二十三話 一夜が明ければ次の朝
荒井カコはいつも通り、前触れなく目を覚ました。
微塵も眠たくなさそうな、およそ寝起きらしからぬ動きで体を起こし、慣れた足取りで居間へと降りる。
と、視界の端と端に転がっていたのは、泥酔して寝こける季玖露と升だった。
「起きたか」
侃螺が仏頂面で言う。
睡眠を必要としない彼は、カコが起床するのをここで大人しく待っていたようだった。
事の発端は昨日、おおよそ午後6時頃。
宿題の惨殺死体が出来上がってから1時間ほど後のことだった。
突然、荒井家に押しかけてきた季玖露と升が、2体目の妖怪「大百足」ことモモシを無事しばき回した成果の祝い――という口実で、鍋パーティーを始めたのである。
人の家で、勝手に。
侃螺は彼女らの愚かで浅慮というよりもはや三寸先のことも考えていなさそうな行動に、カコが怒りはしないかと気を揉んだ。
しかしその心配に反し、意外にもカコは突発的な催しを受け入れ、鍋パーティーは無事決行されることに。
そうして一夜が明け、今に至るという塩梅だ。
「昨日はどうもー、カコお嬢さん、侃螺さん。追加のお届けものでーす」
と、陽気な声と共に、窓枠からするりと鵬天が入ってくる。
彼はいつものように手紙を置いた後、宙返りをした。
「……で、こいつら何してるんですか?」
さすがに目に入ったらしい。
一方は無造作に糸を吐き出し、一方は酒瓶を3本も抱くという、醜態の好例のような有り様に、鵬天は半笑いだった。
「見ての通りだ。酔い潰れている」
「季玖露さんはお酒を飲んでいなかったのですが、なぜか酔って寝始めました」
そう言いながら、侃螺は溜め息を吐き、カコは酔っ払い2人を部屋の隅に除ける。
恐らく、あともうしばらく起きなければ、家の外まで転がし出す可能性がある。
「あー、こいつコーヒーで酔うんですよ」
鵬天の視線の先には、机の上に置かれた空っぽの缶コーヒーがあった。
季玖露はその年齢が3桁に達する妖怪だ。
通常、長く生きている者ならば自分が何を摂取して酔うかくらい知っていそうなものだが……しかし彼女に関してはわかっていて飲んだのか、わからずに飲んだのか、どちらでも有り得そうである。
「ところで鵬天さん、妖怪退治術師連合というものを知っていますか」
不意に、荒井カコが話を切り出す。
特段重大でもなさそうな、明日の天気を聞くくらいの調子だった。
「妖退連ですか? そりゃもう、よっぽどじゃなきゃ誰でも知ってますよ」
輪郭の曖昧な腕を組み、鵬天は頷く。
「人間に仇なす妖怪を退治する、正義の妖術師たち! 妖怪は全て害悪と決めつけて成敗! 奴らに倒されて封印された妖怪は全国津々浦々数知れず! ……って感じの団体ですよォ!」
彼は身振り手振りで煙を撒き散らし、無駄に熱の入った語りを披露する。
ただし肝心の観客であるところのカコと侃螺は、表情を微動だにしていない。
かと言って冷たい視線や言葉を向けるわけでもなく、恐らく耳は傾けている。
そんな噛み合わない距離感により、今この部屋は話し手と聞き手の間に得も言われぬ断絶が居座る、異様な空間と化していた。
が、幸い、良い反応が得られなかったのを見て、ほどなく鵬天はスッと煙を落ち着けた。
何事にも張り合いが必要だ。
「えーと、で……つっても規模は年々縮小してて、今じゃ200人居るかどうかくらいになってるそうです。拠点も北、西、東の3つだけ。妖術師になれるくらい妖力を持った人間なんて、もう滅多に見かけませんしねえ。世知辛い世知辛い」
「ふむ。少なくなったと言えど、見境が無いのは厄介だな」
鵬天が無意味な演説風味を中止した効果か、侃螺が口を開く。
彼の脳裏には勿論のこと、先日の襲撃者――苑ノ崎結華が思い起こされていた。
彼女は恐らくカコと侃螺の活動を知りながら、勝負を仕掛けてきた。
仮に妖退連の妖術師たちが皆あの調子だとすると、かなり面倒である。
「ですが、ならどうして、雷轟さんやモモシさんが元気にしていたのでしょうか」
ゆっくりと首を傾げ、カコは言う。
妖退連が全ての妖怪に喧嘩を売る真に見境無き集団なら、特に目立つであろう雷轟たちにも襲い掛かるはずだ。
だが現実にそうなってはいない辺り、彼らは何かしらの線引きをしているということになる。
「あやつらは別格だからだろう。かつての妖術師が倒せなかった妖怪を、どうして現代の妖術師が倒せる」
「そういうものですか」
荒井カコはよくわかっていないような顔をする。
実際、現代生まれ現代育ちの彼女からすると、過去との比較は直感的には理解し難いのだろう。
「勝てるかどうかもわからない強敵に挑んで数を減らすより、中堅以下のを確実に倒していきたいんでしょう。安牌ってやつですね」
「中堅以下」
「侃螺さんが雑魚って言ってるわけじゃないですよ! アハハ。それなら俺の方がよっぽど雑魚ですし」
侃螺はむっすりと押し黙る。
自分が荒事には向かないことを、理解していたからだ。
「ま、そういう感じです。触らず近寄らず、鉢合わせたら逃げる! そうすれば大抵はどうにかなりますよ」
言って、軽く笑う鵬天。
そこへ荒井カコが、変わらぬ調子で問いかけた。
「酒瓶で殴って昏倒させた場合は?」
「え?」
鵬天の動きが止まる。
投げかけられた質問の意図が見えないらしかった。
が、少々の時間を経て、自分の会話相手が荒井カコであることを再認識した彼は、煙の先をくるくると巻きながら返答した。
「……あー。本格的に目を付けられるんじゃないですかね」
その煙の体が、じりじりと窓の方に近付く。
既に逃亡のち無関係を装う準備をしているようだ。
「まあ何ですか、人間相手にはそこまで苛烈なことはしないと思いますよ。じゃっ」
言うが早いか、鵬天はぬるりと窓枠をすり抜けて出ていく。
大して風も無いのに逃げ足が速い。
「どの道、私たちのやることは変わりませんね」
カコは、窓の方を眺めながら言う。
そしてすっくと立ち上がると、2階の自室へと姿を消した。
かと思えば数分もせず、制服に着替えて戻ってくる。
片手には、教科書やノートが詰まっているであろう、学生鞄を持って。
「では」
「待て、どこへ行く」
眉をひそめて尋ねる侃螺に、カコはにこりと微笑む。
「学校ですが。今日から三学期なので」
そういえば、そうである。
侃螺はつい忘れていたことを、思い出した。
荒井カコは女学生であり、その冬休み最後の夜が明けて、いま朝が来ている。
となれば必然、これよりは登校の時間だ。
「行ってきます」
「……ああ」
ローファーを履き、寒い外へと出ていくカコを、侃螺は見送る。
こういう風に彼女の背を見るのは初めてのことで、何やら落ち着かない気分が彼の胸中に湧く。
それから侃螺は居間に戻り、少し考え、ひとまず酔っ払い2人を玄関まで転がしていくことにした。




