狂犬マスティノ
「コゼット・マイヤー騎士爵と申します! ディエゴ・アゾール提督に至急の用件につき、直々にお目通りを願います!」
『サン・ミゲル港』にある海軍本部の門前にて名乗りをあげるコゼットに、門番たちはひたすら戸惑っていた。
コゼットは今年で15歳になるが、同年代の淑女たちと比べても一回り身体が小さかった。一見すれば、戦場にはおよそ不釣り合いな幼い少女である。
だが、その身体にまとっている軍服は確かに、エスカラーダ帝国より正式に支給された士官のものであった。
そのあまりのミスマッチさに、門番たちの思考は完全にショートしていた。
「……おい、何があった」
木偶の坊と化した門番たちの背後から、ぬらりと顔を出したのはいかにも凶悪な面構えの男だった。
190センチを軽く越える巨躯。限界まで鍛え抜かれた体躯と、その顔面にまで刻まれた数多の傷痕が、ただでさえ恐ろしい風貌にさらなる凄みを与えている。
コゼットの目の前に立ちはだかれば、それはもはや人というよりも壁であった。
「コゼット・マイヤー騎士爵と申します。ディエゴ・アゾール提督に――」
「あ゛? 聞こえねぇなぁ」
上から降ってくる剣呑な声に、コゼットは一度口を噤む。
そうして一拍置くと、スーッと胸いっぱいに息を吸い込んだ。
その背後では、影のように付き従っていたケネスが、察したようにそっと両耳を塞いで目を閉じる。
「コゼット・マイヤー騎士爵と申します!!!!!!! ディエゴ・アゾール提督に至急の用件につき、直々にお目通りを願います!!!!!!!」
その咆哮は、とてもコゼットの小さな身体から発せられたとは信じられないほどで、びりびりと周囲の空気を震わせた。
目前にいた巨躯の男は、真っ正面からその大音量を浴びせかけられ、反射的に大きく目を見開く。
「な、……、は、ぁ?」
男の顔は、まるで見たこともない怪異に遭遇したかのような、純粋な驚きに染まっていた。
コゼットの全身をジロジロと見下ろしながら、「何だコレは?」と言わんばかりの顔をする。
その態度にコゼットがずいっと一歩前へ足を踏み出したところで、ギィイイと歪んだ音を立てて重い扉が開き、見覚えのある顔が現れた。
――ロドリゴ・アマドール。いつぞやディエゴと面会をした際、背後に控えていた男である。
「何の騒ぎかと思えば、……コゼット卿じゃありませんか」
ロドリゴの言葉に、巨躯の男は大きな溜息を吐き出した。
「てめぇの知り合いか?」
「自分の、というか……今、名乗っておられたでしょう? コゼット・マイヤー騎士爵ですよ」
「そうかよ。それで何だって? ディエゴの女にしちゃ、ガキ過ぎるだろう」
「だから騎士爵だって言ってるでしょう。滅多なこと言うと首が飛ぶからやめてくれって何度も……」
「あの!」
二人の会話に、コゼットが毅然と割って入る。
「お取込みのところ恐縮ですが、ディエゴ・アゾール提督にお目通り願えませんか?」
一歩も退かない眼光のコゼットに、ロドリゴは肩をすくめた後、わざとらしく胸に手をあてて恭しく一礼してみせた。
「かしこまりました。ご案内いたします」
「ありがとうございます」
ロドリゴの案内を受け海軍本部へと足を踏み入れる。
そこはかつてこの地を治めていた貴族の邸宅を改装して作られているようだった。邸宅を囲む外壁は厳めしく石を積み上げられているものの、門を潜れば帝都の軍部よりも遥かに豪奢な造りである。
正面玄関の大きなホールにはシャンデリアが吊り下げられ、高窓のステンドグラスが鮮やかな色彩を落としている。
だがその優美さに反して、廊下ですれ違う兵たちは、帝都の正規軍人とは似ても似つかない者たちばかりであった。……有体に言えば、飢えた野獣のような目をした凶悪な男たちばかりなのだ。
(そうだった。ディエゴ・アゾールは私掠船として海を荒らしていた海賊たちを降して、そのまま配下に入れたんだった……)
となれば。すれ違ったいかにも目つきの悪い男たちも、なぜか後ろをついてきている巨躯の男も、元々は海を荒らし回っていた海賊の可能性が高いだろう。
「ディエゴ閣下、入りますよ。コゼット卿が面会をご希望です」
ロドリゴが執務室のドアを叩くと、「通してくれ」と穏やかな声が響いた。
開かれたドアの先で、ディエゴは椅子から立ち上がり、相変わらずの品格と優雅さでコゼットを迎え入れる。
「ようこそおいでくださいました、コゼット卿。遠路はるばるお疲れでしょう」
「いえ……突然の訪問にも関わらず、面会に応じていただきありがとうございます。……あの、ええと」
コゼットが言葉を詰まらせたのは、部屋に入ってもなお、巨躯の男が無遠慮な視線をジロジロと投げかけてくるためだった。
明らかに警戒されている。縄張りに入ってきた異物を警戒する犬のそれである。
対応に困っていると、ディエゴが二人の間にすっと割り込み、柔らかな笑みを向けてきた。
「コゼット卿、こちらは我が海軍が誇る狂犬、マスティノだ。マスティノ、こちらはジェイド・アルフレート辺境伯の誇る猟犬、コゼット・マイヤー騎士爵だ」
なんとも絶妙な紹介を受け、コゼットとマスティノは互いの顔を見合わせたまま、数秒間固まった。
「あ、……ええと。ご紹介に預かりました、猟犬のコゼットです」
「……ああ。こっちは……狂犬の、マスティノだ」
正真正銘『狂犬』という凶悪な顔立ちのマスティノであっても、自ら異名を口にするのは気恥ずかしいのか、その強面で珍しく視線を泳がせている。
そうして未だ納得いかない様子で鼻を鳴らすと、やはり部屋を立ち去る気はないらしく、執務室の革張りソファへと足を投げ出すように腰を下ろした。……本当に大型犬のそれである。
「悪いね。マスティノは君のことを心配してついて来てくれたんだ」
「心配って……別に、私はディエゴ提督に噛みついたりなんてしませんよ?」
「どちらかと言えば逆かな。俺はどうにも信用がなくてね。君に良からぬことをするんじゃないかと、見張りに来たのさ」
「なるほど!」
ポンと手を叩くコゼットを見て、僅かな間を置いてからディエゴが「フッ」と吹き出した。
「いやはや、貴女は本当に面白いね。あの冷徹と言われるジェイドが夢中になるのも頷ける。……さて、それじゃあ話を聞こうか。ああ、その前にお茶を用意させよう。見ての通りむさくるしい男所帯で、お茶菓子なんて気の利いたものはないけれどね」
ディエゴの言葉を受け、ロドリゴが影のように動く様子は、やはりケネスの立ち振る舞いによく似ていた。
示された椅子に腰を下ろし、コゼットは背筋をぴんと伸ばす。
――まずは第一関門を突破した。
だが、本当の戦いはここからなのだ。
「絶対に不自然だったんです。連合軍側の指令書は作戦決行の直前まで、『モンテ・マル要塞』と『サン・ミゲル港』の双方を示していました。まさか二面作戦ではないかと思ったほどです」
用意されたお茶は焙煎が浅く、茶葉特有の青臭さは残っているものの、それが爽やかな芳香にもなっている。港町だからこそ手に入る珍しい茶葉であることが伺えた。
コゼットはありがたくお茶をいただきながらも早速本題に入り、ディエゴは静かにそれに応じた。
「――だが結果的に、連合軍は『モンテ・マル要塞』へ総攻撃を仕掛けた」
「その通りです。最終局面において、“何らか”の意思が働いたかのように、突然攻撃対象が絞られました」
「まるで……『モンテ・マル要塞』の守備が手薄であると、あらかじめ知っていたかのように?」
ディエゴが“鷹の目”と称される琥珀色の目を細める。
その問いかけは、どこかコゼットを試すかのようであった。返答次第では、コゼット自身の立場を極めて危ういものにする劇薬だ。
鷹は優雅にティーカップを傾け、静かにコゼットの答えを待つ。
「……はい、そうです。こちらの作戦配置が筒抜けでした。より正確に言えば、何者かが――“軍の最高会議に出席していた何者か”が、敵へ情報を流したとしか思えません」
覚悟を決めてコゼットが踏み込めば、ディエゴはさも満足そうに笑みを深めた。
「此度のグラン・アルスターの唐突な参戦も、帝国軍上層部に内通者がいるならば説明がつく」
「裏切り者は敗戦処理の交渉で器用に立ち回れば、帝国と連合側、双方から莫大な利権を得られると考えたのでしょう」
「冷静に考えれば、自国の戦力を削いでまで仕掛けるにはあまりにリスクが高すぎる賭けだがね」
「ですが……自身の地位が著しく脅かされ、後がない状況ならば話は別です」
まるでチェス盤を挟んで駒を指すように、ディエゴとコゼットは互いの腹の内を一つずつ盤上へと並べていく。
それは互いの信頼と覚悟を確かめ合うための、静かで重要な儀式のような時間だった。
――だが、そこに無粋にも割り込む声があった。
「あ゛? ……なんだってんだ。分かりやすく説明しろ」
すっかり退屈してしまったのか、大きなソファに寝そべっていたマスティノである。
唐突に壊された深刻な空気に、先に肩を揺らしたのはディエゴだった。
「悪いね、うちの犬が。話に加われないとすぐに拗ねて啼き始めるんだ」
「いえ……その、のびのびしていて良いと思います」
温かく賛同するコゼットに、マスティノは不満そうにフンと鼻を鳴らした。
「つまり、こういうことだよ。今回の連合軍の攻撃は『モンテ・マル要塞』と『サン・ミゲル港』のどちらかを狙っていた。そして帝国側の配置が決まった直後、何者かがそれを密告し、手薄になった『モンテ・マル要塞』が叩かれた。
密告者は、詳細な情報を握っていた軍の上層部だ。通常であれば国を売るリスクの方が大きいが、自分の尻に火がついた奴は、身内すら平気で売り払うということさ」
「ああ、そらつまり……あのバカルディとかいうおっさんか」
納得した様子のマスティノが投げやりに出した名に、執務室に数秒間の沈黙が降りた。
「……まぁ、だいたい合っているな」
「概ね合っていますね」
ディエゴが深く頷き、コゼットも同意を示した。マスティノだけが不服そうな顔をしている。あるいは、それが彼の素の表情なのかもしれなかった。
「てめぇでてめぇのケツが拭けなくなったからって、敵に尻尾を振りに行くなんざみっともねぇな」
「まぁ、その通りだね」
「その通りですね」
再びディエゴとコゼットが同意を示す。
実に平たく言えば……本当に、まったくもってその通りなのであった。
「それで、です。今後、カパルディ元帥はジェイド閣下の救出作戦には慎重な構えを見せ続け、あらゆる理由をつけて先延ばしにするでしょう。もしジェイド閣下の潜伏先が分かれば、それすらも連合軍側に流しかねません。
つまり……非常に遺憾ながら、カパルディ元帥の企みは今のところ成功している状態です。中央軍部はカパルディの監視があり、動くことができません。
ですが、――貴方は違います、ディエゴ提督。貴方の海軍は、ほぼ独立部隊として機能している」
「つまり君は、俺の独断でジェイドを救出しろと言いたいのかい?」
(そうしないと、貴方自身も困るはずなんですけれどね。分かっていて言っているのでしょうけれど……)
コゼットは胸に湧き上がる感情を抑え込むように、そっと目を伏せた。
そもそも、カパルディをここまで必死な状況に追い込んだ元凶は、目の前にいるディエゴ・アゾールその人なのだ。
そして彼自身も、ジェイドとディエゴという“帝国の二翼”が揃わねばカパルディを完全に失脚させられないことを、誰よりも理解しているはずだった。
そのために、わざわざコゼットに粉をかけたりと小細工を弄して来たのだから。
だが、それを言っても始まらない。この食えない男を頷かせるには、――中央突破、あるのみだ!
「コゼット・マイヤー騎士爵より申し上げます。ディエゴ・アゾール提督、どうかジェイド閣下を救うために、貴方の力を貸してください」
背筋を真っ直ぐに伸ばし、コゼットは深々と頭を下げた。
恨み言は言わない。小細工も使わない。ただ、一人の人間として、己のすべてを賭けて向かい合う。
ディエゴは、そのあまりに一本気な懇願に、完全に虚を突かれた顔になった。
手にしていたティーカップを落としそうになるほど、目を丸くしている。
「っふ……ははははははは!」
先に大爆笑を破裂させたのはマスティノだった。
凶悪な顔に少しばかりの愛嬌を覗かせ、腹を抱えて笑いながらソファから転がり落ちる。
それでもなお笑いながら立ち上がると、骨ばった大きな手でディエゴの肩をポンと叩いた。
「一本取られたなぁ、提督。こうまで言われて退いちまったら男が廃るってもんだろ」
その言葉に、ディエゴは毒気を抜かれたように「ああ……」と深い溜息を吐き出した。
「……俺は、彼女をこの部屋に迎え入れた時点で、端から協力するつもりだったのさ」
「格好つけて遠回りな腹芸をした結果、一番美味しいところを持ってかれたってわけだ。色男が情けねぇな」
「黙ってろよ、マスティノ」
ディエゴは苦笑を混じえながらソーサーの上にカップを戻すと、組んでいた足を下ろして椅子に座り直した。
「顔を上げてくれ、コゼット卿。――ディエゴ・アゾールの名において、貴女の提案を喜んで受け入れよう」




