ご説明頂けますでしょうか?
帝都中央軍事司令部。その会議室に連れてこられたコゼットは、まるで生きた心地がしていなかった。
ここに来るのはこれで三回目である。
一回目は食堂の暗号を解いた後に連行された時。
二回目は捕虜救出作戦の暗号キーを解読した時。
そして三回目の今回は、リヴォルタ連合軍の攻撃目標を解読できたことにより、暗号解読班の代表として最高幹部会議に出席させられることとなったのだ。
当然、コゼットは全力で抵抗した。
暗号解読班のリーダーはマルシオである。本来ならば彼が出席すべきだし、今まではそれが正解だった。
しかしマルシオが「今回の作戦を思いついたのはコゼット嬢である。騎士爵を持った今であれば、代表として会議に出席しても何ら問題ない」と余計な――もとい、ごもっともな正論を言ったことで、コゼットが出席する羽目になったのだ。
ジェイドの後に続いて会議室へと踏み込むと、最初に目が合ったのはディエゴ・アゾールであった。
褐色の肌に海軍の白い軍服が映え、そこにいるだけでその場の空気を塗り替えてしまう存在感がある。
「コゼット卿、お変わりないようで何よりです」
ディエゴはコゼットの姿を認めると、すぐさま席を立ってにこやかに挨拶を寄せてきた。
さりげなく呼び名が「マイヤー卿」から「コゼット卿」に変わっている。まるでそれに足るだけの信頼関係があるかのようなアピールだ。
できる限り注目を浴びたくなかったというのに、海軍司令官であるディエゴ直々に声をかけられてしまっては、周囲の刺さるような視線を避けることなど不可能だ。
ただでさえ会議室において紅一点であるコゼットは、完全に注目の的となってしまった。
「……お、お久しぶりです、ディエゴ提督。提督もお変わりないようで何よりです」
たどたどしく挨拶を返すコゼットに、ディエゴは人好きのする笑みを深める。
……そして、それに忌々しげな舌打ちを鳴らしたのが、カパルディ元帥であった。
レオポルド・カパルディ。
名門カパルディ公爵家の主にして、エスカラーダ帝国軍最高司令官、――『全軍元帥』である。
代々、最高司令官として名を馳せてきた家柄の出であるが、此度のリヴォルタ連合との海戦においては後手に回り、大きく遅れをとることとなった。
結果として海戦は、ディエゴ・アゾール率いる少数精鋭艦隊の鮮やかな奇襲によって連合国側が大敗を喫した。
しかし、大打撃を受けたのは連合側だけではなかった。
……カパルディもまた、自身の戦果を若いディエゴに奪われたことで、全軍総大将としての権威を大きく傷つけられることとなったのだ。
さらに追い打ちをかけたのが、リヴォルタ連合軍による講和勧告への裏切りであった。
海戦での大敗後、連合側に講和を持ちかけたのはカパルディ元帥だった。もし講和が成立していれば、彼は「戦争を終わらせた英雄」として称えられていたはずだったのだ。
しかし連合側は講和勧告を一方的に破棄し、国境付近の村々を襲撃して大量の捕虜を得るという暴挙に出た。
これに対してもカパルディはまたも後手後手に回った。
事態を重く見た皇帝陛下によって、辺境伯であるジェイド・アルフレートが中央へと呼び寄せられることとなったのだ。
そして――そのジェイドが見事に捕虜奪還作戦を成功させた。
つまりカパルディにとって、『鋼鉄の二翼』と呼ばれるジェイド・アルフレートとディエゴ・アゾールは、自身の翼を叩き折ったも同然の憎き相手なのである。
そんな『鋼鉄の二翼』の一人であるジェイドにエスコートされて現れ、もう一人のディエゴから親しげに声をかけられたコゼットの存在が、カパルディにとって面白いはずもない。
そのあからさまな不快感は、会議が始まってからも変わることはなかった。
作戦の概要が説明され、いざコゼットが発言を始めると、カパルディはわざとらしく咳払いをしたり、激しく貧乏揺すりをしたりと、露骨に周囲を威圧・苛立たせる行動に出たのだ。
だが、悲しいかな。
そんな子供じみた嫌がらせは、コゼットには全く通用しなかった。
会議室に入った瞬間に緊張していたのは、単に「格式高い場所に慣れていないから」という理由に過ぎない。
前世を含め、コゼットにとって『セクハラ・モラハラ老害上司』など、特別珍しい存在でもなんでもなかったのだ。
辛抱が利かない子供がグズっているのと同じくらいの感覚である。
故にコゼットはそれらの嫌がらせを完全にスルーし、淡々と説明を続けていた。
「……そこで暗号解読班は、『鷹の門』に該当するであろう三つの拠点にて、それぞれ偽謀を流布いたしました。サン・クリストバル要塞では『塩不足』、ミッドノシス砦では『兵糧不足』、サン・ミゲル港には『軍上層部の視察予定あり』という情報です。
そして数日後、連合軍本部から出された司令文は『鷹の門にて塩不足との情報あり』というものでした。
つまり、今回の大規模攻撃の本当の目標地点は――『サン・クリストバル要塞』であることが判明したのです」
なるほど、と幹部たちが一斉に深く頷く中、カパルディの不機嫌はついに最高潮に達した。
そしてその自制心もまた限界を突破し、カパルディは吐き捨てるように声を漏らしたのだ。
「――ハッ、……売女の妄言が。とるに足らん」
「はい? 売女とはいったいどういう意味なのかご説明頂けますでしょうか?」
コゼットは半ば無意識に、その悪態を正面から真っ直ぐに迎え撃った。
ど真ん中クリーンヒットのホームラン、……いや、あるいはデッドボールかもしれない。
問い返した瞬間に「しまった!」と青ざめるも、すでに会議室の空気は氷点下へと凍りついてしまっている。
(うわ~、失敗した! うっかり反射的に突っ返しちゃった……!)
コゼットも固まっていたが、カパルディもまた、「ぽかん」と口を半開きにしたままの間抜けな表情のまま固まっていた。
まさか下級貴族の娘から真っ向から問い返されるなど、微塵も予想していなかったのだ。
カパルディの周りにいる追従しか言わない者たちは、いくら彼が下世話な軽口や罵声を叩こうと、目を伏せて曖昧に笑うだけだった。
女たちもそうである。
カパルディにとって女とは、自身に媚びを売ってくるだけの存在、自身に尽くすためだけの存在であった。
当然、言い返されたことなど一度もない。
母親にでさえも叱責された記憶がないのだ。
ゆえに、いざ真正面から問いただされたところで、真っ当な言い訳など咄嗟に思いつくはずもなかった。
かといって「お前が売女だと思ったからそう言ったのだ」と堂々と宣言できるほど、カパルディも愚かではない。
なにせこの会議室での会話は、すべて記録係の書記官によってつぶさに記録されているのだ。
ここでの発言は公式記録として、……場合により陛下に提出される事となる。
「カパルディ元帥。私からもお伺いしたい――今の発言は、どういった意図でなされたものでしょうか?」
ガタリ、と重々しく椅子を引いて立ち上がったのはジェイドだった。
「コゼット卿が賜った騎士爵は、皇帝陛下から直々に与えられたものである。そのコゼット卿を根拠なく軽んじるご発言は、陛下のご権威に対する明白な侮辱であると受け取りますが?」
ジェイドのアイスブルーの瞳は、いまや隠すこともなく凄まじい殺気と怒りに燃えていた。
銀糸のような髪の一本一本にまで殺意が漲っているかのようだった。
……コゼットは気付いていなかったが、コゼットの後ろに控えているケネスもまた、静かな殺意を放っていた。
ただでさえ張り詰めていた会議室の空気が、まるで極寒の処刑場のような、『絶対零度の領域』へと変貌していく。
どさくさに紛れて、ジェイドもまたディエゴに対抗したのか「マイヤー卿」から「コゼット卿」へと呼び名が変化していたが、無論それを突っ込める空気は微塵もない。
「い、いや、私は……」
「カパルディ元帥。コゼット卿への即刻の謝罪を要求いたします」
静かに、しかし凛と会議室に響き渡るジェイドの声。
それはカパルディの喉元に冷たい剣先を突き立てているかのようだった。
カパルディは屈辱と激怒に唇を激しく震わせ、まるで親の仇でも見るような恐ろしい顔でコゼットを睨みつける。
(ひ、……ひぇぇぇ……)
コゼットは内心で悲鳴を上げて竦み上がりそうになりながらも、必死で背筋を伸ばし続けた。
コゼット自身としてはこれくらいの暴言は「洟垂れの小僧が意味もなく“うんこうんこ”と騒ぎたてる」のとほとんど同意語の、まったく意に介さない程度のことだった。
しかしジェイドの言う通り『騎士爵』は皇帝陛下から賜った国家の称号である。その爵位への侮辱を放置することは、皇帝への不忠につながってしまう。
気にしてませんよ、とは言えなかった。
「…………コゼット・マイヤー騎士爵。……軽はずみな発言であったことを、謝罪する」
やがてカパルディは、奥歯が砕けそうなほどの歯ぎしりと共に、絞り出すように謝罪の言葉を吐き捨てた。
その顔は真っ赤に染まり、血走った目は燃え滾るような怒りに満ちている。
「カパルディ元帥。……謝罪を受け入れます」
コゼットが頭を下げて謝罪に応じたことで、その場はひとまず矛を収めることとなった。
だがこの一件は、カパルディ公爵家とアルフレート辺境伯家との間に、絶対に修復できない致命的な亀裂を生むこととなったのである。
そのことを、会議室にいた全ての者がひしひしと感じ取っていた。
そしてそれは今後のエスカラーダ帝国軍の勢力図を大きく塗り替える事となるであろうという、予兆でもある。
会議室の面々が青ざめる中、ただ一人、ディエゴ・アゾールだけが優雅に足を組み直す。
琥珀色の目は捕食者の色を宿して静かに輝き、その口元は心底楽しそうに、……まるで舌なめずりをするかのような、獰猛な笑みに彩られている。
机上を撫でる褐色の指先は、乱れた盤面を予想していたかのように、静かに次の一手に備えていた。




