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二十六話 ドーナツ、スーパーのパンコーナーより

 夕方、放課を告げるチャイムが鳴る。

 荒井カコは鞄を持ち、ゆっくりと立ち上がった。


「では、帰りましょう」


 1日の授業から解放された生徒たちの賑やかな声に紛れて、彼女は言う。

 視線の先には、げんなりとした様子の侃螺が立っていた。


「貴様、よくもまあ、これだけ騒ぎを起こせるな。午後からだけで4度だぞ」


「あちらから突っかかってくるものですから」


「3つは確かにそうだったが、1つは……広場の隅に居たあの人間どもには、貴様が先に手を出しただろう」


「煙草が煙たかったので」


 2人は言葉を交わしながら、教室を出、階段を下りていく。


 ちなみにいま彼らが言及していたのは、5時間目の体育の授業中、隠れて煙草を吸っていた男子生徒たちについてのことである。

 過程は省くが、最終的に彼らは自分の額で煙草の火を消すこととなった。


「学校、侃螺さんは気に入りましたか」


「想像よりは悪くない」


 昇降口は、帰宅する生徒や部活動に向かう生徒で混雑していた。

 カコは彼らにぶつからぬよう避けながら――あるいは彼らから避けられながら――下駄箱から靴を出し、上履きと履き替える。


「悪くないなら、通ってみては? 私が居ないと日中、暇になるでしょう」


「馬鹿を言うな。私は妖怪だ」


「小学校からにしますか?」


「勉学の心配はしておらぬわ!」


 校門を通り過ぎ、2人はアスファルトで舗装された道を歩き出す。


 大通りから離れた細い路地は、車通りがほとんど無かった。

 ほどなく住宅地に入れば、生活音や夕食の香りがカコたちのところまで微かに漏れ伝わってくる。


 既に空は暗くなり始め、烏と蝙蝠が空気をかき回すようにバタバタと飛んでいた。


「ところで侃螺さん、季玖露さんたちはどうしましたか」


「留守番を命じておいた」


「そうですか。良い返事を貰えたんですね」


「…………」


「返事は」


 侃螺は貝のように口を閉ざす。

 カコは黒い目をかっ開き、侃螺を凝視した。



***



「ただいま帰りました」


「……帰った」


 いくらかの時間をかけて帰宅した2人を待っていたのは、当たり前のように鍵の開いた玄関だった。

 何なら扉の隙間もやや空いており、これで季玖露たちが留守番を拒んで帰っていた場合、「入場無料! 空き巣歓迎ハウス」とでも名付けられそうな状態である。


 が、幸いにも不届き者は現れなかったようで、家の中に入っても特段荒らされた様子は無かった。


 その代わりに、居間の方で複数人がやいのやいのと騒いでいる声が、カコたちの耳に届いた。


「おや」


 カコは難なく居間の戸を開ける。

 聞こえてくる声から、そこに誰が居るかがわかったからだ。


「あ、おかえり! 学校もう終わったん?」


「なあんだ、侃螺もガッコに行ってたのかあ」


 顔を見せたのは、カコの予想通り、季玖露と升だった。

 彼女らは口々に出迎えの言葉を発し、ニコニコと上機嫌に笑う。


 幸運にも、ちゃんと留守番の役を果たしていたようである。


 升の方は相変わらず酔っぱらっていたが、季玖露はとっくに酔いから醒めているようだった。

 とどのつまり、いつも通りの2人……だが1つだけ、常とは言えない部分があった。


「誰ですか」


 荒井カコはすっと指差す。

 その先には、季玖露の糸でぐるぐる巻きにされて吊られた、狸似の獣が居た。


「ああ、こいつな――」


「た、たすけてくださあい!!」


 説明しようと口を開く季玖露を遮り、獣は叫ぶ。

 発された声は非常に情けなく、また絶妙に耳障りな高音で、過剰なほどに哀れっぽかった。


「この酷い奴らがぼくを捕らえたんです! ぼく何も悪いことしてないのに! ねえたすけてくださいよお、ねえねえ、後生ですからあ!」


 獣はキャンキャンと喚き、うごうごともがく。


「やかましいな」


 と侃螺が眉をひそめれば、季玖露は「やろ?」と肩をすくめた。


「なんか、あれからもっぺん寝て起きたら窓の外におったんよ。で、見たら台所にあったアレ、カコちゃんがとっといとったお菓子咥えとったから、捕まえたったん」


「え、冤罪ですう! 証拠あるんですか!?」


「無いなあ、あんたがペロッと食べてもうたから」


「あ、あなたが食べたんじゃないですか?」


 言い合う2人を後目に、カコは台所のテーブルを見る。


 そこにはラップをかけたチョコドーナツ――昨晩の残りであり、今晩のデザートとなる予定であるもの――が置いてあったはずだが、現実には、雑に剝がされたラップと皿だけが放置されていた。


「どうする、荒井カコ」


「簡単です」


 言って、カコは鞄を足元に置き、季玖露たちの方へと近付く。

 そして吊るされた獣を、そっと自分の腕の中に下ろしてやった。


「わ、あ、ありがとうございます! うわあ、なんて優しいお嬢さんなんだろう!」


「えー、そっち信じるん?」


 嬉しそうな声を上げる獣と、不満げな季玖露。

 しかしカコはゆっくりと首を横に振った。


「まずこの方、次に季玖露さんです」


「え?」


 獣はきょとんとして、カコの顔を見上げる。

 それから、視線を少し落とす。


 カコの右手には、短刀が握られていた。

 先日、艇雲に貰ったアレである。


「えっ、えっ、何ですか? 何?」


 瞬時に不穏な気配を感じ取り、獣は焦り始める。

 一方のカコの振る舞いは平静そのものだ。


「お腹の中を改めます。そこに私のドーナツがあれば有罪とします」


 どうも死ぬほどキレているらしかった。


「ああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! 僕が食べました許してくださいごめんなさい!」


 獣は半狂乱になって暴れ、謝り倒す。


「出ますか? ドーナツ」


 謝罪の効果はいまいちだった。

 カコは鼻先同士がくっつきそうな距離まで、獣を掴んだまま近付ける。

 ほとんど捕食者―被捕食者の構図だ。


「で、出ません……殺さないでえ……」


「貴様は妖怪だから死なぬだろう」


 侃螺が横から余計なことを言う。

 まあ実際その通りで、流暢に喋る獣は妖怪であったので、死に怯える必要は無い。

 別のこと、例えば拷問とかリンチとか表現される仕打ちには、怯えなくてはならなかったが。


「み、見逃してくれたら何でもします! 僕は、ええと、風に乗って空を飛んだり……地面を歩いたり……が、できますよ!」


「間に合っています」


「ああ、あと、あとは……そう! お料理できます! お嬢さんは学生ですよね? 朝餉と、お弁当と、夕餉! 毎日、全部作ってあげます!」


「…………」


 獣の必死の提案に、カコは少し黙る。

 もしやこれは好感触か、と期待を抱く獣だったが、彼女は再び口を開いた。


「間に合っています。侃螺さんと交代で作るので」


「やだァーーっ!」


 またもや狙いが外れ、獣は悲鳴を上げる。

 若干惜しい雰囲気はあっただけに、より悲壮感があった。。


「ね、ね、お願いですよお、ほんとに何でもしますって! 物盗りでも人攫いでも!」


「では」


 カコは短刀を持ち上げる。


 ああいよいよか、と横で傍観する侃螺は息を吐いた。

 特に助けようという気は見られない。


 なお季玖露と升は既に飽きて、畳の上で寝ていた。


 鈍色の刃が夕日に照らされ、ギラリと光る。

 獣はぶんぶんゴマほどに震え、そもそもこの状況が自業自得であることを忘れていそうなくらい、哀れっぽい仕草で目を瞑った。


 そして数秒、荒井カコは――短刀を鞘に仕舞った。


「庭の掃除をしてください。週に1度」


「えっ?」


 獣の間抜けな声が部屋の中を跳ねる。


「そ、それで良いんですか? 許してくれるんですか?」


「いいえ」


「『いいえ』!?」


「料理くらいは交代でできますが、私が平日居ない中で庭の掃除まで行き届かせるのは難しいので。お願いします」


「えっ……と、さっきまでの話とは特に関係無く?」


「関係無く」


「そ……そうですか」


 獣は脱力する。

 と、荒井カコは獣をそのまま床に下ろした。


「わかりました、もちろん引き受けます。へへ」


 よくわからないが難を逃れたと認識し、獣は媚びるように笑う。

 カコはそれに、いつも通りの笑顔で返した。


「私は荒井カコです。あなたは?」


(りん)って呼んでください」


「そうですか。では話を戻しますが、ドーナツを買ってきてください。直ちに」


「はいッッ」


 獣、改め琳は全速力でスーパーへと駆け出した。

 無論、底冷えするような圧を、再び感じたからである。

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