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ビクトリアの相談事

 はじめのうちは心配事も多かった新生活は、予想以上に順調だった。

 暗号解読班の仕事は決して楽ではなかったが、チームメンバーは仲が良く、各自が尊敬しあって支えている。

 アルフレート邸での生活も慣れてしまえば快適そのもので、食事も睡眠の質も大幅に改善された。

 お陰でコゼットは以前よりも肌も髪もつやっつやになっており、身体も心なしか女性らしい丸みを帯びてきた、……ような気がしている。


「……またお父様からのお手紙ですか?」


 朝食を食べながら手紙に目を通していたコゼットに、ケネスが微笑ましい様子で問いかける。


「ええ、そうです。本当に心配性で。……私の心配より家の心配をした方がいいのに」

「良いお父様ですね。三日に一度の手紙は多すぎる気もしますが」

「私のことをいつまでも五歳くらいだと思っているんですよ」


 手紙を送るのもタダではないのだから、せめて二週間に一度くらいにして欲しい。

 困ったものだと思いながらも、手紙にしたためられた父の愛情が、コゼットの背中を支えているのも事実だった。


「今日はどのようにお過ごしになられますか?」

「そうね。お父様になにか贈り物を探しに行こうかしら」


 今日は週に一度の休日だった。

 基本的に暗号解読班自体に休日は存在しない。故にメンバーは交代で休みをとっているが、合計で6人しかいないため場合によっては数週間休みがとれない事もある。

 実際、班長であるマルシオは仮眠室に泊まり込んでいる事が多かったが、まだ若いコゼットには出来る限り週に一度の休みを捻出できるように、皆が協力的だった。

 コゼットとケネスが予定を立てていると、執事が遠慮がちにドアをノックして入ってきた。


「失礼いたします、コゼット様。実はその、コゼット様にご面会を希望されている方がいらしております」

「私に? どなたですか?」

「はい。ビクトリア・モラレス子爵令嬢でございます」


 コゼットとケネスは驚いて顔を見合わせた。

 ビクトリア・モラレスと言えば、淑女寮にてコゼットの実家を侮辱した張本人である。当然、彼女が訪ねてくる理由は何一つ見当たらない。


「お断りしても宜しいかと。事前に連絡もなかったことですから、失礼には値しません」


 ケネスが気遣うように声を投げてきたが、コゼットは緩く首を振った。


「いえ、会います。……会わないと、しばらく気になってしまいそうだし」


 執事に頼んで客間を準備してもらい、ケネスを伴って赴けばビクトリアは慌てて椅子から腰を上げた。

 その顔は見るからに焦燥が滲んでいる。


「……マイヤー男爵令嬢、突然の訪問に関わらずお時間をとって頂き、……」

「モラレス子爵令嬢、堅苦しい挨拶は不要です。どうぞおかけください」


 青ざめた顔からただならぬ事態を察知し、コゼットはすぐに着席を薦める。

 おどおどしていた以前の印象とは違うコゼットの堂々とした立ち振る舞いに、ビクトリアが一瞬息を呑むのが分かった。


「貴女が私を訪ねてくるなんて、何があったんですか?」

「その前にわたくし、貴女にちゃんと謝罪をしておりませんでした。あの時はその、……軽々しく口にすべきでない事を申し上げました。心よりお詫び申し上げます」

「……分かりました。謝罪を受け入れます」


 コゼットは素直に頷いた。

 正直に言えば驚いてはいる。ビクトリアは学園で以前からよくコゼットに絡んで来た相手だった。確かに淑女寮の一件はビクトリアに非があるものの、生徒同士の軽口の範疇と流されても不思議はない程度だ。

 あの時は、コゼットが真っ向から言い返した事で、ビクトリアは恥をかかされた形になったのだ。

 にもかかわらず、こうして謝罪に来ることは簡単な事ではなかった筈だ。


「それで、今回はいったいどうしたんですか? 謝罪以外になにか、私に話すべき事があって来たんですよね?」

「ええ、……その、どこから話して良いのか」


 ビクトリアは青白い顔のまましばし言葉を探していた。

 やがて大きく深呼吸をすると意を決した様子で口を開く。


「実はその、学園で噂になっているのです。……貴女が、……アルフレート閣下の弱みに付け込んで、邸宅に居座っている、と。

 そしてその噂の出所がわたくしであるとまことしやかに囁かれているのです」


 その言葉に、急な来訪の合点がいった。

 アルフレート家が弱みに付けこまれている等という噂は、辺境伯に対しての侮辱である。

 その噂を流した張本人がビクトリアだと囁かれているならば、モラレス子爵家はアルフレート家に敵意を持っていると表明しているようなものだった。


(ターゲットを叩くために偽情報を流し、無関係な第三者に罪を被せる……古典的だけど悪質なプロパガンダだ)


「モラレス子爵令嬢は、その噂に一切関与していらっしゃらないのですね?」


 念のために確認すると、ビクトリアは慌てて首を振った。


「疑われる理由はよく分かっています。疑われるような隙を作ってしまったのもわたくしです。……噂を払拭する事が出来ないのも、わたくしの落ち度です。

 貴女を侮辱したわたくしが、貴女を頼る事がいかに厚かましいかもよく理解しております。ですが、……」

「正しいご判断です、モラレス子爵令嬢。噂を流した人物が別にいるとするならば、モラレス家がスケープゴートとして処断されるのはアルフレート家にとっても不利益になり得ます」


 コゼットが力強く言い切り、ケネスに同意を求めると、ケネスもまた静かに頷いた。


「頂いたお話は私からジェイド閣下にお話し致します」

「ありがとうございます。わたくし、……貴女にあんなに意地悪を言ったのに、……ごめんなさい、本当に」


 ビクトリアは何度も御礼を言いながら去っていった。

 後に残ったコゼットとケネスは脱力して大きく息を吐く。


「まさかそんな噂が出回っていたなんて」

「よほどの愚か者でなければ信じないとは思いますけれどね。あのジェイド様が弱みを握られているだなんて」

「ですよねぇ」

「弱みじゃないものは握られているかも知れませんが」


 独り言のように呟くケネスに、コゼットは首を傾いだ。


「それにしても誰がそんな噂を流したんでしょうか?」

「思いつくのはカパルディ公爵家ですかね。カパルディ元帥と言えば中央軍部で最も発言力のある方ですが、ご存じの通り、リヴォルタ連合との戦争が泥沼化した事により、ジェイド様が中央に招かれてからは求心力が低下しています。

 何とかしてジェイド様の評判を下げようと画策していたとしても不思議ではありませんね」

「そんなみみっちい事してるから求心力が下がるんじゃ……」

「ごもっともです」


 ケネスは声を上げて軽やかに笑う。


「とにかく、モラレス子爵令嬢の件は私からも調べて、きっちり裏どりをとっておくのでご安心くださいませ」


 そこでひとまずビクトリアの件は棚上げとなった。





 一方、暗号解読班でも新たな問題が浮上していた。

 休日だった筈のコゼットだったが、午後になり緊急呼び出しがあり本部に向かったところ、マルシオが大きな体をいつも以上に小さく丸めて待っていた。

 他のメンバーたちも一様に覇気を失っており、机に突っ伏している者もいる。


「な、何があったんですか?」


 恐る恐るコゼットが尋ねると、マルシオは叱られた大型犬のように項垂れる。


「それが、なぁ、……どうも暗号のキーが変わったようで、解読が出来なくなったんだ。それで、みんなでコゼット嬢が休みの間に新しいキーを見つけ出して自慢してやろうって話していたんだがな」

「……見つける事が出来なかった?」


 言葉の続きをコゼットが問いかけると、一同は深いため息とともに頷いた。


「それで、その、軍の機密事項となりゃ意地を張って引き延ばす訳にもいかんという事になってな。休み中にも関わらず呼び出す事になっちまって」

「――、そっか、……良かったぁ~」


 そこまで聞いたコゼットは安堵して息を吐き出した。


「良かったです! 暗号を間違えて被害が出ちゃったとか、そういう恐ろしい話じゃなくって安心しました!」


 あっけらかんとしたコゼットの言葉に、机に伏していた者たちも顔をあげる。


「それじゃあ新しいキーを一緒に探しましょう。まずは、暗号文を見せて貰えますか?」


 新しい暗号はすでに木製のボードに貼りだされていた。

 それらは複数あったものの、どれも短いものばかりだった。

 暗号解読において、文章の短さは格段に難易度を上げてしまう。文章が短ければ、特定の文字列の繰り返しや統計的な偏りが浮かび上がって来ないからだ。


「う~ん、これだけ短文だとパターンを見つけるのは難しいかも知れないですね」

「実は、一つだけなんだが、3文字の繰り返しが見つかっているんだ」


 席を立ったのはコランで、異なる暗号文の同じパターンの文字列に印を付けていく。


「……なるほど。別々の命令文で同じパターンが出ているということは、今回も同じ暗号キーを使い回していますね」

「ああ。だが一つの文書内での繰り返しではないから、文字列同士の間隔を見比べても周期の法則性が掴めなくてな」

「でも、どちらも短文の序盤に出てきている。文字列の組み合わせが3文字だからといって、キー長も3文字とは限らない。……前回のキーが3文字だったから、文字数を一気に増やす事はしない筈。敵軍の運用の混乱を考えても、おそらく4文字、あるいは5文字じゃないかと」

「なるほど! キーの長さが分からない段階で詰まっていましたが、敵軍の心理と運用コストを考えれば合点がいきますね」


 コランが膝を打つと、コゼットはニヤリと笑って頷いた。


「キーが短いなら、文章を4文字や5文字の周期で並べ直せば、わずかでもアルファベットの頻度に『偏り』が出るはずです。ダメ元で4文字と5文字で重なり指数の計算を試してみましょう!」

「分かった!」


 途端に元気を取り戻したのはマルシオだった。


「それじゃあ二班に分かれて行う! コゼット嬢、コラン、それと自分は4文字区切りを調べる。残りは5文字区切りだ!」

「狡いですよ班長! コゼット嬢と組んで楽しようとしてるんじゃないですか?」


 茶々を飛ばすメンバーも、さっきまでの気力の無さはどこへやら、すっかりやる気に満ちている。

 その軽口も数分後には聞こえなくなり、ただテーブルの上をペンが走る音だけが響いていった。


 そうして、陽が傾きかけた頃には、ついにキーの文字列が「5文字」であるところまでたどり着いた。

 コゼットはそのまま暗号キーの特定に挑もうと机に齧りついたが、迎えにきたケネスによってあっさり引き剥がされる。


「はいはい、マイヤー男爵令嬢は家に帰りましょうね~。これ以上お引き留めすると、休日に連れ出した挙句に残業させたと私の首が飛びますので。……それじゃあまた明日の朝に伺います、よろしくお願いしますね」


 にこやかに挨拶するケネスに、解読班のメンバーはまだギラギラと興奮した目をたぎらせながら手を振った。

 コゼットとしても、解けかけている暗号はお預けを食らったご馳走のようなもので、じたばたと抵抗したものの、ケネスに引きずられるようにして屋敷に帰宅することとなったのだった。

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― 新着の感想 ―
そりゃ、仕事ではあるけどそもそもが そういう暗号解読やパズルとか 多分大好きな人なんでしょうから、 途中ではい止め〜っていうのは 乗ってきてこれからって時お預け くらうようなものですよね… 数学的な…
コゼットもしかしたらワーカホリック?
解読班の紹介はしないのかな 今やらないということは二人以外はモブということか
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