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二十四話 学校、密室、事件現場

 荒井カコが家を出てからしばらく。

 時計の短針は「10」を指し、幾分か控えめな太陽の光が居間を満たしつつあった。


 道路を走る自動車の音が遠くから聞こえ、庭では落ち着いた風が地面を撫でている。

 大変のどかな冬の朝だ。


 そんな穏やかな時間の中で、妖怪・侃螺はというと、所在なく玄関と居間を行き来していた。


 やることが無い。

 家には自分と、いまだ寝こける2人のみだから、話し相手も居ない。


 侃螺は、学校というものは朝から夕方までかかるものだと、カコから聞いていた。

 つまりこの状況が、あと何時間も続くのだ。


 なお酔っ払い2人を起こして暇つぶしの相手に……という考えも一般的にはあろうが、しかし彼は、この者たちが起きたらさっさと帰そうと決意している。


 常に酔いが覚めず戯言を吐き散らす者と、素面で寝言のようなことを垂れ流す者。

 どちらが相手でも、長時間接し続けることは拷問に近い。


「……はあ」


 侃螺は台所の椅子に腰かけ、過去帳から出てからのことを何となく振り返ってみる。

 思えばあの時以来、1日として荒井カコと離れた日は無かった。


 使命を果たすため遠方に行く日も、家で休息を取る日も、ふらりと外出をする日も。

 カコと侃螺は大抵近くにおり、半日近くも顔を合わせないだけでなく同じ屋根の下にも居ない、などという経験は皆無だった。


 侃螺は時計を見る。

 のろのろと動く短針は、まだ「10」から少しずれただけの場所に居た。


「がっこう……学校……」


 カコが通うのは学校の中でも高等なところである、と侃螺は認識していた。


 高等な学び舎。

 あの黒い制服を着た人間が集まる場所。

 誰もが揃って、師の話に耳を傾ける半日間。


 当のカコから聞いただけの断片的な情報で、曖昧ながらも想像が膨らんでいく。

 そして想像が膨らめば膨らむほど、侃螺の眉間には皺が寄り、時計を見る頻度が増していった。


 やがて、短針が「11」に到達する頃。


 侃螺はおもむろに立ち上がり、なおも面の皮厚く爆睡を決め込んでいる季玖露と升に歩み寄った。


「起きよ」


 そう言うや否や、侃螺は2人の頬を張る。

 大した威力の無い、程度で言うならラットの地団駄くらいの張り手だったが、奇跡的にも酔っ払い共は目を開けた。


「ああ? なんやの、まだ夜も明けとらんのに」


「既に朝だ、愚か者」


「お、お、なんだこりゃ、酒の滝が消えちまった」


「そんなものは元より無い。良いから疾く起きよ」


 侃螺は寝ぼけまなこで呆けたことを言う2人を叱咤し、無理やりに意識を覚まさせる。


 急かす侃螺の勢いに押され、ややあって季玖露と升は渋々ながら体を起こした。


 その風体は、はねまくった毛やら、半分剥がれた化けの皮やら、「寝起き」の教本のような有り様だった。


 隙を見て再び床に転がろうとする彼女らを、侃螺は全力で引っ掴んで止める。

 そして2人の鬱陶しそうな視線を無視し、言った。


「貴様らに留守番を命じる」


「えー? 留守番て、どこ行くの」


 まだ焦点の合わない目で季玖露が問う。

 しかし侃螺はその質問に答えず、くるりと踵を返した。


「夕方まで、しかと務めろ」


 侃螺は早足で玄関へと向かう。

 後ろで呂律の回らない声たちが何か言っていたが、気に留めることはしなかった。


 なぜなら侃螺が気にかけていたのは、ただひとつ。

 荒井カコの学校生活とやらだけであったからだ。



***



 侃螺は外に出るや、化けの皮を脱いで元の姿に戻る。

 人間用の家で何事かをしたり、普通の人間と接触したりといった必要さえ無ければ、この四つ足の姿が一番楽だった。


 金色の蹄で舗装された道路を蹴れば、螺鈿のような模様の体は宙に浮く。

 そのまま彼は無い足場を使って、悠々と空に上がった。


「荒井カコの通う『学校』は……藍町高等学校、といったか」


 呟きながら、侃螺はぐるりと辺りを見回す。


 彼は学校がどのような場所か、実際に目にしたことは無かった。

 しかし人間が大勢集まるのなら、きっと大きな建物であろうと見当は付く。


 ゆっくりと宙を歩きながら、侃螺は学校なるものの外観を想像して探す。


 幸いにもここらには3階建て以上の建物がほとんど無いため、しばらくあって、彼の目は平地にぽつんと佇む巨大な建物を捉えた。


「ふむ」


 侃螺は頷き、建物に向かって駆け出す。

 自分の考えが合っていると信じて疑わない、自然な傲慢さと共に。


 彼が宙を走り、両者の距離が縮まるにつれ、段々と建物の全貌が露わになっていく。


 建物は、白い外壁に覆われており、輪郭が角ばっている。

 西側には土の地面が広がっていて、逆の方面には人工池らしきものや、かまぼこのような屋根の倉庫がある。


 そしてそれらすべてを、無骨な柵が囲っている。

 察するに、人々はこの囲われた部分全体を指して『学校』と呼ぶのだろう。


 鮮明に見えてくる学校の姿を、侃螺はまじまじと観察する。

 やがてその、2本の石柱と鉄柵で構成された門の前に降り立ち、首をもたげた。


「『藍町高等学校』……やはりな」


 石柱に刻まれた文字を読み、侃螺は鼻を鳴らす。

 どうやら誰かに見られもしないところで、下らない赤っ恥をかくことは回避できたようだった。


 荒井カコ以外の人間には見えないのを良いことに悠々と敷地に侵入すれば、途端に空気の濃度が増す。


 数百人の人間、そして数体の妖怪の気配。

 それらは限られたこの場に詰め込まれ、ごった返していた。


「さて」


 侃螺はゆっくりと建物に近付く。

 透明なガラスのはめ込まれた窓を除くと、部屋の中で数十人の少年少女と、1人の大人が向き合っているのが見えた。


 なるほどこれが件の、と侃螺は納得を得る。


 そうすると、こうした部屋がこの建物には沢山あり、そのうちのどれかに荒井カコが居ることになる。

 隅から隅まで探すのは骨が折れることだが、しかし幸いにもカコは過去帳を持っているはず。


 過去帳の番人たる侃螺は、その在り処を難なく感知することができる。

 つまりは、カコの居場所がわかるも同義だ。


 そわそわと逸る気持ちを知らんぷりし、彼はあくまでも堂々と歩き出す。


 気が遠くなるほど整然と並んだ窓はほとんどが閉まっていたが、しばらく行くと換気のためにか開いているところがあった。


 侃螺はそこから屋内に足を踏み入れる。

 何食わぬ顔の不法侵入である。

 しかし彼が妖怪であるために刑罰を科せられない点を鑑みると、弐奔国(にほんこく)の刑法には改善の余地があろう。


「じゃあ58ページ2行目から。えー、瀬戸」


「はい」


 侃螺が入ってきたそこでは、丁度、師が生徒に読み上げを指示していた。

 生徒は座ったまま返事をし、教本の文章を音読し始める。


 彼らが読んでいるのは何やら物語のようで、主人公が虎になってしまう場面だった。


「妖怪の伝承か。勤勉で良いことだ」


 侃螺は間抜けな勘違いをし、勝手に感心する。

 そのまま部屋を横切っていけば、真っ直ぐに伸びる廊下に出た。


 廊下は片側が部屋、片側が窓という、至極単純な形をしていた。

 しかし現在、廊下には人気が無く、みな部屋に収まっている様子。


 それならむしろ都合が良いと、侃螺は過去帳の気配を辿って進み出した。


 学校の建物はとてもわかりやすく機能性抜群の造りをしており、また歩きやすい。

 侃螺は蹄という名の土足で、廊下を闊歩する。


 だが過去帳はどうも同じ階には無いらしかった。

 ややあってそのことに気付いた彼は、階段を2度上がり、渡り廊下を1度使って、ようやくごく近い場所までやってきた。


 辿り着いたのは、いくつもあるのと同じ部屋。

 この中では講義が行われており、過去帳を所持している荒井カコも、生徒側としてそれに参加しているのであろう。


 そうであれ、と半ば祈るように念じ、侃螺は部屋に入る。


 彼を出迎えたのは、二重の意味で冷えた空気と、目と口を開く生徒たち及び師。

 加えて、机の上で燃える教本を前にして、静かに座る荒井カコだった。

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