### 第5巻 第二章:沈黙の先祖たち
### 第5巻 第二章:沈黙の先祖たち
僕とシノがアクセスしたログファイルは、何百年も前にこの街を設計した「初期調律師」たちの思考記録だった。
そこに記されていたのは、私たちが抱いていたような音楽への情熱や、旋律を愛する心とは対極にある光景だった。彼らにとって、調律師とは「調和を愛する者」ではなく、世界の均衡を物理的に計算し、崩壊しゆく現実を数式によって縫い合わせる「システム修復員」に他ならなかった。
ログ映像の中の彼らは、楽器を手に取ることなど一度もなかった。
代わりに彼らは、無機質なコンソールパネルを叩き、歪んだ現実空間に直接「周波数」を打ち込んでいた。
『現状、第8セクターの物質安定率が許容範囲を3%下回った。安定させるためには、$120\text{Hz}$ の持続的振動と、位相をずらした共鳴周波数の重ね合わせが必要だ。これが完了すれば、この地域の崩壊は30年は食い止められる』
彼らの言葉には、芸術的な美学など欠片も存在しない。あるのは「維持」という冷徹な義務感だけだった。
「見て、レイ……」
シノが記録をたどる。そこに映っていたのは、僕たちが知る「結晶の雨」の発生源だった。
かつての彼らは、世界の崩壊を止めるために「特定の音階」を空中に放射していた。しかし、その高密度なエネルギー波が空間を過剰に励起させ、副産物として生成されていたのが、あの結晶化現象だったのだ。
つまり、彼らは街を救うという名目で、世界を少しずつ「凍らせる」行為を繰り返していたことになる。
「僕たちが守ろうとした街は、最初から彼らの計算式の上にあったんだ……」
僕の胸に重苦しい疑念がわき上がる。
管理官たちは、この先祖たちの冷徹な論理を継承していたに過ぎない。彼らにとって、市民の感情がノイズとして排除される対象であったのは当然のことだ。感情という「不確定要素」は、この緻密な計算式を狂わせる致命的なバグでしかなかったのだから。
ログの最後には、衝撃的な警告文が刻まれていた。
『もし、システム外から感情を持ったノイズ(調律師の模倣者)が現れ、この調整式に手を加えた場合――世界はその不確定性に耐えられず、再起動フェーズへ移行する』
僕たちは、愛する人々を守るために戦った。しかしその行為そのものが、この世界の自浄作用を刺激し、滅びの引き金を引くことになっていたのだ。
シノは何も言わず、ただ無機質な数式の羅列を見つめていた。
彼女の瞳には、かつて管理官の塔の上で見た希望の輝きはなかった。そこには、僕たちが犯してしまった罪の大きさを悟った者の、深い絶望が宿っていた。
---




