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血を流さぬ争い

 作戦は滞りなく進行していった。

 ケネスとロドリゴの手により、連合軍側が使用している羊皮紙、印章、さらにはインクに至るまでが寸分違わず取り揃えられ、コゼットはそれらを用いて『完璧な偽暗号文』を組み上げた。

 オロスコ伯爵家の動きはビクトリアとフランチェスカによって逐一報告されており、機を見計らって、これまたケネスとロドリゴの手で暗号文のすり替えが密かに行われる。

 その間にジェイドは帝都への帰還を果たし、皇子との単独面会を取り付けることに成功していた。

 ジェイド曰く、皇子自身もまた昨今のカパルディの不可解な動向を疑っていたものの、尻尾を掴めずにいたのだという。それ故、ジェイドが提示した「現行犯で追い詰める」策には即座に合意がなされた。


「あの、今更こんな事を聞くのは遅すぎるとは思うのですが……これで本当に良かったんでしょうか? ジェイド閣下やディエゴ提督にも何か作戦があったのではないですか?」


 最終的な打ち合わせが行われた会議の場で、コゼットは遠慮がちにジェイドへ向かって切り出した。

 問いかけを受けたジェイドは微かに瞳孔を見開き、そして柔らかく相好を崩す。


「構わない。お前の言う通り、私にも……そしてディエゴにも秘めたる策はあるだろう。だが、我らが得意とする盤面は戦場だ。故に、その先に勝利を得られたとて、それは血生臭いものとなるであろう」


 ジェイドの言葉にディエゴもまた穏やかに頷いた。


「俺自身、貴女が立案をしなければ自ら動くことを考えていた。しかしそれはジェイドの言う通り、多くの犠牲を強いる結果になっただろう。だが、俺とて無為な血を欲することはない。より少ない犠牲で済むのであれば、その道を選びたいと思っているさ」


 鋼鉄の二翼の言葉にケネスとロドリゴもまた深く頷いて同意を示す。


「コゼット嬢、胸をはってくれ。血を流さぬ争いとは何よりも尊いものなのだ」


 囁くように告げるジェイドの声には彼が歩んできた道の過酷さを物語り、深い悲しみが見え隠れする。

 コゼットはジェイドの言葉をゆっくりと噛みしめながら頷いた。






 そうして、来たる夜。

 ラーガ港は、皇子の密命を受けたディエゴ率いる海軍により、秘密裏に封鎖されていた。

 オロスコ伯爵やグラン・アルスターの密使が異変に気づいた時には、すでに身柄を拘束された後だったのだ。

 万全に張り巡らされた網は、あとは獲物であるカパルディがのこのこと足を踏み入れてくるのを待つばかりだった。


 その夜は風も凪ぎ、夜空には美しい満月が浮かんでいた。

 蒼い月明かりに照らし出された港町へ、豪華な――しかし何故か家紋が削り落とされた馬車が滑り込んでくる。

 街並みはひっそりと静まり返り、まるで誰もが死んだように眠っているかのようだった。

 馬車はそのまま、夜の港の桟橋へと向かって走っていく。

 硬い蹄の音と車輪の軋みだけが、夜のしじまに空々しく響いていた。


 港の沖合には幾筋もの船舶の影が浮かんでいたが、カパルディはそれをさして疑問にも思わなかった。

 ラーガ湾は規模の小さな港町だ。大型船であれば順番待ちを強いられることも珍しくはない。

 あるいは彼がもっと用心深く沖を注視していれば。

 それが商船などではなく武備を整えた軍艦であることに気づけたかもしれない。

 だが、いくら月明かりがあるとはいえ、帆を畳んだ夜半の船影が軍艦だと見抜くなど、死線を潜り抜けてきた武官か手練れの航海者でもなければ不可能であった。


 馬車から降り立ったカパルディは、その突き出た腹をポンと叩いた。

 なんてことはない、彼の常日頃からの無意識の癖である。

 だがその音が妙に高く夜風に響き渡った気がして、カパルディは不快そうに首をすくめ、きょろきょろと周囲を見回した。


「おい、さっさと降りてこい!」


 馬車の中へ声をかけると、のろのろと姿を見せたのは彼の細君と子供たちだった。

 強行軍の馬車旅に疲れ果て、家族の顔はすっかり不機嫌に歪んでいる。

 特に子供たちは、自分たちがなぜこんな深夜に逃げるように移動しなければならないのかを全く理解していなかった。

 ふてくされて歩みを遅らせる子供らを、カパルディが苛立ち紛れに急かす。

 ――その行く手を、月明かりを背に受けた一人の男が静かに遮った。


「こんばんは。良い晩ですね、カパルディ元帥」


 まるで舞台役者のように優雅にお辞儀をして見せたのは、ディエゴだった。

 その背後からは、右腕であるロドリゴと、『狂犬』マスティノがのっそりと姿を現す。

 カパルディは息を呑んだ。

 最高司令官の立場にある彼とて、護衛もなしにディエゴと直面する危険は熟知している。己がどれほど彼から恨みを買っているかも、痛いほどに自覚していたからだ。

 慌てて踵を返し、逆方向へ逃れようとしたカパルディの視界を、今度は月光に透ける美しい銀髪を揺らしながら、ジェイド・アルフレートが遮った。


「これはこれは……カパルディ元帥。こんな夜更けに、どちらへお出かけですか?」


 ここに至って、流石のカパルディも自身が仕組まれた罠にハマったことを悟った。だが、彼もまた伊達に軍部の頂点に君臨していたわけではない。

 彼は己の身分と、そこに付随する絶対的な特権を熟知していた。


「……フン、ジェイド・アルフレート辺境伯、ならびにディエゴ・アゾール提督か。陸海のトップが揃って夜の散歩とはな。……私はそのような演習命を出した覚えはないぞ。ただちに本部へ帰還せよ」


 カパルディは帝国軍の最高司令官である。ゆえに絶対的な階級制度のもと、彼の命は絶対だ。

 その地位が正式に剥奪されない限り、ジェイドもディエゴも彼に手を下すことは即座に『重大な反逆罪』を意味する。

 だがジェイドもディエゴも、その場から一歩も動こうとはしなかった。

 カパルディは忌々しそうに舌打ちをしながらも、再び桟橋の先へ視線を向ける。

 目指すグラン・アルスターの船はすぐ目の前だ。あそこにさえ乗り込んでしまえば……最悪、船内にいるグラン・アルスターの特使が『治外法権』を主張して自分を保護してくれるはずだった。


「道を開けろ! 命令だ!!」


 一喝するカパルディに、ディエゴはわざとらしく溜息をついて身を引いた。ロドリゴもまたそれに倣ったが――マスティノだけは、微動だにせず立ち塞がり続けた。


「おい、聞いているのか! 私はエスカラーダ帝国最高軍事司令官、カパルディ元帥である! 全ての軍人は我が命令に絶対服従――」

「あ゛? 忘れたのかよ。俺をその『軍人』とやらに認めねぇと言ったのは、テメェだろうが」

「な……んだと? 貴様、何者だ!?」

「『復讐せし者(ヴェンディカトーレ)』の狂犬、マスティノだ。ま、覚えなくても構わねぇがな」

「っ、この海賊め! この者を捕らえ――ッ!」


 ドスっ、と鈍い音が響き、マスティノの鉄塊のような拳がカパルディの顔面を真っ向から叩き潰した。

 もんどり打って地面に転がったカパルディは、鼻血を撒き散らしながら慌ててディエゴへ助けを求める。


「お、おい……ディエゴッ! 我が命令だ、この狂人を叩き斬れッ!」

「おや、波の音で命令がよく聞こえませんでしたね。恐れ入りますが、もう一度復唱願えますか?」


 涼しげな顔でぬけぬけと言い放つディエゴを後目に、マスティノはカパルディの丸々と肥えた腹へ容赦なく蹴りを叩き込んだ。

 カパルディの妻と子供たちは、悲鳴を上げて互いを抱き合い、成す術もなくガタガタと震えるばかりだ。


「――そこまでだ」


 重厚で厳かな声が夜の港に響き渡った。

 静まり返っていたはずの街並みの影から、一斉に松明が焚かれ、帝国親衛部隊がズラリと姿を現す。

 整然と居並ぶ兵たちを引き連れて歩み出てきたのは、皇子その人であった。

 その傍らには、隙のない正装に身を包んだコゼットが静かに付き従っている。


「こ、……皇子様!!!! お助けください! この蛮族どもが、私に不当な暴力を……!」

「黙れ」


 一刀両断するかのような、冷徹極まる一言。


「貴様がグラン・アルスターと通じていた事実は、すでに調べがついている。何より、この深夜に密かにこの場へ現れたこと自体が何よりの証拠だ。申し開きがあるならば言ってみよ」

「ご、誤解でございます! 私はただ、この港の防備を視察に来ただけで……決して敵国への内通など……!」

「では何故、貴様の馬車からグラン・アルスターの密書が出てくるのだ?」


 港に乗り捨てられた馬車を改めさせていた親衛部隊の長が、一通の羊皮紙を皇子へ差し出す。皇子はそれをそのまま、傍らのコゼットへと手渡した。


「何と書かれている?」

「はい……『御身に危険が迫っている。連合軍側で身柄を保証するため、ラーガ湾へ来られよ』とございます。用紙も連合軍側が使用している特殊な羊皮紙に間違いありません。公式な印章も押されております」

「だ、黙れッ! 貴様、その小娘が私を謀ったのだな!?」


 目を血走らせて叫び散らすカパルディの前に、コゼットと皇子をかばうようにしてジェイドが立ちふさがった。その瞳は氷のように冷ややかだ。


「皇子様! お聞きください! この密書は、その小娘が私を陥れるために捏造した偽物です!」

「だとしたら、――なんだ?」

「……へ?」

「答えよ。仮にそれが偽書だとしたら、なんだと言うのだ? お前は『敵国の印章が押された密書』の指示に従い、一兵の護衛も連れずに深夜この場にやってきた。その事実を、一体どう説明するつもりだ?」


 ことここに至って、カパルディもようやく思い知らされた。

 皇子の地位は揺るぎない。皇子はただ与えられた立場に甘んじる男ではなく、情勢を見極め、国にとって害となる膿を容赦なく切り捨てる冷徹な政治家なのだ。

 何よりカパルディと決定的に異なるのは、皇子が国を捨てる選択などあり得ないということ。

 敵国へ逃亡しようとした売国奴の味方になる理由など、万に一つも存在しないのだ。


「父帝より委ねられし全権をもって、これよりカパルディを元帥の職から解任する。――反逆者を捕縛せよ」


 静かに下されたその命令は、カパルディに残されていた僅かな希望すらも打ち砕いた。

 カパルディは今度こそ崩れ落ちるように地面へ伏し、その傍らで家族たちは、未だ現実を受け入れられないように呆然と口を開けていた。





「このたびは、わざわざご足労いただき心より感謝申し上げます」


 深々と頭を下げるジェイドに対し、皇子は緩やかに首を振った。


「構わぬ。実に愉快な茶番であったな。なかなかに楽しめたぞ。……あの男は、最も敵に回してはいけない相手を読み違えたようだ」


 そう言って皇子から不意に視線を向けられたコゼットは、突然のことにビシリと身体を硬直させた。


(え……!? 私……!!????)


 助けを求めるようにジェイドやケネスの顔を見回すものの、当の男たちはみな、我が意を得たりと言わんばかりの穏やかな笑みを返してくる。


「そ、……その、ええと、きょ、恐縮です……!」

「そなたらのおかげで、帝国の膿を削ぎ落とすことができた。私からも礼を言おう」


 微かに満足げな笑みを浮かべると、皇子は優雅に踵を返し、親衛部隊を引き連れて歩き出した。

 桟橋の先に用意されていた豪華な馬車へ乗り込むと、来た時と同じように速やかにその場を立ち去っていく。

 皇子の一軍が見えなくなるまで見送った後、港に残された一同は、ホッと大きな息を吐き出した。


「いやはや……これほどまでに予想通りに動いてくれるとはな」


 呆れたような声を漏らすジェイドに、ケネスが「まったくです」と肩をすくめて応じる。

 ディエゴも深く同意を示しながら、先ほどまで暴れていた『狂犬』へと振り返った。


「それにしても、行く手を阻めとは言っておいたが、殴れとは言っていないぞ?」

「あ゛? 一発くらい殴った方が良かっただろうが」


 口をへの字に曲げて「ちげぇのかよ」と不満そうに言うマスティノに、真っ先に同意を示したのは、意外にもジェイドだった。


「……そうだな。あれは、実に胸のすく瞬間であった」

「まあ、一発どころじゃありませんでしたけれどね」


 ケネスが冷静に言葉を足し、ロドリゴが苦笑しながら頷いた。


「でも確かに、すっごくスカッとしました!」


 コゼットまでが満面の笑みで同意を示すと、ディエゴも降参と言わんばかりに肩をすくめるしかなかった。

 それを受けて、マスティノは得意げに鼻を鳴らしたのだった。

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― 新着の感想 ―
どうせカパルディに愛人と隠し子がいて、さっさと見つけ出して処刑しておかなきゃ 逆恨みして後々に災いをもたらすだろう。
元帥くん、売国奴だし現世からの退場になるだろうな 怒らせた相手がわるかったしね、仕方ないね
カパちゃん実はいい人、という展開は流石になかったか。
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