原因だ。
それを当然に知る侃螺は、この会議室において本人と何も知らない職員以外で唯一、冷静さを保つ者だった。
「易い質問だ、疾く答えるが良い。まさかわからぬ訳は無かろう。当てはまるものなどいくらでも思い浮かぶ。そも、今しがた華瑚嶌に特徴的である物を山ほど見――」
侃螺の頭に、カコの拳が垂直にめり込む。
冷静さと無謀さは同時に存在し得るものである。
突然、宙に拳を振り下ろした彼女に、室内の人間たちは静かにざわめいた。
「えーっと、何が……思い浮かびますか?」
職員は苦笑いで再度尋ねる。
既にその表情には、カコを指名したことへの後悔が滲んでいた。
カコは隣で痛みに悶える侃螺を一瞥し、口を開いた。
「牛」
明瞭な2音。
そこに込められた仕返しの意図も、その相手も、人間たちは察せない。
「そ、うですね。華瑚嶌県のブランド牛の名前を、聞いたことあるよーって人も、居るんじゃないでしょうか?」
職員は、カコが一応それらしい答えを提供したことに明らかに安堵したように、ぎこちないながらも話を続行する。
生徒や教師もカコの奇行――実際は、暴力――を見て見ぬふりした。
そうして講義は概ね順当に進んでいったが、これ以降、カコが指名されることは勿論、職員がカコの方に視線を向けることも無かった。
さながら、目を合わせると呪われる妖怪への対応のように。
***
約2時間後。
文化資料館での行程をすべて終えた藍町高等学校の一行は、再びバスに乗り、市街地へと移動することとなった。
次なる予定は、生徒たちお待ちかねの自由行動。
班に分かれて3時間、昼食を含めて好きに街を散策できるのだ。
ただし制約はいくつかある。
指定された範囲の外へは出ないこと。
山に登ったり、浜辺に下りたりはしないこと。
そして何より、近隣住民に迷惑をかけないこと。
生徒たちはこれらを守りつつ、「自然と調和した街を見学する」という名目で、楽しい時間を過ごすのである。
移動のバスの中から既に、彼らは目に見えて期待を膨らませ、友人たちとの「学習」を心待ちにしていた。
――荒井カコと同じ班にされた、2名を除いて。
「集合はここ、國文駅前に15時。緊急時はしおりにもある通り、先生の携帯に連絡するように。それでは、解散!」
教員の号令と共に、生徒たちはバスの元からワッと散る。
思い思いの方向へ行く彼らのほとんどを見送ったのち、教員たちも持ち場へと向かい、バスもどこかへと去っていく。
かくして場に残ったのは、カコと侃螺、加えて生贄2人だけとなった。
「え、えっと……」
生贄その1は、やや長身の女子生徒だった。
こげ茶色のおさげを、不安でございますとばかりに小さく揺らしている。
「その……」
生贄その2は、やせ型の、これまた女子生徒だった。
長い前髪の隙間から、せわしなく目を動かして周囲の様子を窺っている。
「何ですか」
カコは2人を見る。
「班は最低3人」という規定に従い、最小限の犠牲として自分の元に送り込まれた級友たちを。
「と、とりあえず……飲み物! 買ってこよっかな!」
「う、うん!」
2人の哀れな女子生徒はそう言うや否や、少し離れた場所に佇む自販機の方へと駆けていった。
「侃螺さんも何か飲みますか」
「要らぬ」
「そうですか」
鞄から財布を取り出し、カコもまた自販機へと歩き出す。
侃螺の意見を無視したのか、単純に自分が飲料を求めているのか、微妙なところである。
「良いものはありましたか」
カコは先に自販機で買い物をする女子生徒たちの背後から、ぬるりと声をかける。
「うえっ!?」
片方の女子生徒、自分の財布から小銭を取り出そうとしていた方は、不意を突かれびくりと肩を揺らす。
と、その拍子に小銭が手からすべり落ち、地面へと落下した。
「あっ」
女子生徒は慌てて手を伸ばす。
しかし小銭は勢いがつき、そのままころころと転がっていく。
やがてそのまま……と思いきや。
「あら」
丁度そこを通りすがった女性の靴に当たり、小銭はぽたりと倒れた。
女子生徒が何か言う前に、その女性は膝を折る。
「どうぞ」
彼女は小銭を拾い、上品な微笑みと共に女子生徒に差し出す。
白くたおやかな髪が風になびき、細められた目は見る者の心の端をそっと奪うような色を湛えていた。
が。
その視線は、女子生徒の後ろに立つ、カコを捉える。
瞬間、まさしく目の色が変わった。
「荒井カコ……!」
先ほどの上品な「どうぞ」とは大違いの、地を這うような声。
これでもかと眉間に寄った皺、憎々しげに歪められた口元。
全身全霊で負の感情を示す、その白い髪の女性の名は、苑ノ崎結華といった。




