十八話 敗走に続くは再走
艇雲は集会所の屋根に座り、足をぶらぶらと揺らしながら件の山の方を眺めていた。
かと思えばごろりと仰向けになって寝転がったり、自分のギザギザの歯を何となく触ってみたり、上着のボタンを外したり閉めたり。
見るからに落ち着かない様子で、彼は時間を持て余す。
それは村人たちも同じだった。
カコたちがモモシを倒しに向かったと艇雲から聞かされた彼らは、集会所や、各々の家、あるいは畑で、不安げに身を寄せ合う。
村を訪れた、あるいは呼ばれて来た妖術師は今までにも居た。
しかしある者は敵わぬと言い、またある者は自ら人里に降りてこないなら良いではないかと言い、誰もが踵を返していった。
モモシに立ち向かってくれたのは、カコたちが初めてなのである。
艇雲は物憂げに、再び山の方を見た。
少しばかり変なあの2人組が、どうかせめて無事であるよう、願いを込めながら。
と、何かがキラリと空で光った。
輝くそれは見る見るうちに村の方へと近付いてくる。
カコと侃螺だ、と艇雲が気付くのにそう時間は要さなかった。
「おっ、帰って来た」
彼は屋根から飛び降り、彼女らを視界に捉えながら小走りで向かう。
ほどなくカコたちは艇雲の前にふわりと着地し、カコは侃螺の背からすぐさま降りた。
ひとまず2人が生きてはいることに安堵する艇雲だったが、すぐに異変を察知する。
何やら侃螺の元気が無い。
その上、ふらりふらりと数歩進み、その場にへたり込んだ。
「どうした、大丈夫……」
「ではありません。侃螺さんが怪我をしました」
カコは艇雲の言葉を遮り、状況を伝える。
いつもより少し、早口だった。
彼女に言われて侃螺に目を向けた艇雲は、サッと顔色を変える。
「あいつの牙にやられたのか……!」
「気遣いは不要だ。私に毒は効かぬ」
ふいっと顔を背け、侃螺はカコに言ったことを、艇雲にも伝えた。
「毒が効かなくても傷は傷でしょう」
艇雲が何か返答するより先に、カコが侃螺のことをひょいと抱き上げる。
両腕を使い、ちょうど座っている姿勢をそのまま持ち上げたような形だ。
「おい! 荒井カコ!」
侃螺は抵抗を試みるも、荒井カコ相手に、しかも手負いの状態で、いったい何ができようかという話である。
実際、当のカコは侃螺の遺憾の意を全く受け流し、すたすたと歩き始めた。
「艇雲さん、休める場所を貸してくれませんか」
「ああ、もちろんだよ!」
艇雲も負傷者を運ぶこと自体に異議は無く、集会所と隣接した建物――いわゆる離れの部分である――へと、カコたちを案内する。
建付けの悪い玄関扉を開け、靴を脱いで上がると、艇雲はそのまま廊下を進んで、突き当たりの部屋に向かった。
そしてその部屋の戸を開ける前に、右横の扉を半分開ける。
中は台所のようで、流し台の前に女性が1人立っていた。
「雲母、こっちの部屋使うぜ」
「うん? 別に構わな……あれ、カコさん!」
雲母と呼ばれたその女性は、先ほど集会所に居た者だった。
彼女はまだ侃螺の本来の姿を見たことは無かったが、状況からすぐに、カコに抱えられているのが彼だと察する。
それからはもう、早かった。
雲母は集会所の方に走り、そこに居た者たちに事の次第を伝え、伝えられた者たちもまた各所へと情報を伝達。
艇雲が布団を敷き、そこで侃螺が転がされる頃には、大勢の村人がカコたちの敗退を知るところとなっていた。
「悪いことしてしもたなあ……」
「やっぱりモモシにゃ、ほやほや勝とらんがや」
再び集会所に集まった村人たちは、顔を突き合わせて肩を落とす。
モモシの退治が失敗したことよりも、2人、特に若い人間のカコを危険な目に遭わせたことを気にしているようだった。
「せっかく来てあたったけど、お2人には帰ってあたろ」
「ほうやな。今回は良かったが、次は命が危ないかもしれん」
村人たちは頷き合う。
反対する者は誰も居なかった。
さて一方、当のカコと侃螺はというと、離れにて何やらわやわやと揉めていた。
「ええい、大事ないと言っているだろう!」
布団をかぶせられながら、抵抗するのは侃螺。
対するカコは何度も起き上がろうとする彼を、そのたびに柔らかめに転がす。
要約するまでもなく、見ての通りの攻防だ。
「そうですか」
言いながら、カコは侃螺の傷口に指を突っ込んだ。
例えるならば人道のガードレールを、大型トラックでぶち破るような蛮行である。
「ぎッ……!」
侃螺は絶叫を上げそうなところを、あらん限りの尊厳をかき集めて耐えた。
哀れにも、目に涙が滲んでいたが。
「縫いますか? それとも絆創膏の方が?」
「っ、どちらも要らぬ! 我ら一族の薬となるのは青貝……鮑貝や夜光貝の殻だ」
ひとまず観念したのか、もそもそと自ら布団に入りながら侃螺は言う。
「尤も、薬を使わず放っておいても、自然に治る。この程度ならばひと晩あれば十分だろう」
「わかりました」
カコは素直に首肯した。
侃螺を押さえていた手も引っ込め、彼が大人しくなったのを正しく理解したようだ。
そうして彼女は、侃螺の傍らで正座をした。
「…………」
「…………」
2人の間に沈黙が下りる。
ややあって、耐えかねた侃螺は問うた。
「何故去らぬ」
「気になるので」
ごく端的に、カコは答える。
その「気になる」が単なる興味関心ではないことは、さすがの侃螺にもわかった。
「……ふん」
侃螺は鼻を鳴らし、もういくらか深く、布団に潜った。
***
そのまま2人は静かな夜を明かした。
朝日が昇ってほどなく、訪れたのは小さな足音。
足音はカコたちの居る部屋でぴたりと止まる。
「カコ、侃螺、入るぜ」
聞こえてきたのは艇雲の声であり、カコは迷うことなく「どうぞ」と彼を招き入れた。
「おはようございます」
「あ、ああ。おはよう」
カコたちを対面した艇雲は、どこか落ち着かない様子でもじもじと視線を泳がせる。
少しの間があり、それから彼は切り出した。
「あのさ、モモシ……どんな感じだった?」
「どんなとは」
「戦いぶり、みたいな」
彼はどうも、モモシの強さのほどを知りたいようである。
当事者に直接尋ねることにやや恐縮しつつも、ぴくぴくと耳を動かしていた。
カコと侃螺は少々考え、先にカコの方が口を開いた。
「噛み付くか、尻尾で絞め上げるかを主な攻撃手段にしていたと思います。あとは直接、毒を吐いてもいました」
「毒を吐く? モモシがか?」
艇雲は目を丸くする。
口もぽかんと開け、よほど意外であったようだった。
「はい。初耳ですか?」
「ああ、知らなかった。モモシに殺された人間たちは、みんな牙から毒を流し込まれてたから……そうか、毒をそのまま吐いたりもするのか……」
情報を消化するように独りごちながら、艇雲はゆっくりと何度か頷く。
モモシが彼らに「毒を吐く」という手札を見せなかったのは、単にそれを使うまでもなかったからか、他にもわけがあるからか。
いずれにせよモモシの目に、カコたちが今までの人間たちとは異なる存在として映ったことは、ほとんど確実である。
「かなりの量を一度に吐き出すものだから、相当に厄介だった。逆にあれさえ無ければ、勝てていたやもしれぬ」
「策を練り直さなくてはなりませんね」
溜め息交じりに言う侃螺に、カコが冷静に返す。
と、艇雲はまたもや目を丸くした。
「またやる気なのか!?」
彼は、そんな馬鹿なと言わんばかりの視線を2人に向ける。
負けたのに、逃げられなかったら死ぬところだったのに、またモモシとの戦いに身を投じるのかと。
しかし2人は、淀みない視線を彼に返した。
「やりますが」
「このまま尻尾を巻いて逃げるとでも?」
カコはいつも通りの平静で、侃螺は意気をあらわにして、両者ともに悩むべくもなく答える。
その口ぶりにやや気圧されつつも、艇雲は言葉を続けた。
「で……でもさ。お前らにも目的があるんだろうけど、命あっての物種だぜ」
「死ぬ気はありません。次は勝ちます」
話が通じない一歩手前の返答だ。
艇雲は動じぬ彼女と、ついでに彼女と同意見らしい侃螺に、心から困惑する。
「いや、ええ……。そ、そうかよ……?」
かつてこれほどまでに、躊躇い無く戦う者が居ただろうか。
何人かの人間を思い返しながら、艇雲は目の前のやたら勇敢な2人を見つめた。
「うーん……じゃあちょっと待てよ……せめてなんか……武具とかさあ……」
やがて彼は2人に背を向け、押入れを開けてゴソゴソとやり出す。
直接戦力にはならない自分なりに、何か力になりたいようだった。
「あ!!」
しばらく押入れに顔を突っ込んでいた彼は、不意に大きな声を出す。
あまりに唐突かつそれなりの声量であったため、侃螺はびくりと体を揺らした。
加えて言うなら、侃螺「だけ」は。
「ちょっと待ってろ!」
艇雲はそう言い残し、全力疾走で部屋を出ていく。
急に待たされることとなったカコと侃螺は、ただ無言で顔を見合わせた。




