十、常人の及ぶ所にあらず
10.
初,隗囂將安定高峻,擁兵萬人,據高平第一,帝使待詔馬援招降峻,由是河西道開。中郎將來歙承制拜峻通路將軍,封關內侯,後屬大司馬吳漢,共圍囂於冀。及漢軍退,峻亡歸故營,復助囂拒隴阺。及囂死,峻據高平,畏誅堅守。建威大將軍耿弇率太中大夫竇士、武威太守梁統等圍之,一歲不拔。十年,帝入關,將自征之,恂時從駕,諫曰:『長安道里居中,應接近便,安定、隴西必懷震懼,此從容一處可以制四方也。今士馬疲倦,方履險阻,非萬乘之固,前年潁川,可為至戒。』帝不從。進軍及汧,峻猶不下,帝議遣使降之,乃謂恂曰:『卿前止吾此舉,今為吾行也。若峻不即降,引耿弇等五營擊之。』恂奉璽書至第一,峻遣軍師皇甫文出謁,辭禮不屈。恂怒,將誅文。諸將諫曰:『高峻精兵萬人,率多強弩,西遮隴道,連年不下。今欲降之而反戮其使,無乃不可乎?』恂不應,遂斬之。遣其副歸告峻曰:『軍師無禮,已戮之矣。欲降,急降;不欲,固守。』峻惶恐,即日開城門降。諸將皆賀,因曰:『敢問殺其使而降其城,何也?』恂曰:『皇甫文,峻之腹心,其所取計者也。今來,辭意不屈,必無降心。全之則文得其計,殺之則峻亡其膽,是以降耳。』諸將皆曰:『非所及也。』遂傳峻還洛陽。
(訳)
当初、隗囂の将である安定の高峻が
一万人の兵を擁して
高平の第一(地名)に據っており、
光武帝は侍詔の馬援に
高峻を招かせ、降伏させた。
この事に由り、河西の道が開かれた。
中郎将の来歙が承制して
高峻を通路将軍に拝し、
関内侯に封じた。
その後、大司馬の呉漢に配属され
共に隗囂を冀に囲んだ。
漢軍が退却するに及んで
高峻はもとの陣営に逃げ帰り、
再び隗囂を助けて隴阺を防いだ。
隗囂が死ぬと、高峻は高平に據り
誅殺を畏れて守りを堅めた。
建威大将軍の耿弇が
太中大夫の竇士、
武威太守の梁統らを率いて
これを囲んだが、一年経っても抜けなかった。
十年(34)、帝は入関し
親征しようとした。
寇恂はこの時車駕に従っており
諌めて言った。
「長安は道程の中間に位置し、
応接するに近く、便宜を図れます。
安定・隴西は必ずや震え上がりましょう。
ここは、一箇所に従容する事で
四方を制するべきです。
今兵馬は疲れて倦んでおり、
まさに険阻の地を踏もうとなされては
万乗を固める事ができませぬ。
前年の穎川は至上の戒めとすべきかと」
光武帝は従わなかった。
進軍は汧まで及んだが
高峻はなお下らなかった。
光武帝は使者を遣わして
これを降伏させる事について議し、
そこで寇恂に対して言った。
「卿は以前、吾のこうした挙動を諫止した。
今度は、吾の為に(降伏の使者として)
行って欲しいのだ。
もし高峻が即座に降伏せぬなら
耿弇らに五つの陣営を率いさせて
これを撃たせる」
寇恂が璽書を奉じて第一へ至ると
高峻は軍師の皇甫文を謁見に出したが、
辞礼にへり下る様子はなかった。
寇恂が怒って
皇甫文を誅殺しようとすると、
諸将が諌めて言った。
「高峻の精兵は万人であり、
強弩を多く率いて
西は隴道を遮り、年を重ねても
下す事ができていません。
今、これを投降させようと
しておりますのに、反対に
その使者を誅戮されてしまっては
(計画が)白紙になりかねませんぞ」
寇恂は応じず、とうとう
これ(皇甫文)を斬ってしまった。
その副次を帰らせ、
高峻に告げさせていわく、
「軍師が無礼であったため
已に彼は誅戮した。
降りたくば、急ぎ降るがよい。
そうでなければ、固守するがよい」
高峻は恐惶し、
即日城門を開いて降伏した。
諸将は皆慶賀したが、
その場に託けて言った。
「敢えて訊ねるが、
その使者を殺しておきながら
彼の城が降ってきたのは、何故だ?」
寇恂は言った。
「皇甫文は高峻の腹心であり
その計策を取り計らう所である。
こうしてやって来たが
意思を述べるに屈する様子がなく
間違いなく降伏する腹積りなどは
なかったであろう。
これを全うする事は則ち
皇甫文がその計を得るという事であり、
これを殺す事は則ち
高峻がその肝を失うという事だ。
だから降伏してきたにすぎない」
諸将は皆言った。
「(我々の)及ぶ所ではない」
遂に高峻を送って洛陽へ戻った。
(註釈)
頭の回転が早すぎる。
常人にはついていけない。
皇甫文は安定郡の皇甫氏?
皇甫嵩の系列かな。




