コードブック暗号
暗号解読班のメンバーは、今日も頭を抱えていた。
入手できるリヴォルタ連合の指令書は増えていくものの、やはり『鷹の門』がどの場所を示しているのかが分からないのだ。
候補に挙がった拠点はどれも重要な要衝であり、総攻撃を受ければ軍としてはかなりの痛手になる。
暗号解読班の仕事は「暗号の解読」であり、ただ文字を復元できればそれで良い……という訳にはいかないのだった。
このように、重要な地名や作戦名を別の単語に置き換える手法は『コードブック暗号』と呼ばれるものだ。
あらかじめ特定の単語や数字の意味を定めておき、それが何を示すかを味方同士で共有しておく暗号形式である。
ごく簡単な例で言えば、攻撃を「1」、待機を「2」、撤退を「3」と定めておき、数字のみを送信して統率を取るようなものもコードブック暗号の一種である。
暗号の意味を共有されている側は即座に命令を把握できる。
しかし傍受した敵からすれば「1」という数字だけでは、具体的に何をしてくるのか見当がつかない。
今回使われている『赤き審判』や『鷹の門』という単語も、連合軍側では何を示しているのかがすでに共有されているのだ。
しかし、受け手である帝国軍側には、その言葉が何を示しているかという――『符合辞書』が存在しない。
つまり今回の司令文は、『ヴィジュネル暗号』と『コードブック暗号』の二重構造であり、この隠されたコードを読み解くことこそが、現在の暗号解読班に課せられた最大の使命なのだった。
「ヴィジュネル暗号が使われる以前、連合軍側がメインで使用していたのが、このコードブック暗号のみという形式だった」
マルシオが壁に貼られた暗号文を見つめながら、重苦しい息を吐き出す。
「……先日の捕虜奪還作戦によって、リヴォルタ連合側は自分たちの暗号が筒抜けになっていることに勘づいたのだろう。そこで暗号キーを変えるだけでなく、コードブック暗号を組み合わせた二重構造に変更してきたというわけですね」
コランが言葉を継ぎ、メンバーたちが溜息混じりに深く頷いた。
「以前、コードブック暗号が使われていた時には、どのように解読したんですか?」
コゼットが問いかけると、マルシオは苦虫を噛み潰したように唇をへの字に曲げた。
「『暗号解読班の輝かしい活躍によって』……と言いたいところだが、実際には連合側の拠点を陥落させた際、たまたまコードブックが記載された書物を押収できたおかげだった」
「……なるほど。今回においても、敵拠点を制圧してコードブックを探すことは可能でしょうが、必ず手に入る保証もないとなると、期限まで残り二週間の現状では現実的ではないですね」
「あるいは連合軍の士官を取っ捕まえて吐かせるって手もあるが、符合を把握しているのは上層部のみだ。となれば拠点の制圧と難易度は大差ない。その上、敵の総攻撃が目前に迫っている以上、帝国側の兵力を無駄に消費する作戦は避けるべきだろうな」
「そう、ですね。仮にそれでコードが判明したとしても、兵力が減って総攻撃を防ぎ切れなければ意味がありません」
再びいっせいに唸り声をあげるメンバーたちを前に、コゼットもまた必死に前世の記憶を掘り起こしていた。
(……コードブック暗号を破る方法……なにか、あった筈だ)
『コードブック暗号』はその利便性の高さから長い歴史の中で重宝されており、第二次世界大戦においても使用されていた。
その中でも特に有名なのが、かの「ミッドウェー海戦」における暗号解読の逸話である。
当時、日本軍は『AFを攻撃目標に定める』という司令を発信していたが、解読側のアメリカ軍は『AF』がどの場所を示しているのかが分からなかった。
この『AF』こそが、まさにコードブック暗号である。
そこでアメリカ軍がとった手段は――『AF』がミッドウェー島であるとアタリをつけた上で、あえて暗号化せずに「ミッドウェー島の海水淡水化装置が故障して水不足である」という偽情報を流したことだった。
その偽通信をまんまと傍受した日本軍は、すぐさま『AFにて水不足が発生』という情報を本国へ打電した。
これにより、「AF=ミッドウェー島」であることが確定したのだ。
暗号利用を逆手に取った、暗号マニアの間では有名な解読のキャッチボールである。
「……『鷹の門』の候補地とされている場所に、それぞれ軍略に関わる『誤情報』を流布してみるというのはいかがでしょうか?」
コゼットは前世の知識を頭の中でゆっくりとかみ砕き、言葉を選びながら発言した。
「コゼット嬢、誤情報というのは?」
「例えば……サン・クリストバル要塞では『流行り病が発生』、ミッドノシス砦では『兵糧の不足』、サン・ミゲル港には『軍上層部の視察予定あり』といった情報を意図的に流すんです。
どれも拠点を攻める側にとっては、何としても共有しておきたい重要な情報になります」
コゼットは身を乗り出して言葉を続ける。
「この情報を掴んだ敵の伝令や斥候は本部へ報告し、本部は全軍へ注意喚起を通達するはずです。もしリヴォルタ連合の本当の目標がミッドノシス砦だった場合には……彼らの暗号文に『鷹の門にて兵糧不足が発生』という情報が流れてくるはずです」
「なるほど……っ!!」
マルシオが興奮のあまり、椅子から勢いよく立ち上がった。
「もし攻撃目標がサン・ミゲル港であった場合は『鷹の門に上層部の視察予定あり』という暗号が飛ぶ。連合軍側がどの偽情報を取り上げて伝令を出したかによって、『鷹の門』がどの拠点を示すのかを絞り込めるというわけか!」
「はい! その通りです!」
コゼットが勢いよく頷くと、今度はルーディが深々と眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「極めて秀逸なアイデアです。ですが……誤情報を流すとなると、その内容は非常に慎重に検討しなければなりません。味方軍全員が『これは偽情報だ』と知っていれば、敵のスパイにも偽物だと見破られてしまうでしょう。
かといって味方に伏せたまま偽情報を流す場合、味方の指揮系統を混乱させたり士気を下げたりしない絶妙な内容であり、かつリヴォルタ連合側が思わず喰いつく情報でなければなりません」
「確かにその通りだ。……軍上層部の頑固者たちも、帝国側の威信を損ねるような噂を流す作戦にはかなり渋るだろうな……」
マルシオが腕を組み、難しい顔で考え込む。
その様子を見つめながら、コゼットはハッと何かを思いついたように、背後に立つ青年へと振り返った。
「……ケネスさん。ナバロ家は代々、帝国の『暗部』を担っているとおっしゃっていましたよね?」
「え? はい、まあ……その通りですが」
ふいに話を振られたケネスは、胸騒ぎを覚えたのかいささか困惑気味に頷く。
「じゃあ……味方にバレないようにひっそりと情報操作することくらい、簡単にできちゃったりしますか?」
「え……えええええ〜〜〜〜!? いや、できますけど! ええと、ええええええ!?」
顔を引きつらせて思わず後ずさりするケネス。
次の瞬間、暗号解読班の男たちがいっせいにガタリと立ち上がり、じりじりとケネスを壁際へと追い詰めていく。
「ひえええ……っ」と情けない声を漏らすケネスを、コゼットも、そしてマルシオも、爛々と目を輝かせて見つめていた。
その後、暗号解読班はさらに作戦の詳細を詰めていった。
それぞれの拠点でどのような偽情報を流すかを検討した結果、「流行り病の発生」については、もし市井に噂が漏れた場合に一時的なパニックでは済まなくなる恐れがあることから、「塩の不足」へと切り替えられた。
冷蔵庫のないこの時代、肉や魚を長期間保存するためには大量の塩が必要不可欠となる。
特にいまの時期は、冬の本格的な寒さに備えて狩猟を行い、大量の蓄えを作る季節だ。軍隊にとっても塩は何よりも重要な戦略物資であった。
実際、コゼットの故郷であるマイヤー男爵領でも、この時期になると毎年領主家を挙げて大量の塩を手配していたものだった。
作戦の概要が決まると、すぐさまジェイドの許可が得られ、ケネスの親族にあたるナバロ家の者たちが密かに実行に移すこととなった。
各拠点の暗部に潜り込んで巧みに噂話を流し、それが自然な形でリヴォルタ連合側の協力者の耳に入るよう、静かに仕掛けを施していく。
――作戦の成果が、暗号解読班のもとへ届いたのはそれから五日後のことだった。
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