それぞれの本質
ディエゴ・アゾールと協力関係を結んで、二日が経過した。
サン・ミゲル港の海軍本部には、暗号解読班のメンバーであるコランとルーディが密かに到着していた。
班長のマルシオも行きたいとごねたらしいが、流石にトップの姿が消えればカパルディに勘繰られる。メンバーは必死に押しとどめたらしい。
ちなみにコゼットに関しては「ジェイドが行方不明になったショックで寝込んでいる」ということになっている。
こういう時、若き女性であるという属性は格好の隠れ蓑になるようだった。
大変遺憾ながら、帝都で公演された『氷の辺境伯と愛おしの男爵令嬢』で描かれた、恋する乙女のイメージが非常に役に立っている。
これを聞いたマルシオが、自分も「ジェイド閣下が恋しくて寝込んでいることにする!」と身をくねらせてごね倒したらしいが、こちらも当然のごとく却下されたそうである。
「正直、ちゃんとお話しする前のディエゴ提督は、かなり恐ろしい方だと思っていたのですが……ここに確信しました。提督は本当に仲間思いの方なのですね。本気で信頼していなければ、元海賊の皆さんを本部内へ招き入れたりしませんもの」
海軍本部を行き交う荒くれ者たちを見つめながら、コゼットは感慨深く呟いた。
その傍らに立つマスティノが、フンと鼻を鳴らす。
「この本部も、その“仲間思い”の提督さんがお貴族様から強引に巻き上げたもんだしなぁ?」
「失敬な。ちゃんとした話し合いの上での“平和的な合意”だっただろう? 仕方ないさ、以前の本部はあまりにも手狭だったのだから」
ディエゴもまた、以前の取り繕った空気から一転、寛いだ様子で軽口に応じた。
「でもそれも、ワ……いえ、皆さんがのびのびと生活できるために手に入れたわけですよね?」
ワンちゃん達が、と言いかけて何とか言葉を飲み込んだ。
しかし光景としては、過酷な路上生活を送っていた犬達が、ようやく屋根のある暮らしを手に入れたかのような、――ワンちゃん用のセーフハウスに喜んでいるようにしか見えないのである。
「カパルディ元帥との対立も、彼らを強引に処刑しようとしたことや、いまだ正規の軍人に認めようとしないことが原因なのですよね?」
正規の軍人として認められなければ、万が一捕縛された際に「海賊」としてその場で処刑されてしまうリスクが跳ね上がる。
ディエゴが激怒していたのは自らの利益のためではなく、己の部下たちを守るためのものであったのだ。
それを肯定するように、ディエゴはいつになく穏やかな眼差しで頷いた。
「陸の連中は俺たちを“湿っぽい”だとか言うけれどね、実際、俺たちは陸軍とはまったく質が違うのさ。
一度港を離れれば、数週間、時には数ヶ月も海の上で過ごすことになる。狭い箱の中で、まさに寝食をともにしながらね。
誰かが病になれば、それだけで船ごと全滅するかもしれない。食料も水も、すべてを等しく分け合わなければ死は目前だ。
なにより俺たちは、敵と砲火を交える前に、常にもっとも恐ろしい相手――“海”と向かい合っている。そこで育まれる絆は、時に血の繋がりよりも遥かに濃い」
「数ヶ月も海の上というのは、本当に大変そうですね……」
「そりゃあ酷いものさ。体もろくに洗えないし、髭を剃る余裕さえない。陸で帰りを待っている淑女たちには、とても見せられた姿じゃないよ」
軽やかに笑うディエゴは、けれど誇らしげでもあった。
こんな破天荒で男臭い姿をもしフランチェスカが見たらならば。……過呼吸を起こして倒れてしまうのではないだろうか。思わずそんな姿を想像して、コゼットは小さく肩を揺らした。
「……さて、それでは本題に入りますが、中央軍部はコゼット嬢の想像通りです。カパルディ元帥はジェイド閣下の救出作戦に関して、かなり慎重な動きを見せています」
暗号解読班のために用意された部屋で、各自が席につくとコランが口を開いた。
「まぁ、下手に動き回って兵を消耗させるよりはマシかもしれないな」
ディエゴが頷き、他の面々も同じように淡々とその言葉を受け止めた。最初から予想していた事であればショックは少ない。むしろ、早々に中央を離れた自分の判断が正解だったという答え合わせにもなっていた。
「ジェイド閣下に関しては、依然として情報なしです。つまり、連合軍側もまだ発見に至っていないと考えて問題ないでしょう」
「『モンテ・マル要塞』は切り立った崖の上に立っている。あそこは砦の地下に入り組んだ浸食洞があると聞いている。恐らく、要塞が攻め込まれた際に部下を連れて洞窟内に退避したんだろうな」
ディエゴは壁にはられた地図を見ながら静かに語る。
「要塞自体は連合軍側に奪われたが……崖の上という立地が、彼らにとってもじわじわと足枷になっているはずだ。敵陣のただ中で補給路を確保し続けるのは容易じゃない。
あの孤立した立地が、難易度をさらに上げているのさ。海から補給しようにも、切り立った崖が邪魔になるからね」
「……閣下は、まだ洞窟内部にいらっしゃるのでしょうか?」
コランの言葉に、ディエゴは考え込む様子で顎を擦った。
「ああ、連合軍としても一刻も早く離れたい所だろうが、肝心の将を、――ジェイドを落とせていないために離れるにも離れられない状況なんだろう。つまり、連合軍がとどまり続けていることこそ、ジェイドの無事を示しているともいえるだろうね。
ジェイドの側も持ち込める食料の量を考えれば、長期の籠城は分が悪いように思える。だが、洞窟内部にもいざという時のための非常貯蔵庫を用意していたはずだ。その場所を死守できていれば、粘り続けている可能性は高い」
「――では、ジェイド閣下は洞窟に身を潜めて、反撃のチャンスを待っていると」
身を乗り出すコゼットに、ディエゴは「恐らくね」と頷いた。
「ロドリゴ、グラン・アルスターの動きはどうだ?」
「相変わらずですよ。連中は『モンテ・マル要塞』の沖合で日光浴を楽しんでいます」
壁に寄りかかっていたロドリゴが、姿勢を正して報告する。
「あの……なぜグラン・アルスター海軍はあれほどの艦隊で来ながら、上陸して来ないのでしょうか?」
コゼットが遠慮がちに尋ねると、ディエゴは穏やかに頷いて応えた。
「彼らが“海戦のみに特化した艦隊”だからだよ。連中が戦えるのは海の上だけだ。上陸戦など最初から頭にないのだろう。
……だが、我が艦隊は違う。そうだろ、マスティノ?」
「当たり前だ。海賊ってのは、海から上がれねぇ人魚じゃねぇんだ。必要とあらば陸へも乗り込む。港だって襲う。奪えるもんは何だって大歓迎だ」
ここでもソファに寝転がっていた大型犬、……もとい狂犬マスティノが得意げに拳を突き上げた。
「威張れたことではないが……まぁ、そういうことだ。我が艦隊は陸軍と同じように、泥臭い戦いにも長けているのさ」
「なるほど……」
(つまりこの世界には、『海軍』は存在しても『海兵隊』が存在しないんだ)
コゼットの前世の記憶では、艦隊を運用する組織には海上戦を主とする『海軍』と、敵地に艦艇を乗り付けて真っ先に上陸戦を展開する『海兵隊』が存在した。
だが、この世界の海軍は海上での船対船の戦闘しか想定していないのだ。
「ということは……洋上のグラン・アルスター海軍は、これ以上『モンテ・マル要塞』へ手を出せないのですね?」
「そういうことだね。だから連中は呑気に干物になっているのさ」
「でも、ディエゴ提督の海軍なら……上陸戦もできる」
「ああ、もちろんだ。連合軍側の状況を探りつつ、海上から浸食洞へと侵入できる隠されたルートを探そう。……ケネス・ナバロ、君に潜入調査を任せてもいいだろうか?」
ディエゴから名指しされたケネスは、困ったように眉尻を下げる。
「自分に命令を下せるのはジェイド閣下のみですが……今回は承りましょう。ほかならぬ、ジェイド閣下をお救いするためですから。――ただし、自分が留守の間、必ずやコゼット嬢を守り抜くとお約束ください」
「“アゾールの鷹”の名に賭けて誓おう」
胸に拳を当ててディエゴが誓いを立てるのを見届け、ケネスは納得したように頷いた。
「……コゼット嬢、というわけですので、自分は暫く留守にいたします。私がいない間はディエゴ提督の指示に従い、突然飛び出していったりしないでくださいね」
「そ、そんな子供みたいなこと!」
「しましたよね。つい数日前に」
「……はい、しました」
自分が弾丸のごとくアルフレート邸を飛び出し、この海軍本部へと乗り込んできたことを思い出した。素直に認めるコゼットにケネスは浅く笑うと、スッとその場に片膝をつく。
「それでは、行ってまいります。必ずや吉報を得て戻ってまいります」
「分かりました。くれぐれも……」
「気をつけて」と言いかけて、コゼットは言葉を呑み込んだ。
ケネスは陰から主を支える暗部の人間であり、騎士である。その彼にかけるべき言葉は――彼の本質を考えれば、単なる身の安全ではない。無事を祈るだけの言葉は、彼の誇りに反するはずだ。
「――吉報をお待ちしております」
毅然とした声で応じるコゼットに、ケネスはどこか眩しそうに、そして誇らしげに目を細めたのだった。




