十一〜十三、長者の風格/諡号は威/閔業
11.
恂經明行修,名重朝廷,所得秩奉,厚施朋友、故人及從吏士。常曰:『吾因士大夫以致此,其可獨享之乎!』時人歸其長者,以為有宰相器。
(訳)
寇恂は経書に明るく、行いを修めていた。
得た秩禄は朋友、旧交のある者
及び従っていた吏士に厚く施した。
「吾は士大夫のお陰でここまで至れたのだ、
一人でこれを享けられようか」
と、常に言っており、
当時の人々はその長者ぶりに帰服して
宰相の器量が有ると見なした。
12.
十二年卒,謚曰威侯。子損嗣。恂同產弟及兄子、姊子以軍功封列侯者凡八人,終其身,不傳於後。
(訳)
十二(36)年に卒し、威侯と諡された。
子の寇損が嗣いだ。
寇恂の同母弟及び兄の子、姉の子で
軍功を以て列侯に封じられた者は
凡そ八人であったが、
その身を滅ぼしてしまい
後代へ伝わらなかった。
13.
初所與謀閔業者,恂數為帝言其忠,賜爵關內侯,官至遼西太守。
(訳)
当初、ともに謀った閔業という者は
寇恂がたびたび帝の為に
その忠烈について述べており
関内侯の爵位を賜って
官位は遼西太守まで至った。
(註釈)
俸給は知人友人部下に施す。
周囲への感謝を忘れない姿勢、大事ね。
36年、天下統一を目前にして
この世を去る。
諡は威侯。
諡法解によると
猛以剛果曰威。
猛以彊果曰威。
彊毅信正曰威
猛とか強とか毅とか
どっちかというと武官っぽい意味合い。
三国志だと馬超とか曹純に
贈られてる諡号だからね。
内政だけではなく戦闘こなせる
よい証左になりそう。




