あなたとダンスを
カパルディの失脚により、グラン・アルスター海軍は速やかに撤収していった。
これによりリヴォルタ連合軍との戦争は事実上の停戦となり、当面の間は大きな衝突が起こらないであろうことが予想されている。
取り調べを受けることとなったカパルディは、以前からグラン・アルスターの密偵から執拗な接触があったと自白した。このままでは一族郎党、鋼鉄の二翼に蹂躙される――そう囁かれ、相次ぐ失敗で追い詰められた末の断腸の思いによる裏切りだったという。
帝国側の被害を抑える敗戦交渉を取り付けていたと弁明したものの、むろん国を売った罪が許されるはずもない。
結局のところ、カパルディはグラン・アルスターの謀略に利用されたに過ぎない。だが、グラン・アルスター側はこの働きかけを「事実無根」と真っ向から突っぱねた。
さらにグラン・アルスターは「カパルディは『帝国軍は連合国側に勝利した勢いに乗りグラン・アルスターへの即時侵攻を企てている』と偽の情報を持ち込み、我が国を混乱させようとした。我が軍が動いたのは防衛上の理由であった」と、鮮やかな詭弁を弄したのである。
結果として、カパルディは自国と敵国の双方から梯子を外され、孤立無援の窮地へと突き落とされることとなった。後日、厳しい沙汰が下ることは明白であった。
そんな中、帝都では皇子主催による華やかな『諸将慰労夜会』が開催される運びとなった。
カパルディが抜けた空席を巡り国内が動揺していないことを諸外国に示すためのものでもあり、文字通り、度重なる戦乱に疲れ果てた諸侯を労うためのものでもあった。
その日、並み居る諸侯を迎えるべく解き放たれた王宮は、帝国の栄華を凝縮したごとき豪華絢爛を極めていた。
見上げるほどに高く、壮大な宗教画の踊る天井からは、無数の燭台が星々の如く煌めき、眩いばかり光で満たしている。
石造りの壁面を埋め尽くすのは、繊細な金糸銀糸で織り上げられた巨大なタペストリーや、戦地から持ち帰られた燦然たる美術品の数々。それらは自国の圧倒的な威光を誇示するように鎮座していた。
漆黒のベルベットやシルクを纏い、厳粛な威厳を漂わせる男たち。その重厚な闇の佇まいとは対照的に、貴婦人たちは咲き誇る春爛漫の花園のごとく、幾重ものシルクと本真珠、ダイヤモンドの光彩を揺らめかせている。
長く連なるテーブルの上には、王宮の威信をかけた肉料理の山や、大洋を渡ってきたばかりの珍しい海鮮が輝く銀器に盛りつけられていた。さらに新大陸からもたらされた超高級品、――舌が熔けるほどの砂糖とスパイスを効かせた甘美なホット・ショコラの芳醇な香りが空間を満たし、この世の贅を尽くした品々が惜しげもなく並べられていた。
「コゼット・マイヤー騎士爵、ご入場です」
紋章官の朗々とした声が響き渡り、本日の主役の一人であるコゼットが会場に姿を現す。
父であるエラディオのエスコートを受け、会場へ足を踏み入れるその姿に、一斉に皆の視線が集まった。
コゼットが纏うドレスは、彼女の知らぬ間にジェイドが仕立てさせ、贈ったものであった。
純白を基調としたドレスは決して華美に過ぎないものの、幾重にも重なった繊細な手編みのレースは、帝都の富豪であっても滅多に手が届かない最高級品であることが一目で分かる。
咲きかけの蕾のように少女の面影を強く残すコゼットに対し、あえて女性らしい体型を強調するのではなく、自由に舞えるしなやかさを残した仕立てにより、歩むその姿はどこか妖精のようでもあった。
そして何よりも周囲の目を奪ったのは、胸元で気品ある光を放つ大粒のブルーダイヤモンドであった。
いまだコゼットとジェイドは正式な婚約を結んではいなかったが、その一石を見れば、そこにいかに深く激しいジェイドの偏愛が込められているかを誰もが悟ったことだろう。
――そして、そのドレスを贈った張本人は、穏やかな笑みをたたえてコゼットを出迎えた。
黒の衣装には金糸によって繊細な刺繍が施されており、立ち並ぶ多くの諸侯の中にあっても、ただそこに佇んでいるだけで周囲の視線を独占する。銀色の髪は、会場を照らす無数のろうそくの光を淡く反射し、まるで地上に月が降臨したかのように神秘的な輝きを放っていた。
近寄り難いほど、触れることすら躊躇われるほどの美貌。
そんなジェイドが、誰も見たことがないほど慈愛に満ちた表情を浮かべ、コゼットだけをまっすぐに見つめている。その眼差しは胸元のブルーダイヤモンドよりも遥かに雄弁に、彼の深い愛を物語っていた。
そっと手を差し伸べるジェイドに対し、エラディオは少しばかり不満そうにごねて見せたものの、最後には愛娘のエスコート役を譲り渡した。
やがて全ての諸侯が入場を終えると、皇子が壇上へと立つ。
「よく集まってくれた。周知の通り、我が帝国内には長き歴史の中で錆が生じていた。その錆は我が国を蝕み、少しずつ腐食させようとしていたのだ。だが今、錆は払拭され、エスカラーダという刃は以前よりも遥かに鋭く輝きを増した。
諸君、これは終わりではない。戦いはこれからも続くだろう。だが私は何一つ憂いてはいない。諸君らもまた、同じ気持ちであるはずだ。
今宵はしばし戦を忘れ、歌い、踊り、我が国の栄華に酔いしれようではないか!」
その言葉が終わると同時に万雷の拍手が湧き起こり、楽団が優雅で重厚な宮廷音楽を奏で始めた。
「コゼット・マイヤー騎士爵。……戦勝祝賀会ではないが、私と踊っていただけるだろうか?」
ジェイドが熱のこもった視線を重ねると、コゼットは花がほころぶような愛らしい笑みを咲かせた。
「はい、ジェイド・アルフレート辺境伯。喜んでお受けいたします」
重ねあった指先を絡め、握り、ジェイドの片手がコゼットの腰を引き寄せる。
軽やかにステップを踏み出す二人に、周囲の貴族たちは穏やかに距離を空け、誰もが今宵の主役たちの眩い舞踏に見惚れていた。
諸侯たちに混じって立つフランチェスカの傍らには、マルシオと、そして無事に療養を終えたテオバルトが静かに立っている。
ビクトリアは、ジェイドのあまりの美しさに卒倒しそうになりながらも、扇で口元を押さえて過呼吸になりかけた呼吸を必死で整えようとしていた。
エラディオは誇らしげにコゼットを見つめながら、誰にも聞こえぬほど小さな声で今は亡き愛妻へ言葉を囁き、娘の輝かしい瞬間をその目に焼き付けている。そんな彼の震える肩を優しく叩き、飲み物を手渡すのはケネスで、じきに酒を飲みながら泣きつくであろうエラディオの介抱役に回る未来が見えていた。
そして、もう一人の功労者であるはずのディエゴは……愛し合う二人に舞台を譲り、静かに壁際に佇んでいる。その隣ではロドリゴと、新しく支給された正装の軍服を心底窮屈そうに身に纏うマスティノの姿があった。
「――今宵のジェイドさんは、会場の誰よりも美しいですね」
うっとりとした口調で囁くコゼットに、ジェイドは困ったように眉尻を下げる。
「またお前は、私の台詞を先取りしようと言うのか? この場において最も美しく輝いているのはお前だ、コゼット嬢。他のいかなる輝きであっても、私の心に火を灯すのはお前のその瞳だけだ」
「ふふふ……嬉しいけれど、なんだかくすぐったいです」
いつの間にか一曲目の音楽は終わり、二曲目が始まっていたが、コゼットとジェイドはそのことに気づいてすらいなかった。
ただ互いだけを見つめ合い、それだけで世界が満たされていく。
絢爛豪華な宮廷の装飾も、ジェイドを前にしてしまえば、すべてがただの背景へと霞んでいく。
「コゼット嬢、私から……君の言葉を告げても構わないだろうか?」
「私の言葉、ですか?」
「ああ。……コゼット、私の生涯のダンスパートナーになってほしい。今宵を終えても、明日の朝日が昇っても、この先に続く千の夜も……ずっと私の傍らにいてほしい」
「……ええ、ジェイドさん。これから先、一生涯をかけて、私があなたを守り続けます」
見つめ合う視線を強く見返し、凛とした声で告げるコゼットに、ジェイドはまたもや驚きに目を丸くした。
「……コゼット嬢、それは……本来、私の言うべき台詞だろう」
「いいじゃないですか。他の誰かの常識なんて関係ありません。私がジェイドさんを守りたいんです」
「まったく……本当に、お前といると退屈することがなさそうだな」
「ええ、ジェイドさん。あなたの猟犬は、絶対に退屈なんてさせません」
「願わくば……次は『猟犬』ではなく、『伴侶』と名乗ってほしいのだが?」
どこか甘えるように、だが愛おしそうに目を細めるジェイドに、コゼットはこくりと首を傾けた。
そうしてにんまりと笑うと、端正な顔を両手で優しく包み込む。
「分かりました。そうしましょう。私はあなたの『伴侶』――あなたと生涯を共にします」
その一言にノックアウトされたジェイドの頬が、見る間に朱に染まっていく。
軽やかに笑いながらステップを踏むコゼットと、動揺のあまり一瞬足を踏みそうになるジェイドの有様に……最早誰も、彼を『冷徹辺境伯』と呼ぶことはないだろう。
夜が更けるまで、華やかな宴は続いていく。
そして夜が明けたその先も、二人の軽やかな舞踏と幸せな旅路は、どこまでも続いていくのだった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。コゼットとジェイドの物語はお楽しみ頂けましたでしょうか?この物語が少しでも心に響くものがあったならば幸いです。
作者自身の感想や今後の活動に関しまして、活動報告を更新しておりますのでそちらをご確認下さい。
また別の物語でもお会い出来ますことを心より願っております。




