第四十二話 温泉
湖を後にした俺達は、その足を王都へ向けてさらに進めていた。
ミズイガハラを出発して既に5日は経っていたであろうか、旅路も終盤に差し掛かり旅団の面々にも疲れの色が見え始めていた。
野営続きだとさすがにきついか……。何か疲れを取り除けるものがあればいいのだけど……。
俺はそんなことを考えながらアイネルを進める。
するとその時、卵が腐ったかのような独特の臭いが俺の鼻をかすめた。
ファティマ達もまたその臭いに気付いたようだ。特にクウネルはその臭いが得意ではないのか、その顔をしかめている。
そしてその臭いは足を進めるごとに強いものへと変わっていった。
「カズトよ、街道からは決して出るでないぞ」
「……この臭いのせいですか?」
「ああ、そうだ。過去に街道から外れた者が何人も倒れたという報告があげられたことがあった。どうやらこの臭いが特に強い場所でそれが起きたらしい。だからお主も決して街道から出ないようにのう」
ファティマの話を聞き、俺は確信に至る。
この臭いは硫化水素の臭いであると。
するともしかして……。
俺はそう思い、ファティマにあることを尋ねた。
「ファティマさん、この辺りにお湯の湧き出ている池のようなものはありませんか?」
「ん? そうだのう……。この先に何やら湯気の立っている池があるのを見たことはあるが。この地域には長居しないことが通例になっておったから、湯かどうかまではわからんな」
「そうですか。それは期待できそうです!」
俺の反応にファティマは不思議そうな表情を浮かべていた。
そうしてさらに足を進めていると、ファティマの言っていた湯気の立ち上る池が俺の視界に入る。
硫化水素の臭いは先ほどよりも多少は強いものの、問題のない範囲のものであった。
「これは!」
俺は咄嗟に池へ向かって駆け出した。
「おい、カズト! あまり街道から外れるな!」
ファティマの制止を振り切り、俺は池へと駆け寄っていく。
俺は池の上へゆっくりと手をやり、慎重に湯気の熱さを確認した。
「熱くはないな……これなら」
周りの気温が低い影響であろうか、湯気の量に比べて熱さは感じなかった。
そして池の表面をつつくように指で撫で熱さを確認したのち、手の平を池へと突っ込んだ。
「……あったかい……」
俺は久方ぶりの温泉にほっとしてしまっていた。
「おい、何をしておるのだ?」
ファティマを含め、旅団の面々が俺の行動をじっと見つめていた。おそらく彼らには奇行に映っていたのであろう。
「これはですね、温泉といってこの池にある水は全てお湯になっているんです。これに浸かると疲れが取れるんですよ!」
「ん? 温泉?? この池に浸かるのか?」
俺はこの世界にきてからずっと気になっていたが、この世界にはお湯に浸かるという文化がなかったことだ。この世界で大量のお湯を作るにはそれなりの労力がかかってしまうので、当然と言えば当然のことではあるが。
とは言え、かねてから公衆浴場をつくりたいと思っていた俺にとって、この温泉はお湯につかることに対するこの世界の人々の反応をみる良い試金石であった。
「では、ひとまずここで休憩を取りましょう」
俺は私欲を優先し、ここで休憩を挟むことにした。
そして早速、温泉の広さと、浸かれそうなものがどのくらいの数あるのかを俺は確認した。
どうやらこの周囲には大きい温泉が二つと人一人が浸かれそうな温泉が一つあるようであった。都合が良いことに、大きい温泉同士は適度に離れており、片方の温泉からもう片方の温泉は除けないような位置関係になっていた。
「──混浴でも良いのですが、色々と恥ずかしいので。女性陣はここの温泉に。男性陣はこの先の小さな丘を越えた先にある温泉に別れて入りましょう。」
「混浴? よくわからんが、ここに入ればよいのか。--それで、どのように入ればよい?」
入浴の文化がない人達には温泉に入るということがどういうことなのか、すぐには理解できないようであった。そこで俺は、懇切丁寧に入浴の作法とその効能について説明していった。
「ふむ。概ね理解した。なかなかおもしろそうだのう」
ファティマは早々に理解を示し、すぐさま服を脱ごうとする。
「ファティマさん!! 止まって止まって!!」
「ん??」
今まで気付く機会がなかったが、ファティマはどうやら裸というものに抵抗がないようであった。
「服を脱ぐのは俺達が移動してからにしてください」
「ふむ、そうなのか。それならば仕方ないのう」
ファティマはそう言うと服に掛けたその手を下した。
「では男性陣はあちらへ移動しましょう」
そうして俺達は、ファティマやレイミ、そしてサクハを残し離れた温泉へと移動したのであった。
そしていざ温泉へと思った時、クウネルが俺に声を掛けてきた。
「私はぁ、ここで寝てますぅ……」
クウネルは硫化水素の臭いが相当苦手なようだ。いつもなら商売につながる可能性のあるものには食いつくはずが、この時ばかりはぐったりと横になっていた。
「そうですか……。それは残念ですが……俺は遠慮なく入らせていただきます」
──ついに念願のお風呂へ入ることが出来た。しかも温泉に。この世界では二度と縁がないものと諦めていたが、どうやら巡りあわせというものは確実に存在しているようだ。
「ふぅー……」
気持ちよさのあまり息が漏れてしまう。
そして警備隊員やクウネルの徒弟達も恐る恐ると温泉へ浸かっていった。
最初は緊張しきっていた顔も、みるみるうちに和らいでいった。
「「「ふぅー……」」」
俺の真似をしているのではないかと思うほど、皆揃って息を漏らした。
この反応を見るに、評判は上々のようだ。
そして俺はこの時決心をした。ミズイガハラに公衆浴場をつくることを。




