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淡々後漢書  作者: ンバ
第十八、陳俊伝
81/102

一・二、戦将盡く彼の如くであれば!

雲台28将、19位の陳俊伝。

1.

陳俊字子昭,南陽西鄂人也。少為郡吏,更始立,以宗室劉嘉為太常將軍,俊為長史。光武徇河北,嘉遣書薦俊,光武以為安集掾。

(訳)

陳俊ちんしゅんは字を子昭ししょう南陽なんよう西鄂(せいがく)県の人である。


少くして郡の吏となり、

更始帝こうしていが立つと

宗室の劉嘉りゅうか太常たいじょう将軍とし

陳俊を長史とした。


光武帝が河北を徇ると

劉嘉は書状を遣わして陳俊を推薦し

光武帝は彼を安集掾あんしゅうえんとした。


2.

從擊銅馬於清陽,進至蒲陽,拜強弩將軍。與五校戰於安次,俊下馬,手接短兵,所向必破,追奔二十餘里,斬其渠帥而還。光武望而嘆曰:『戰將盡如是,豈有憂哉!』五校引退入漁陽,所過虜掠。俊言於光武曰:『宜令輕騎出賊前,使百姓各自堅壁,以絕其食,可不戰而殄也。』光武然之,遣俊將輕騎馳出賊前。視人保壁堅完者,敕令固守;放散在野者,因掠取之。賊至無所得,遂散敗。及軍還,光武謂俊曰:『困此虜者,將軍策也。』及即位,封俊為列侯。

(訳)

清陽の銅馬どうば攻撃に従い

進軍して蒲陽ほようへと至ると

強弩きょうど将軍に拝された。


安次あんじにて五校ごこうと交戦した際に

陳俊は下馬し、手ずから短兵を迎え

向かう所で必ず破り、

二十余里追走して

その渠帥を斬って帰還した。


光武帝は望見し、嘆息して言った。


「戦う将が悉く彼のようであれば

どうして憂いなどあろうか!」


五校は引き退がって漁陽ぎょようへと入り

通過する所で虜掠りょりゃくした。


陳俊は光武帝に言った。


「軽騎を賊の前に出すよう命じ、

百姓には各自塁壁を堅めさせ

その食糧を絶つべきです。

さすれば戦わずして殄滅できましょう」


光武帝はこれを尤もだと考え、

陳俊に軽騎を率いさせて

賊の前へと駆け出させた。


人に教導させて、

塁壁を保ってしっかと堅めている者には

(そのまま)固く守っているよう勅令し、

かしこに散っていた在野の者も

これに託けて掠取させた。


賊が至るも得る所はなく

遂には散り散りとなって逃げ出した。


軍が帰還するに及んで

光武帝は陳俊に向かって言った。


「困苦しながらこれを

虜としたのは、将軍の策である」


帝位に即くに及び

陳俊は封じられて列侯となった。


(註釈)

陳俊は28将の19位。

もとは漢中王劉嘉(りゅうか)の長史。

彼の推薦で光武帝に仕えた。

賈復かふく来歙らいきゅうも劉嘉のとこから来てる。


安集掾は任光じんこう伝や馬成ばせい伝にも見える。

軍衆の安定、糾合、和睦をつかさどる。

更始帝が置いた。


河北の銅馬どうば五校ごこう戦に参加。

どっちも農民反乱集団。


陳俊は馬を下りて

短兵(剣とか槍兵)を迎え

それを見た光武帝は

「みんなあんな風なら何の心配もないんだけど!」

と感嘆した。


五校が漁陽へと逃げて略奪を働いたので、

人々を回収して拠点を固めさせ

作物なんかもたぶん刈り取らせた。

賊は何も得られずに

ほうぼうのていで逃げ出した。


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