虎の尾を踏む
「ほっんとうに、すいませんでした……」
ジェイドの執務室に戻るやいなや、コゼットはひたすらに恐縮していた。
カパルディ元帥との間に生じた決定的な亀裂――その引き金を引いてしまったのは、完全に自分だと思ったからだ。
しかしジェイドは、なぜ謝罪されているのか分からないと言わんばかりの顔で首を傾げた。
「なぜ、お前が謝罪をする? 先に無礼を働いたのはあの男だ。それに対して意図を問いただしたことに、ただの一つも間違いはない。お前の行動は軍人としてあるべき権威を守った。誇るべきものだ」
「いえ、でも、うっかり聞き直さなければもう少し穏便に済んだかな、と……」
「構うまい。あれはなかなかに胸がすく瞬間だった。用意された椅子の居心地の良さに甘え、その椅子を温めることしか出来なかった井の中の蛙には、良い刺激になっただろうさ」
「――うっかり、聞き直されたのですか?」
遠慮がちに問いかけてきたケネスに、コゼットは溜息を吐きながら頷いた。
「うっかり、と言うか、本当に意図が読めなかったんです。まさか、いい大人で地位もある人が、ただの嫌がらせであんな低レベルな悪態を吐くなんて思わなかったので。何かこう、……軍部のみで使われる隠語的な意味でもあるのかと思って……」
「――っふ」
「え?」
コゼットは目を瞬かせた。
見間違いかと思ったが、そうではない。
あの普段厳しいジェイドが、口元を手で押さえ、肩を震わせて笑っていたのだ。
(えええええ~、この人でもこんな風に笑う事ってあるんだ~~~????)
笑いがおさまらないらしいジェイドは顔を伏せたまま、しばし肩を震わせていた。ケネスもまた、口元を押さえながら視線を逸らし、必死に笑いを堪えている。
「いやぁ、何とも手厳しい。今のお言葉をもしご本人が聞いたら、カパルディ元帥が憤死されてしまうかもしれませんね」
ケネスの口調はやはり笑い声混じりであり、コゼットの行動を咎めるような響きは微塵もない。
ようやく笑いの波がおさまったジェイドもまた、「構わない」と手を振った。
「どのみち、我がアルフレート家が預かっている令嬢に対しての暴言は、我が家への侮辱と同義である。あえて虎の尾を踏みに来たのはあちらの側。お前が気にすることではない」
「でも、その……これって、ディエゴ提督が仕組んだようなもの、ですよね?」
恐る恐る切り出したコゼットに、ジェイドは目を細め、ケネスは肩をすくめた。
「……ああ、その通りだな。あの食えない男が考えそうなことだ。私がお前に入れ込んでいると知っていて、あえて自分からもお前に話しかけて親密さを装った。それを見せつけることで、カパルディ元帥を苛立たせたのだろう。
だとしても、だ。カパルディ元帥の無礼であることに変わりはない。この私の目の前で、私が愛する者を面罵したことは万死に値するほどの愚行である。
……我が恋心を『弱みを握られている』などと侮った風評を流そうとした、モラレス子爵令嬢の件からも明らかだ。どちらにせよ、決裂は時間の問題だったであろう」
(この人はなんでこんなとんでもないことをサラっと口にするんですか……!)
ジェイドがいかに本気であるかは、今までの行動の端々からも疑うべくもないことだった。
しかし、こうして面と向かって堂々と言われてしまうと、居心地が悪くて落ち着かない。
「あの、その……ディエゴ提督の狙いは、カパルディ元帥を中央から追い出すことなのでしょうか?」
「そうであろうな。先の海戦において、ディエゴは主戦場から引き離された海域に単独で派遣されていた。実力があるにもかかわらず、左遷に等しい状況だったわけだ」
「その采配を行ったのがカパルディ元帥だったんですか?」
「その通りだ。しかも、ディエゴが派遣された海域は主戦場から離れていたものの、リヴォルタ連合側の私掠船が猛威を振るっていた。中でも狂犬と恐れられている海賊マスティノ率いる『復讐せし者』は、主力艦隊であっても苦戦を強いられるほどの強敵だった。
カパルディ元帥の狙いとしては、ディエゴと海賊を相打ちさせ、自身は主戦場での勝利を独り占めにする算段だったのだろう」
私掠船とは、国家に雇われて活動をする海賊のことである。
この場合は、リヴォルタ連合側が海賊を雇い入れ、自軍の戦力増強を図ったというわけだ。
海賊側のメリットとしては、名義上は正規軍扱いとなるため、例え負けても即刻処刑されず捕虜として扱われることや、強奪した人質や物資を政府側が高値で買い上げるため、安全に稼げる点などが挙げられる。
「でも、そうはならなかったわけですよね。ディエゴ提督は海賊を打ち破ったばかりか、自軍に下るように説得した、と」
ディエゴ提督の海賊退治の一幕は、巷でも大人気の英雄譚として知られている。
吟遊詩人は歌を歌い、帝都にある劇場では役者たちが大立ち回りをする劇が大成功を収めている。
ディエゴ・アゾール本人の美貌も相まって、世間では誰もが知っている英雄譚だ。
「ああ。元帥はディエゴを追いやったつもりが、かえって彼に海賊を引き入れさせ、強力な戦力を増強させる結果となった。そうしてディエゴは少数の艦隊で主戦場の裏手に回り込み、鮮やかな奇襲を成功させて大勝を収めることとなったのだ。
……だが、その直後、カパルディ元帥からディエゴに対して下された命令は、――艦隊に所属している海賊たちを『即刻処刑せよ』というものだった」
「え、……えぇ~?」
「当然、ディエゴは猛反発したが、『海賊はあくまでも海賊であり、海軍として認めることは出来ん』とカパルディ元帥は強硬な姿勢を貫いた。結果として、皇帝陛下の口利きによる海戦の大勝に対する恩赦で、海賊たちは処刑を免れることとなったが……いまだに正規の海軍としては認められていないのが現状だ。
カパルディ元帥がトップに居座り続ける限り、この状況は変わらない。そこでディエゴは、トップ自体を挿げ替える作戦に出たのだろう」
(絶対に敵に回しちゃいけないタイプを敵に回しちゃったやつじゃん……!)
コゼットはディエゴの穏やかな物腰を思い出して寒気を覚えていた。
今の話を聞く限り、ディエゴはカパルディに対して相当な怨恨を溜め込んでいるはずだ。しかし、あの軍議の場において、彼がそのような素振りを見せたことはただの一度もなかった。
穏やかで優雅な物腰、その顔には常に微笑が貼り付き、怒りや怨嗟など微塵も感じさせなかった。
「それで……流石に単独では難しいと踏んで、ジェイド閣下を巻き込んだというわけですね」
「現時点においてはその通りだが……先ほども話した通り、決裂は時間の問題だった。カパルディという男は、平時においては決して無能というわけではない。慣例を重んじ、現状を維持することに関しては一定の評価ができる。
だが、今は平時ではないのだ。一刻も早い帝国の安寧を望むのであれば、カパルディ元帥では力不足だ」
(はっきり言い切っちゃった!)
今の言葉がわずかでも外部に漏れようものなら、即座に内乱へと発展しかねない爆弾発言である。
しかし、それを隠さず自分に打ち明けてくれるのは、それだけジェイドがコゼットを心の底から信用している証なのだろう。
「……分かりました。では、私もそのような心づもりでいます」
「今回の一件で、カパルディ派の者たちが警戒を強めてくることだろう。くれぐれも御身の安全を第一に、決してケネスの傍から離れぬように心がけてくれ」
「安心してください。私はまだ全然死にたくないので。……よろしくお願いいたしますね、ケネスさん」
コゼットが振り返ると、ケネスは胸に手を当てて恭しく頭を下げた。
ジェイドの執務室を後にしたコゼットは、廊下を歩きながら改めてケネスに話しかけた。
「それにしても……ジェイド閣下はディエゴ提督のことを、その……何というか、深く信頼しているんですね」
唐突な言葉にケネスは驚き、ぱちぱちと目を瞬かせた。
僅かに言葉に詰まったあと、ケネスはどこか気まずそうに頭をかいた。
「ええと、先ほどのやり取りで、なぜそのように思われたのですか?」
「ジェイド閣下はとても思慮深く、礼節や筋道を重んじる方です。もしディエゴ提督が、ご自身の意図に反する不毛な戦いに巻き込もうと画策していたのなら、ジェイド閣下はそう簡単に彼の策略に乗ったりはしないでしょう。
でも閣下は……ディエゴ提督にその真意を問いただすことすらせず、自ら同じ船に乗ることを選んだ。それって、ものすごい信頼関係なんじゃないかなって」
「まあ、そうですね。あのお二人は学園の騎士科での同期でもありましたから」
「うわぁ~……あの二人が同期だなんて。同じ世代に生まれてしまった同期の人たちはお気の毒としか言いようがありませんね」
自分の同期にあんな怪物のような男が二人もいたら、自信を完全に喪失してしまうことだろう。
「確かにそうですね。何せあのお二方は成績トップなのはもちろん、剣術などの実技も恐ろしくお強いですからねぇ」
「挙句にあの美貌ですものね。……って、実技もそんなに強いんですか?」
「ええ、それはもう。私でも、正面から真っ向勝負を仕掛けたら勝てる気がしませんね」
「『正面からじゃなければやれます』って言ってるみたいで怖いんですが」
「そこは……言わぬが花、ということで」
バチッとウィンクしてみせるケネスに、コゼットは肩をすくめて深々と溜息を吐いた。
ジェイドもディエゴも恐ろしすぎるほどの傑物、……いや、怪物である。
……しかし、自分のすぐ隣でヘラヘラと笑っているこの男も、実は相当な怪物なのではなかろうか。
というか、それほど優秀な男を専用のガードマンとしてつけてくるジェイドの愛は重すぎやしないだろうか。
そんな感情が、ひしひしと胸にこみ上げてくるのだった。




