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淡々後漢書  作者: ンバ
第二十一、劉植伝
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70/102

一・二、劉揚説得/陣没

雲台28将の28位、劉植。

1.

劉植字伯先,巨鹿昌城人也。王郎起,植與弟喜、從兄歆率宗族賓客,聚兵數千人據昌城。聞世祖從薊還,乃開門迎世祖,以植為驍騎將軍,喜、歆偏將軍,皆為列侯。時真定王劉揚起兵以附王郎,眾十餘萬,世祖遣植說揚,揚乃降。世祖因留真定,納郭后,後即揚之甥也,故以此結之。乃與揚及諸將置酒郭氏漆裏舍,揚擊築為歡,因得進兵拔邯鄲,從平河北。

(訳)

劉植りゅうしょくは字を伯先はくせん鉅鹿きょろく(しょう)城県の人である。


王郎が決起した際、

劉植と弟の劉喜りゅうき、従兄の劉歆りゅうきん

宗族や賓客を率い、

兵数千人を集めて昌城へ據った。


世祖(劉秀)がけいから戻ってきたと聞くと

そこで門を開いて世祖を迎え、

劉植は驍騎ぎょうき将軍に、

劉喜と劉歆は偏将軍に任命され

みな列侯となった。


この時、真定しんてい王の劉揚りゅうようが挙兵して

王郎に懐附しており、

軍勢は十余万であった。


世祖は劉植を劉揚の説得に遣わすと

そこで劉揚は降伏した。


世祖はそこで真定に留まって

郭后(郭聖通かくせいつう)を納れ、

以降は劉揚の甥となったために

真定の豪族と結束する事ができた。


かくて、劉揚及び諸将と

郭氏の漆の私邸にて酒宴を催し、

劉揚は築を弾いてよろこびを現した。

こうして兵を進めて邯鄲を抜き

河北を平定する事ができた。


(註釈)

光武帝紀では「劉楊」だけど

劉植伝では「劉揚」だ。

ここでは木偏で表記する。


王郎が決起したとき

少なくとも味方はしていないようで

ホームの昌城に立て篭もり、

のちに劉秀を迎えた。


10万余の軍勢を擁する

真定王・劉楊の説得に成功し

彼を味方につける。

地味だけどファインプレー。


かくて劉秀は政略婚として

郭聖通かくせいつうを嫁にもらい、

真定王の身内となった事で

河北で地歩を固めることができた。


でも結局劉楊は叛逆を企てたかどで

殺されることになる。


郭聖通は天下取りの為の

道具だったようにも思えるけど

劉秀とのあいだに

5人の子を設けている。


のちに廃后されて

陰麗華いんれいかが皇后になった。


ドラマ「秀麗伝」だと

郭聖通の名前が過珊彤かさんとうに変わってる。

1話目で劉秀に助けられるんだけど

彼の本命が麗華なのを知って

嫉妬の炎がメラメラと……。


劉秀と陰麗華の

ラブストーリーを書くとしたら

どうしても郭聖通が

当て馬になっちゃうよなぁ。



戦闘 ★★★★★ 5

戦略 ★★★★★★★ 7

内政 ★★★★★ 5

人格 ★★★★★ 5


2.

建武二年,更封植為昌城侯。討密縣賊,戰歿。子向嗣。帝使喜代將植營,復為驍騎將軍,封觀津侯。喜卒,復以歆為驍騎將軍,封浮陽侯。喜、歆從征伐,皆傳國於後。向徙封東武陽侯,卒,子述嗣,永平十五年,坐與楚王英謀反,國除。


(註釈)

建武二年(26)、

改めて劉植を昌城侯に封じた。


密県の賊を討ち、戦没した。


子の劉向が嗣いだ。


帝は(弟の)劉喜を代役に

劉植の陣営を率いさせ、

また驍騎将軍に任命して

観津侯に封じた。


劉喜が卒すると、

また劉歆を驍騎将軍に任命し

浮陽侯に封じた。


劉喜と劉歆は征伐に追従し

いずれも後代に国邑を伝えた。


劉向は東武陽侯に改封され、

卒すると、子の劉述が嗣いだ。


永平十五年、楚王の劉英の

謀反に与して、国を除かれた。



(註釈)

陣没多いよね。

岑彭、馮異、祭遵、万修、劉植。


功臣の子孫が

楚王の謀反に連座して

国邑除かれるパターンも多い。

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