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第13話

――ガガッ! カキーンッ!


 一瞬、何が起きたかわからなかった。

 長正の叫び声に一瞬われに返り、咄嗟に胸にさしていた桃の短刀を上に差し出していた!

 奇跡か火事場の馬鹿力か、桃の短刀が白鬼の剣を受け止めていた!

 それどころか、その鋭い刃先を断ち切った!

 

「おのれー!」

「胡蝶ー! やめろー!」


 白鬼が折れた剣をそのまま振り降ろしてきた!

 咄嗟に体を横に転がし難を逃れた!


「白鬼! よい! わらわがやる! お前は下がっておれ!」

「叔母上!」


 葵の上の手前まで転がっていったわたしへ、短刀を取り出した葵の上が刃先をこちらに向けて身構えた!

 もはやこれまで!

 衝撃に備え、わたしは目を瞑った!


――カキーンッ! ガガガガッ!


「ぎゃあっ!」

「誰だ! ぐっ!」


 何事かと目を開けると、そこには――刀を構えた紅鬼が立っていた!

 足元に葵の上と白鬼が倒れている。

 うしろから当て身をくらわしたのか、2人とも気を失っているようだ。


「おのれっ! 何者だ!」


 長正を羽交い絞めにしたまま小角が聞いた。


「帝の手の者だ! ずっとおまえたちの屋敷の地下道に潜んで動向を観察していた。昨夜からおまえたちの牛車を付けていたのは、その男だけじゃなかったってわけだ! もうすぐ連絡を受けて検非違使たちもやってくるぞ! この女たちの命が惜しくば投降しろ!」

「白鬼……葵……! くそうっ! もとはといえば、おまえたち源氏が……! いらぬ! いらぬわ! 源氏の男など、くれてやるわ!」


――ガッ! ドシンッ!


「わっ!」

「わああーっ!」


――ドシーンッ!

――バンッ! ドカドカドカドカッ!


「くそうっ! ちょっと! どけって!」

「す、すまない……」


 長正は小角に背中を蹴られ、紅鬼の上に覆いかぶさるように倒れていた。

 すぐにどいたが、小角は後ろの木戸を蹴り破り走り去ってしまった。


「ハアハア……先に女どもを縛り上げよう……」

「胡蝶! しっかりしろ! 怪我は……」

「ハアハア……大丈夫です。長正様こそ……」


 抱え上げられながらぼうっとした頭で長正を心配していた。

 長正の頬に手をやる。

 あたたかい。

 ほっとした。

 長正のまなじりがやさしく下がる。

 それを最後に――意識を手放した。


「胡蝶ー!」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 次に気がついたとき、襲芳舎の中だった。

 そばに美咲と夕顔がいた。


「ここは……」

「よかったー! 小桃! 少納言様が助けてくださったのよ! 紅鬼の連絡を受けて駆けつけた東夷様たちが葵の上と白鬼を引っ立ててきたわ!」

「そう……よかった……」

「胡蝶様……」

「夕顔……心配掛けたわ。ごめんなさい……」

「よくぞ……よくぞ、ご無事で……」


 夕顔は涙を流して喜んでくれた。

 わたしもとてもうれしかった。

 生きて宮中に帰れたことが。


 白拍子の屋敷で白い鬼に会った。

 恐怖のあまり気を失い、気がついたときは薪能で踊っていた。

 雷神像のある部屋で拾った桃の短剣だけは、肌身離さず持っていた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


「小桃……では、行くのか? しばらく帰らないつもりか?」

「はい……」


 わたしは気もしっかりして体調も戻ったため、東夷に暇をもらい吉野へ帰ることにした。

 長正から復縁を強く望まれているが断った。

 いろいろな事件に遭遇してすっかり疲れてしまった。

 東夷から謝礼金をたくさんもらえたので、それでしばらく暮らすつもりだ。

 吉野の里で和歌を教えながら生計を立ててもいいかもしれない。

 心はすでに、老齢の域に達してしまったようだ。


「ここに残って女房としてのんびり暮らすこともできるのだぞ? ときどきは桐壺の更衣のお相手などして……。更衣も残念がっておられたぞ」

「ありがとうございます。でも……しばらくはひとりで吉野の自然の中に浸りたいと思います」

「そうか……それもよいだろう……」

「やーい! ふられてやんの! おれがいてやるから、失恋の痛手に耐えろ!」

「紅鬼……その言い草はあんまり……」

「そうだ、そうだ。おれもいるだろ?」

「玉鐸……おまえ、まだ帰らないのか?」

「当分いるから、よろしく!」

「やれやれ……だが、一連の騒ぎで京の町はたいへんだ。玉鐸がいてくれると助かるな」

「だろ? 葵の上と白鬼は伊豆に島流し、元侍従の神官の息子も吉野の里で捕まった。小角は行方知れずだが……京の町も宮中も怪我人は出たが死者はなし。あちこち火事や爆発で壊れて修繕費が掛かるがな……。それも仕事が増えたと喜ぶ者もいて返って都が活気づいたじゃないか。災い転じて福となす、だろ?」

「まあな……結果よければすべて良しだな。侍従と美咲も婚姻を結んだし……」


 そうなのだ。

 なんと美咲は、いつの間にか冬嗣と付き合っていた。

 いつぞやの夜に侍従が襲芳舎の門前に立っていたのは、美咲と会うためだった。

 あんな女ったらしと言いながら、美咲は嬉々として嫁いでいった。

 夕顔を侍女に付けてあげた。

 優秀な彼女がいれば、恥を欠かずに立派な侍従の妻としてやっていけるはずだ。


「では、東夷様、玉鐸様、紅鬼、お世話になりました。わたくしはこれで……」

「小桃……いろいろとどうもありがとう。危険な目にあわせてしまって本当にすまない。何かあったら、いつでも頼ってきてくれ」

「小桃、がんばれよ!」

「小桃殿……あなたのような優秀な女性が田舎に引っ込むのはもったいないが……いずれまた噂を聞くことができるのでしょう。人より抜きん出るとは、そういうものよ……」

「どうもありがとうございました」


 わたしは深々とお辞儀をして襲芳舎を後にした。

 門まで歩き牛車に乗り込んだ。

 小さな風呂敷包みと桃の短刀を持ち、露草の単衣だけの軽装で。


 長正とはあれきり会っていない。

 何度か見舞いに訪れてくれたが、中には入れなかった。

 小桃が実は胡蝶だと知り、ひどく驚いていたそうだ。

 騙してしまったことは文で心から謝罪した。


――ギシギシギシギシッ、ギシギシギシギシッ……。


 京の町を牛車で揺られていく。

 にぎやかな家並みが段々と遠ざかり、道の脇に野草が生い茂りはじめた。

 終わりを向かえた露草が、ところどころ茶色く枯れて頭を垂れてお辞儀している。

 謝っているような泣いているような、物悲しい風景だ。

 露草殿もこのように寂しい様子なのだろうか。


――ギシギシギシギシッ、ギシギシギシギシッ……キイッ……。


 三日月が見えはじめた。

 突然に牛車が道の真ん中で止まってしまった。


「……どうしたのかしら?」

「少しお待ちを……」


 御者が降りて確かめにいく。

 もしや車輪に何か故障でもあったのだろうか。

 しばらくすると御者がもどってきた。


「侍女様……どうしてもあなた様でないとだめだと……」

「いまなんと? わたくしですか?」


 恐る恐る御簾の間から覗いてみると、道の真ん中に烏帽子を被った立派な装束の貴人がひれ伏している。

 何事か、恐れ多いとわたしはいそいで牛車から飛び出て貴人に駆け寄った。


「どうされましたか? どうか、お手を……あっ!」

「胡蝶……」


 頭を上げた人物は、なんと長正だった!

 やつれ果てた美しい面が月光に白く浮かび上がる。


「このような道の真ん中で、いったい何を……」

「胡蝶……戻ってきてくれ! 道端の露草に謝っていたところだ。わたしはこの草花にも劣る愚か者だったと!」

「立ってくださいまし! あなたにはなんの落ち度も御座いません! 以前も申し上げたとおり、別れは誰のせいでもございません。運命なのです。夢でも見たと思い……」

「いやだ! 胡蝶! わたしは今はっきりとここが現世だとわかっておるぞ! 胡蝶、好きだ! 心から愛しておる! 胡蝶のいない未来など、考えられない!」

「長正様……でも……」

「胡蝶の何もかもが好きだ! 愛している!」

「長正様……どうか、どうか、お手を上げてください!」


 わたしも一緒に地面にひざまずき、長正の手を取った。


「では、胡蝶……!」

「……わたしだって人間です。葵の上のことを聞かされ続けたこの半年間、どんなに辛かったことか……」

「胡蝶……すまない。もういちど露草に頭を……」

「よいのです! それに……過去6年間も葵の上のことは和歌で詠まされ続けましたから、慣れております」

「葵の上のことはもう……」

「幻滅なされたのでしょう? 葵の上は帝の前で大変な悪態を吐かれたとか……。たしかに彼女は悪女ではありますが、たいへんに憐れな女でもあります。母子で敵の帝と……」

「兄の小角と京の都を荒らしたのだ! 許しがたいことだ! 同情の余地などない!」

「それでも……哀れを感じます……」

「胡蝶……胡蝶がそう言うなら、そうなのだろう……」

「長正様……これからは、思っていることを素直に申し上げてもよろしいですか?」

「いいぞ! 胡蝶のそういうはっきりとした性格も好きだ! 胡蝶のすべてが愛おしいんだ!」

「……では、まずは一緒に吉野に参りませんか? わたくしは当分、京には戻りませんから、長正様も二、三日ゆっくりしていらしては?」

「行く行く! 行くぞ! 胡蝶と暮らせるならば、吉野にずっと居る!」

「フフ……お仕事に差し支えのない程度にしてくださいね?」

「胡蝶も……その……いずれは都に戻るのだよな?」

「さあ、それは……」

「胡蝶!」

「露草がまた咲く頃までには、戻って参りますわ」

「露草が……では、何度でも吉野に通うぞ!」

「まあ! それでこそ、露草の君ですわね?」

「胡蝶……では、参ろうか……」

「はい……御前様……」


 三日月が2人を明るく照らし出していた。

 手と手を取り合い牛車に乗り吉野を目指した。

 翌年わたしは露草殿に戻り、長正との間にできた子供を産んだ。

 露草のように小さく愛らしい息子だった。



(胡蝶後宮物語 ~小桃事件帳~ おわり)

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