十七話 憤怒響いて毒迸り
カコを乗せた侃螺は、ゆっくりと弧を描きながら下降する。
雪を被った森はそれでもなお森として広がっており、来客が降り立つのを、じっと静かに受け入れた。
「ここがモモシさんの縄張りですね」
カコは辺りを見回しながら、地面に足を付ける。
深く積もった雪は彼女の細い足をふくらはぎ近くまで呑みこむが、彼女自身はそれに関して何も気にした様子が無かった。
一方の侃螺は、人型に化けることは無く、そのままの姿で雪を踏みしめている。
ただ、足は埋もれていない。
浮遊が可能な彼であるから、雪の表面だけに足を付けることも可能であるようだった。
「雷轟と同じか、それ以上に気性が荒そうだ。くれぐれも慎重に」
と、侃螺が言いながら横を向けば、カコは既に雪を掻き分け歩き始めていた。
「荒井カコ!!」
侃螺は青筋を立てて声を上げる。
奔放な大型犬に引きずられる人間の悲鳴じみたそれに、少し似ていた。
「何故貴様はそうせっかちなのだ」
ぷりぷりと怒りながら、彼は速足でカコに追いつく。
カコは一瞬、足を止め、それからまた歩き出した。
「早く使命を終わらせて、元の暮らしに戻りたいので」
なんとも一貫した主張である。
だが侃螺はその言葉に嫌味の種を見、負けじと鼻を鳴らした。
「ふん。私も役目から解放され、故郷に帰る日が待ち遠しい」
「? 侃螺さんは、家から出て行くんですか」
「は」
ぴた、と侃螺の足と口と顔が固まる。
率直に、間の抜けた反応だ。
「まあ、あなたがそうしたいなら引き止めませんが」
カコは残念でも怒ってもなさそうな声色でそう括ると、勝手に会話を終えた雰囲気を出す。
「いや……私は貴様が……おい! 待て荒井カコ!」
むにゃむにゃと言い訳のような、反論のような、何事かを言おうとする侃螺だったが、カコがどんどん先へと行くので仕方なく。
仕方なく、口より先に足を動かすことにした。
とりあえず、嫌味の種とやらは彼の完全なる見間違いであったことは、屈辱的ながら自覚せざるを得なかった。
買ったはずの喧嘩が売られてすらいなかったという、見事なまでの独り相撲的振る舞いを振り払わんとするがごとく、侃螺はカコの隣を黙々と歩く。
既に2人が居るのはモモシの縄張りである山の中。
いつなんどき、襲い掛かられてもおかしくはない状況だ。
緑の葉の代わりに白い雪を枝につけた木々の間を、カコは通学路でも行くように、侃螺は忙しなく周囲を警戒し、進んでいく。
そうして少しばかりの時間が過ぎた頃。
「……!」
カコと侃螺は同時に足を止めた。
「来るぞ、奴だ」
そう言って侃螺が身構えるや否や、腹の底に響くような地鳴りがした。
並び立つ木々が怯えるように震え、白い地面がもこもこと隆起する。
次第に大きくなるその音と動きの果てに、ついに何かが地面の下から現れた。
「人間が……俺の居場所を荒らしに来たか!」
それは、見上げるほどに大きな百足。
胴の左右と頭部が赤く鈍い光を放つ恐ろしげな妖怪、モモシだった。
モモシは殺意を剝き出しにして、カコたちに怒声を浴びせる。
が、その刹那、モモシの眼前に拳を構えたカコが躍り出た。
「っ!?」
まさか先んじて接近されるとは思わなかったのだろう。
動揺するモモシに、カコは思い切り殴り掛かった。
「こんにちは。あなたを倒しに来ました」
淑やかに微笑み、彼女は言う。
ひらりとスカートを翻して着地する姿は、蝶と山賊を足して2で割ったようであった。
「妖術師か? 村のクソ人間共が呼んだのか……まあ何でもいい。――殺す!」
モモシはぐわりと頭をもたげ、上空から勢いをつけてその牙をカコたちへと振り下ろす。
しかし侃螺が咄嗟に横へ避け、2人は直撃を免れた。
獲物を逃し勢い余ったモモシはそのまま前に突っ込み、牙はそこに立っていた木に突き刺さる。
期せずして動きを封じた……と思われたが、モモシは思い切り頭を振り、牙の刺さった木を噛み砕いて取り払った。
この間、わずか5秒に満たず。
暴れること自体に慣れているのだろうか、多少の想定外では、モモシはびくともしなかった。
侃螺は少々離れた大木の枝にいったんカコを下ろし、慎重にモモシの挙動を見張る。
「気を付けよ、荒井カコ。図体は大きいが、鈍間ではないようだ」
「そうみたいですね」
作戦会議よろしく言葉を交わす2人であったが、その足元に素早く伸びる影がひとつ。
モモシの尻尾だった。
巨大で、かつ長い体を持つモモシは、頭側と尻尾側を器用に操れるらしい。
尻尾は目にも止まらぬ速さでカコたちの頭上まで伸びると、彼女らを巻き取らんと襲い掛かる。
けれどもカコは即座に過去帳を構え、己に向かってくる尻尾をいとも容易く殴り払った。
「ですが、的が大きいのは助かります」
ごく小さなものや不可視のものならいざ知らず、はっきり見えているものであれば、荒井カコに迎え撃てない道理は無い。
したたかに打たれた尻尾は、ずるりと地を這い退散する。
「目障りなんだよ……蛆虫みたいに次々湧きやがって……!」
入れ替わるように、モモシはカコたちの居る木に噛み付いた。
憤怒を体現するかのごとく、強靭な顎と鋭い牙は、小枝を折るように大木を破壊する。
「己が縄張りの木も躊躇なく幾本と薙ぎ倒すか……荒くれだな」
そそくさとカコを乗せて退避しながら、侃螺は溜め息を吐いた。
乱暴な行為は彼の厭うところである。
例えば、いま背中に居る人間のそれとか。
「あまり簡単には近付けそうにないですね」
大木を倒し終えて再度自分たちに狙いを付けるモモシを見つつ、カコは冷静に呟く。
モモシの全長は30mほど。
どこか一点に攻撃しようとしても、頭部か尻尾からの反撃を受けることになる。
であれば、取るべき戦法は「慎重」ではなく「即決」だ。
そう結論付けたカコは、少し身をかがめて侃螺に声をかける。
「木々で姿を隠しつつ奇襲します。侃螺さん、できますか」
「無論」
一も二も無く侃螺は答え、ぐんと高度を下げた。
そうして幹の間を縫うように駆け、モモシから距離を取っていく。
「逃がすか!」
ずるりと這い、モモシは2人の後を追う。
しかし細い隙間を走り回る小さい的を捉えることは、やや困難であるようだった。
ほどなく焦れたモモシが周囲の木々ごと潰してやろうと、身を大きく持ち上げる。
瞬間、煌めくものが急接近した。
「逃げませんよ」
侃螺から跳びたち、カコは過去帳を振り下ろす。
「ぐうっ……!?」
過去帳はモモシの頭部にしかと当たり、いつものごとく淡い光を伴っていくらかの妖力を吸い取った。
「小賢しい真似を……!」
モモシが反撃に出る前に、侃螺が素早くカコを回収し、また距離を取る。
カコは手の中の過去帳を一瞥し、それからモモシの方をもちらりと見た。
「効いていますね。安心しました」
「ふん。その凶悪な道具が通じぬ妖怪が居るならば、お目にかかりたいものだな」
「そんなにですか」
感動したふうな台詞を、半ば棒読みの発音でカコは零す。
と、その時、鞭のようにしなった尻尾が、彼女めがけて飛んできた。
侃螺とカコ、ではなく、明確にカコだけを狙った攻撃だ。
「! 避けよッ」
「はい」
反射的に侃螺が叫ぶとともに、カコは大きく上に跳躍する。
尻尾は空を切り、そのままくるりと巻かれて胴体の方へと戻っていった。
だがしかし、カコが侃螺の背に着地するより早く。
彼女に噛み付かんと、モモシが大口を開けて襲い掛かった。
「……!」
さらに背後からは、今しがた戻っていったと思われた尻尾が再び迫る。
いくら荒井カコとはいえ、羽が生えていなければ、不思議な力で浮遊することもできない。
いまだ空中で自由の利かない中、モモシの尻尾と牙が迫る。
カコはそれでも過去帳を強く掴んで、応撃しようとなけなしの構えを取った。
直後、ガチン、という硬いもののぶつかる音が響く。
それはモモシの牙が勢いよく合わさった音で。
「が、っあ……!」
傷を負ったのは、侃螺だった。
幸い、胴を真っ二つなんてことにはなっていないが、それでも確かに攻撃を受けたようで、彼は力なく地上へと落ちていく。
「侃螺さん」
カコは無理やりに身を捻って尻尾の方を間一髪で避け、近くの木の幹を蹴って落下の速度を殺し、何とか地面に着地した。
そして一瞬、振り返ってモモシが来ていないことを確認するや、真っ直ぐに侃螺に駆け寄る。
「侃螺さん」
「ッ……大事ない。掠っただけだ」
繰り返し名を呼ぶカコに、侃螺は呻き声を堪えて答える。
螺鈿のような美しい模様の体は、脇腹から背にかけて引き裂かれ、紅水晶に似た「中身」が覗いていた。
「百足には毒があるでしょう」
「我ら一族にその類は効かぬ。構わず、戦闘を続行――」
侃螺の言葉を遮るように、バシャッ、と付近の木に何かが掛けられる。
カコがハッとしてそちらを見れば、禍々しい紫色の液体が、木の幹をじゅうじゅうと溶かしていた。
「……これも、毒でしょうか」
「噛んで毒を流し込むのは、普通の百足の話だろ?」
知らぬ間に2人の目と鼻の先まで来ていたモモシが、嘲笑うように言う。
「地面が汚れるから嫌なんだけど、仕方ない。お前たちを殺して平穏が戻るなら、こんな手でも使ってやる」
そう言って彼はガパリと口を開き、そこから紫の液体をかなりの勢いで吐き出した。
「っ!」
カコはすかさず侃螺を引きずり、木の裏に回る。
液体は彼女の背後で、大部分が木によって受け止められるが、跳ねた一部がスカートの裾をじわりと溶かした。
生身に受けたらどうなるか、などとは考えるまでもないだろう。
「弾切れなんて考えるなよ。俺は妖怪だからな」
次の攻撃に備えて別の木に移動するカコたちに、残忍な声が降り注ぐ。
お前の考えを見透かしてやった、とでも言わんばかりだ。
「荒井カコ! さすがに分が悪い、退くぞ!」
「……はい」
侃螺は力を振り絞って立ち上がり、カコを背中に乗せる。
そのまま常の通り浮上するが、傷が邪魔をして速度が出ない。
「俺から逃げられるとでも――」
ふらふらと飛ぶ侃螺へと狙いを付け、モモシはまた毒を吐こうとする。
だがその瞬間、モモシの視界が、にわかに輝き始めた。
「何……!?」
彼の目の前にある森が、雪が、侃螺たちが消え、代わりに別の景色が現れる。
それは金色に輝く一面の花畑であった。
どこまでも続く青空、金粉をまぶしたような雲、風は優しく、柔らかな静寂が広がる。
非現実的な風景が、感触を伴ってモモシを包み込んでいた。
「……クソが、こんなもので!」
モモシは束の間、飛んでいた意識を強引に引き戻し、頭を地面に打ち付ける。
途端に幻の風景は掻き消え、冬の森の景色が蘇った。
ただし、カコと侃螺はとっくに居なくなった状態で。
彼女らを取り逃がした、と理解したモモシはガチガチと腹立たしげに牙を鳴らす。
「汚し損じゃないか。クソ、クソ……。出直して、今度は村ごと叩き潰してやる……!」
足の1本1本を食い込ませながら、そうして彼は、再び地面の下へと帰っていった。




