第二章:パパ、来たる
エラディオ・マイヤーが帝都にあるアルフレート家の別邸へ駆け込んできたのは、捕虜救出作戦から半月ほど経った頃のことだった。
エラディオはコゼットの父親である。
その突然の訪問に慌てて客間へ駆け付けてみれば、そこにはぐしょぐしょに泣き崩れた父が待っていた。
「うえぇえええ~~ん、コゼット! ごめんね、お父さんが不甲斐ないばっかりに……!!」
コゼットは父とよく似ていると言われていた。
柔らかくウェーブがかった金髪に、綺麗なターコイズブルーの瞳。どこか小動物を思わせる愛らしい外見。
そんな父は、コゼットと同様にかなりの童顔でもある。
すでに三十代半ばに差し掛かった今でも、二十代後半と言われた方が納得がいくほどだ。
「お、お父様!? どうなさったんですか!?」
傍らに駆け寄ったコゼットが抱きしめると、エラディオは鼻をすすりながらさめざめと泣きじゃくった。
付き添っていたケネスは困り顔になりつつも、興奮するエラディオを宥めるために温かいハーブティーを差し出している。
ようやく泣き止んだエラディオは、椅子に座り直すと、ぽつりぽつりと何が起こったのかを語り始めた。
「……つまり、伯父様に借りていたお金の返済が間に合わなかったため、屋敷を追い出された、と」
「うううう、ごめんね。お父さんも頑張ったんだけど……」
マイヤー男爵家はもともとは商人の家系である。
一族には商才に溢れている者が多かったが、コゼットの父はどうにも人が良すぎるのだ。
それに輪をかけて、年齢よりも若く見える外見が周囲から舐められる原因になっている。……もっとも、エラディオ自身にそれを跳ね返すだけの威厳がないのも事実だった。
コゼットも実家に借金があることは認識しており、暗号解読班で得た給料のほとんどを実家に送っていたのだが、それでも約束の返済期限には間に合わなかったようだった。
身内間の貸借であっても、領土と税収権を担保にした契約は主君の法のもとで厳格に運用される。期限までに返還されなければ、契約証書に基づき公的に領地が引き渡されるのが、この国の貴族社会における当然の理だった。
「マイヤー卿、いかがでしょうか? ジェイド閣下にお話しすれば、期限を延ばすなど幾らでも取り計らって頂けると思いますが」
「ケネスさん、その『マイヤー卿』っていうのはやめてくださいよ……」
女騎士爵を得たコゼットは、周囲から「マイヤー卿」や「マイヤー騎士爵」と呼ばれる機会が増えている。
公的にはそれが正しいのだとしても、あまりに仰々しくて落ち着かない。
「う~ん、でも見る限り、この契約書にはなんの問題もないんですよねぇ」
コゼットは伯父が作成した借金返済の契約書を隅から隅まで精読してみたが、それは至極真っ当な内容だった。
商人にとって信用は第一である。
これが爵位の高い大富豪であったなら多少の無茶も通るだろうが、マイヤー家はあくまでも新興の男爵家。だからこそ、約束を守る信用は何よりも大切だった。
「契約書は真っ当。借金を返せなかったのは完全に我が家側の責任です。ですので、ここでジェイド閣下の権力に頼って契約を変えさせるというのは、筋が通りません」
その言葉に、エラディオも静かに頷いた。
屋敷を追い出されて動揺してはいるものの、商人としての割り切りはできる人なのだ。
ここに来たのもコゼットに泣きつくためというより、家を失ったことを慌てて報告しに来たというのが正しいのだろう。
「それでは、どうなさるおつもりですか?」
「家を奪われたと言っても身内のことですから、男爵位を失うわけでもないですし……お金を貯めて買い戻すか、新天地で新たに事業を始めるか、ですかね。でもやっぱり、買い戻したいです」
コゼットの実家の屋敷はお世辞にも立派とは言えなかった。
雨漏りもしていたし、カーテンがない部屋も沢山ある。田舎貴族の中でもかなり貧乏な部類だろう。
それでも、あの屋敷にはたくさんの思い出が詰まっているのだ。
コゼットの母は若くして亡くなったが、母との思い出といえば、やはりあの小さな屋敷に結びついたものばかりだった。
雨だれの音をリズムに二人で歌を歌ったり、並んで料理を作ったり。熱を出したコゼットが眠りにつくまで、優しく子守歌を歌ってくれたのもあの屋敷だった。
失いたくない、と心から思う。
「まず伯父様に手紙を書きましょう。期限を決めて買い取ることを約束して、その間、屋敷を改装したり取り壊したりしないようにお願いするんです」
「今のマイヤー卿のお立場でしたら、十分に信用に足りますね」
深く頷くケネスを、コゼットは半眼で睨みつける。
ケネスはコゼットがこの畏まった言い方を嫌がっていると分かっていて、絶対に面白がってやっているのだ。
「とりあえず、今からすぐには屋敷に戻れそうもないので、しばらくはアルフレート邸に泊めていただいてもいいでしょうか?」
「ええ、問題ないでしょう。ジェイド閣下も、将来の義父君を放り出すなど絶対になさらないと思いますよ」
にっこりと爽やかに笑うケネスの言葉に、勢いよく立ち上がったのはエラディオだった。
「そ、それはまだ僕は認めてないぞ!!」
エラディオは拳を握りしめて抗議し、コゼットは恥ずかしさで頭を押さえる。
ケネスだけが、心底楽しそうに目を細めて笑っていた。
エラディオがアルフレート邸にやって来てまもなく、暗号解読班でも新たなる問題が浮上していた。
「……暗号が解読できない訳ではない、……んですよねぇ」
リヴォルタ連合側の司令文を解読したメンバーは、机に広げた紙を囲みながら揃って首を傾げていた。
復元は完全に出来ている。しかし、それだけでは意味が通らないのだ。
【Red Judgment shall be executed upon the XXVth day of October. The strike falls upon Hawk Gate.
All companies shall whet their scythes without delay and stand ready for the harvest upon the signal.】
直訳すれば、「“赤き審判”は10月25日に決行される。標的は“鷹の門”なり。陸の各部隊は遅滞なく鎌を研ぎ、合図とともに刈り取りを始められるよう備えよ」である。
「“赤き審判”というのは、総攻撃と見て間違いはないだろうな。陸の各部隊とある以上、かなり大規模な侵攻作戦と見るべきだ」
唸り声を絞り出すマルシオに、一同が重々しく頷いた。
大規模な侵攻作戦がある。そして決行までの日数は、あと二週間ほどしかない。
だが、肝心の侵攻先が分からないのだ。
「“鷹の門”というからには、やはり高所に位置しているサン・クリストバル要塞のことではないだろうか?」
「いや、西方のミッドノシス砦は門に鷹の紋章が刻まれている。その可能性も高いはずだ」
「それで言うならば、アゾール家の家紋も『大鷹』です。ディエゴ提督のおられるサン・ミゲル港がターゲットであるかもしれません」
皆が次々と意見を出した後に、重苦しい沈黙が降り立つ。
そうなのだ。
リヴォルタ連合の示す『鷹の門』が、一体どこの場所を指しているのかが全く分からない。
候補となる地が複数あり、その全てに分散して軍を派遣すれば、兵力が弱まり守り切ることが出来なくなる。
何より、ここで候補に挙がった三箇所すら、全て外れという可能性だって大いにあり得るのだ。
「ディエゴ提督というのは……先日の海戦において、リヴォルタ連合の艦隊を壊滅寸前まで追い込んだ方ですよね」
コゼットが問いかけると、マルシオはどこか誇らしげに鼻息を荒くして頷いた。
ディエゴ・アゾールの大勝はエスカラーダ帝国にとっての偉大なる誇りであり、絶望的な戦況を覆しての逆転劇であったことから、民衆の間にも広く知れ渡っている。
陸のジェイド、海のディエゴといえば、現在のエスカラーダ帝国において『鋼鉄の二翼』と称される英雄だった。
「ディエゴ提督は、ジェイド閣下とご学友でもあられた方です。双方とも学生時代から抜きん出た才能を発揮しておられました」
「では、良きライバルでもあったのでしょうね」
コゼットの無邪気な言葉を受けた途端、マルシオとルーディが気まずそうに黙り込んだ。
二人とも軍属であり、ジェイドとディエゴの双方の性格をよく知る人物だ。
「え……あの、まさか仲が悪かったんですか?」
「いや、仲が悪いというか、何と言うか……ジェイド閣下はああ見えて非常に一本気な方というか、裏表がないお方なのですが」
「……ディエゴ提督は、その、悪ふざけがお好きなところがあると言いますか、奸計を巡らせるのがたいそうお得意でして」
「んんん????」
どうやら、コゼットには分からない複雑な因縁があるらしい。
「もしかしてジェイド閣下は……ディエゴ提督のことが、あまり得意じゃないんですか?」
二人の気まずい沈黙こそが雄弁な答えであるかのようで、コゼットも思わず言葉を失う。
ちらりと視線をケネスに投げてみれば、ケネスもまた遠い目をしてそっと首を横に振っていた。
「で、でも、その、捕虜救出作戦の時に素晴らしい陽動をしてくださったのもディエゴ提督ですよね?」
「ええ、その通りです。指示がなくとも必要に応じて柔軟に動いてくださるのが提督の素晴らしいところです。……しかし何分、茶目っ気があり過ぎると言いますか、それを通り越してもはや『邪悪』と言いますか……」
「……なにそれ怖い」
そんな恐ろしい人とは金輪際会わずに済みますように。
コゼットは心の底からそう願った。
しかし、――往々にして、こうした切実な願いほど裏切られるものなのである。




