二十七話 足を遠くへ校外学習
間抜けなドーナツ泥棒もとい琳が荒井家の庭掃除係となったことで、カコたちの生活サイクルは概ね以下のように定まった。
料理当番は今まで通り、カコと侃螺で持ち回り。
平日の日中、カコは学校に行き、その間の留守番は侃螺が務める。
土日は使命の遂行のため、2人で過去帳に書かれた妖怪の情報集め。
屋内の掃除は侃螺が留守番の傍らに行い、庭の掃除は琳が週1でする。
藍町高等学校の3学期が始まって、およそ2週間。
このサイクルの調子はまずまずと言ったところで、カコも侃螺もすぐに馴染んでいった。
そんな頃、学校から帰ったカコが、1枚の紙を机に置いた。
「校、外、学習?」
「はい」
眉をひそめて紙――学校の職員が発行したプリントの題を読み上げる侃螺に、カコは頷く。
「日帰りで華瑚嶌県へ。せっかくなので、侃螺さんも来ますか?」
「は、何を――」
と言いかけて、侃螺は言葉を止める。
思い出されたのは、先日学校で目撃した荒井カコの蛮行の数々。
それと、最近覚えた、「16歳の人間は悪さをすると警察に捕まる」という情報。
侃螺は想像する。
もし、学校という閉鎖空間でのみ、カコの行いが大目に見られていたのだとしたら。
「校外」学習とやらでは、いつもの調子で諸々をやらかしたカコが、警察に連れて行かれるのではないか。
途端に、侃螺の眉間に皺が寄る。
だってそれは困るからだ。
カコには妖怪退治の使命がある。
牢屋になんか入れられては、それが滞ってしまうに違いない。
「ふむ。良いだろう、私も同行してやる」
すっかり監督者の気持ちが芽生えた侃螺は、腕を組んでカコの誘いに乗る。
なお実のところ、藍町高等学校には事なかれ主義を極めた精鋭の教員たちが居るので、校外だろうと学校主導の活動で警察が呼ばれる可能性はゼロに等しい。
侃螺にとっては喜ばしいことだが、一般市民の視点で言うならば、華瑚嶌の警察が優秀であることを祈るばかりである。
「決まりですね。留守番はまた升さんにお願いしましょう」
気持ちご機嫌にカコは言う。
ちなみに荒井家近辺の駐在員などは、彼らにとっての予測不能ランダム武力行使機であるところの荒井カコと、極力目を合わせたがらない。
つくづく、他所の警察は優秀であることを祈るばかりである。
「今週の金曜日、いつもより早い時間に学校に集合します。それからバスで移動です」
「校外『学習』とは、何を学ぶのだ」
「集団行動ですかね。全員で移動したり、班に分かれて現地で自由行動をしたりします」
「なるほど、貴様に必要な学習だ。手こずるであろうが、精々よく学ぶが良い」
侃螺は襟首を掴まれ、そのまま隣の部屋まで投擲された。
***
さて時は流れ校外学習当日。
かねての予定通り升に留守を任せ、カコと侃螺は家を出た。
極めて和やかに歩いて学校へと到着すれば、駐車場には既に大型のバスが着いており、生徒たちも続々と集まってきていた。
「これが移動手段か」
「はい」
現在、侃螺の姿は周囲の人間には見えていないが、カコはあまり気にせず返事をする。
生徒たちも各々の会話で忙しいためか、彼女の「独りごと」は耳にも入っていないようだった。
しばらくすると、教員が点呼を取り始め、生徒の集まり具合を確認し始める。
それは意外にもつつがなく済まされ、遅刻者の1人も無く、出発準備は次の段階へと進んだ。
バスへの乗車である。
「乗るバス間違えるなよー」
教員が誘導する中、生徒たちはぞろぞろとバスに乗り込んでいく。
1人、また1人と足を踏み入れるたび、車体はぐわんぐわんと愉快そうに揺れた。
「行きましょうか」
そしてカコたちもまた、彼らに続いてバスに乗る。
等間隔で乗車し続けていた生徒たちだが、彼女が乗るタイミングに当たっては、その前後にそっと空白を作った。
理由は言うまでもないだろう。
「随分と椅子が詰まっているな。席は定められているのか」
「はい。私はここです」
言って、カコは後方の席に座り、すぐ隣の席の座面をぽんと叩いた。
「どうぞ」
「ああ。……いや、ここにも他の人間が座るのではないか」
はたと気付いたように侃螺は言う。
確かに、生徒たちのために用意されたバスで、席が事前に決まっているとなれば、そういう考になるのは自然だろう。
しかしカコはにこりと笑って首を横に振った。
「空席です。座席はどこも2つずつで、このクラスは奇数人ですから」
「なるほど。必然、余るのだな」
なら遠慮なく、と言わんばかりに、侃螺はカコの隣に腰を下ろす。
「目的地まで、時間はどれほどを要する」
「1時間強ですね。到着は9時頃です」
「ふむ」
侃螺は袖に手を入れ、座席にもたれる。
生徒が増えるにつれ車内の賑やかさは増し、やがてそんな密度の高い空気を溜め切ったバスは、大きく震えて発進した。
「ねーお菓子たべよ! お菓子!」
「早くない? ま、いいけど!」
「オレ寝るわ。着いたら起こしてー」
「トランプか何か持ってきた人いる?」
生徒たちは近い席の者同士で、わいわいと言葉を交わす。
それとは対照的に、荒井カコの周辺だけは異様に静かだった。
「……当然のことだが、やかましいな」
「活気があって良いでしょう」
しばらくの後おもむろに口を開いた侃螺へ、カコは少々小声で言う。
他の生徒らは乗車前同様、自分たちの会話に夢中で、彼女が虚空に向かって喋ったことに気付かない。
「華瑚嶌、とはどのような場所だったか」
侃螺は続けて、言葉を発する。
どうも暇をしているらしかった。
「暖かいところです」
「ふむ」
「これから私たちが行くのは華瑚嶌の東の方で、『美しい海岸と山々の雄大な自然が広がっている』……だそうですよ」
カコの手元には、いつの間にか『校外学習のしおり』が開かれていた。
表紙はクラスの委員が描いたもので、四方八方を向いた山やら海やら魚やら鶏やらが贅沢に詰め込まれている。
「行くのは初めてですか」
「恐らく。覚えに無いのだからな」
言いながら、侃螺は座席に座り直す。
不思議な色の髪が揺れ、窓からの光を反射して煌めいた。
「元より、我ら一族にはそう遠出をする習慣は無い。古くからの住処で慎ましやかに、品のある生活をするのだ」
「そうですか」
「荒井カコ、そういう貴様は華瑚嶌を訪れたことがあるのか」
「無いです。ただ、両親は結婚前に数度、旅行をしたそうです」
ぴくり、と侃螺の片眉が上がる。
カコの両親、すなわち既に亡くなっている人間たち。
「死」という、妖怪には無縁のものを得た彼らについてどう反応するべきか、侃螺はしばし考え込むこととなった。
だがそうしている間に、カコの方から話は再開された。
「私はこの辺りの生まれですが。侃螺さんはどこに住んでいたんですか」
「…………」
侃螺は即答できなかった。
自分の居た土地を示す名を、思えば知らなかったからだ。
「深い森だ」
彼は脳裏に思い描く。
「木々は背筋の伸びた老人のようで、岩は衣を纏うように苔むしている。そして時おり、辺りに霧が立ち込めるのだ」
過去帳の番人として眠りにつく前。
かつての、古き良き記憶。
あの場所を、侃螺は心から好ましく思っていた。
今もなお、そうである。
「あの男……過去帳を作った人間は、いつも霧の中から現れた。そうすると奴は決まって、こう言う。『具合はどうだ』と。いつも妖怪の体調などを気にする、奇特な人間だった」
調子が付いてきたのか、侃螺はひとつひとつ、思い出したことを言葉にしていく。
カコは口を挟まなかった。
ただ目を閉じて、起きているのか寝ているのかわからない表情で、彼の話を聞き続けた。




