コゼット・マイヤー騎士爵
捕虜奪還作戦は、予定通りに決行されることとなった。
偽の指令書によって、砦の兵の大多数が視察に訪れた連合の筆頭公爵の出迎えに回っており、捕虜収容所の警備は手薄になっていた。
そこにジェイド率いる『コンキスタドール』を先頭に、軍の精鋭部隊が一気になだれ込んだのだ。
バスクダ砦では、公爵側の私兵と砦の守備兵によって指揮系統が乱れたこともまた、混乱を助長する要因となった。
さらに、砦からもっとも近い港付近には数日前からディエゴ・アゾール率いる海軍艦隊が幾度も目撃されており、連合軍は砦外の兵力を港に割かざるを得なくなっていた。
鉄壁の砦も、内側まで攻め込まれればただの逃げ場のない袋小路だ。
連合側の筆頭公爵であるルシュフォード卿は、わずかな手勢とともにほうほうの体で逃げのびる有様となっていた。
捕虜たちは、帝国軍が予想していたよりも遥かに士気が高かった。
後にその理由が判明する。
マルシオの兄であるテオバルトが、獄中にありながらも同胞を励まし、見張りの目を盗んでは鍛錬を続けていたのだという。
そのテオバルト自身も衰弱はしているものの、しばらく休養をとればまったく問題がないとのことだった。
「――それでね、お父様ったら、テオ伯父さんの顔を見るなり号泣してしまったのよ」
陽光が柔らかく注ぐアルフレート家の中庭で、フランチェスカの鈴を転がすような笑い声が弾けていた。
美しく咲き誇る薔薇に囲まれたガーデンテーブルを囲むのは、コゼット、フランチェスカ、そしてビクトリアの三人だ。
白いレースのテーブルクロスの上には、それぞれが持ち寄った宝石のように可憐な焼き菓子がいくつも並べられている。
銀のティーポットから注がれるのは、帝国国内ではまだ一部の貴族しか手に入れられないという、希少で芳醇な香りを漂わせる極上の紅茶である。
湯気とともに広がる甘やかな茶葉の香味が、穏やかな午後のひとときをいっそう華やかに彩っていた。
「マルシオさんが、号泣……。でも、何となく想像がついてしまうかも」
コゼットはクッキーをほおばりながら、歓喜の涙を流すマルシオの姿を思い描いた。
「でもね、テオ伯父様も誤魔化していたけれど、あれは絶対に泣いていたわ。だってお声が震えていましたもの」
「本当にご無事で良かったです」
「……モラレス家の領内でも、捕虜になっていた者たちが戻って参りました。父上が是非、改めて御礼をしたいと」
遠慮がちに口を開くビクトリアに、コゼットは慌てて首を横に振る。
「そんな、お礼なんていらないですよ! 私はもう十分に満たされていますから。皆さん何だか凄く気を遣ってくださいますけど、私はその……暗号解読班の一員として、皆さんと一緒に役目を果たしただけなんです」
「そうは言ってもねぇ。今のコゼット嬢を放っておける人なんて、帝国中探してもそういないんじゃないかしら。皆さん、御礼とかこつけてご縁を繋ぎたいと思っていらっしゃるのよ」
「それは否定できませんわね」
フランチェスカの言葉にビクトリアが同意する。
「い、いえ、そんな、私とご縁だなんて……」
「だって」
「ねぇ?」
恐縮するコゼットに、二人の令嬢は顔を見合わせて楽しそうに囁き合う。
「だって、コゼット嬢は我がエスカラーダ帝国において、初の『女騎士爵』に叙任されたんですもの」
声を揃えて言う二人に、コゼットは呻きながら机に突っ伏した。
そうなのだ。こたびの華々しい勝利によって、暗号解読班には各自に多額の報酬が支払われた。
無論、暗号解読班の存在とその成果は国家機密であるため、表向きは『卓越した戦況分析と後方支援による多大な功績』と偽装されてのことだ。
そしてその中核となったコゼットは、エスカラーダ帝国軍直属の『女騎士爵』に叙任されることとなったのだ。
これは一代限りの名誉職であったが、一介の男爵家の娘にはありえないほどの破格の出世である。
就任にあたっては、ジェイドとマルシオ、それにテオバルトの3名による強い推薦があったという。
「いや、絶対にその……大げさ過ぎると思うんですよね」
呻くコゼットに、フランチェスカはティーカップを傾けながら優雅に笑う。
「仕方ないですわ。コゼット嬢は我が国にとって『歩く国家機密』になってしまったのだもの。ねぇ、そうでしょう、ケネスさん」
水を向けられたケネスは、わざとらしいほど恭しく頷いて見せる。
「ええ、その通りですね。何よりその称号があれば、他部署が強引にマイヤー騎士爵を引き抜くことも難しくなりますし、男爵位であることを理由にした一方的な縁談を蹴ることもできますから」
「まぁ、それってつまり……」
「囲い込み、ですわよねぇ?」
阿吽の呼吸で会話を続けるフランチェスカとビクトリアに、コゼットは机と同化してしまいそうなほど深く突っ伏した。
「あら、噂をすれば……」
フランチェスカの言葉に顔をあげたコゼットは、思わず息を詰めた。
整然とした中庭の緑に映えるのは、こちらへと足を進めてくるジェイド・アルフレートその人だ。
長身を包む仕立の良い軍服の胸元には、此度の功績を物語るように、新たなる栄誉の勲章が重厚な光沢を放っている。周囲の空気を一変させるほどの圧倒的な将官の威厳。
しかし、その瞳がコゼットをとらえた瞬間――凍りついた氷雪が解けだしたかのように鉄面皮に穏やかで甘い笑みが浮かぶ。
「ここにいたか、マイヤー騎士爵」
その言葉が合図だったかのように、二人の令嬢がすっと立ち上がる。
待って、置いて行かないでとコゼットが手を伸ばそうとするものの、二人は妙に生暖かい笑顔で訳知り顔に頷くと、何やら楽し気に囁き合いながら足早に中庭から去っていってしまった。
ジェイドは控えていたメイドにフランチェスカ達を客間に案内するよう指示を出すと、コゼットと向かい合った席に腰をおろした。
「随分と楽しそうに話していたな。邪魔をしてしまったようなら申し訳ない」
「いえ……」
「ちょうど、ジェイド閣下についてのお話をされておりましたよ」
しれっと告げるケネスに、コゼットは慌てて振り返る。しかしケネスは涼しい顔のままだった。
「私の話、か?」
「ええ、ジェイド閣下がマイヤー騎士爵を囲い込みなさっているのではないか、と」
「なるほど」
(ちょっとケネスさ~~~~ん!!!! どうしてそんな事を言い出すの!?)
コゼットは大混乱だった。
慌てて空中を泳ぐかのように意味不明な身振り手振りをして見せるも、二人の会話は止まらない。
「巷ではすでに噂が広まっておりますよ」
「そうか。ならば願ってもないことだ。我がアルフレート家の威光を前に、無粋な物言いをする輩も減ることだろう。よもやそれすら分からぬ愚か者がいたならば、二度と口を開けぬよう躾けてやるまでのこと」
「皇帝より賜った名誉職となれば、閣下との婚姻にあたっての最大の難所であった身分の差も、解消されたわけですしね」
「……ああ、その通りだ。だが、人の欲望というのは、実にかしましいものだな。舞台は整ったというのに、我が胸の奥で浅ましい嫉妬が渦巻いている。……騎士爵を賜ったとあらば、コゼット卿の可憐な姿はこれまで以上に衆目に晒される事になるだろう。このか弱く愛くるしいかんばせに、有象無象の無遠慮な視線が注がれると思うだけで……心がさざ波だつ」
「さざ波程度で抑えておいてくださいね。決して抜刀しないでくださいね」
「心得ているつもりだが、我が恋路を妨げるものあらば、――容赦する理由は見つかるまい」
不敵な笑みを浮かべ、まっすぐと視線を向けてくるジェイドに、コゼットは今度はピキリと固まった。
「い、いえ、その……で、でも一代限りの名誉職ですよ!? 辺境伯にとって何の旨味もないじゃないですか!」
「元より我が家は他家の庇護など必要としていない。周囲を説き伏せるだけの理由があれば十分だ」
堂々と宣う様は、すでに周囲に対して有無を言わせないことを決め込んでいる様子だった。
いや、元より周囲がいかに騒ごうとも意見を覆すような男ではないのだろう。ジェイド・アルフレートはその凍り付いたような美貌とは裏腹に、苛烈な戦略でもってあらゆる敵を平らげてきた将なのだ。
「……ジェイド閣下」
すっと姿勢を正したコゼットが改めて口を開くと、ジェイドも背筋を伸ばして向かいあう。
「……周囲をどうこうする前に、ちゃんと私を説き伏せてくださいね」
コゼットの言葉に、ジェイドは目を瞬かせ、そして穏やかに相好を崩した。
そこにあるのは『鉄面皮』と恐れられた辺境伯の顔ではなく、ただ愚直に、恋に落ちた一人の男の顔だった。
ジェイドの指先が伸び、コゼットの頬を掠めるようにそっと撫でる。
「今まででもっとも熾烈な戦いになるであろうと覚悟しよう」
その囁きは、どんな砂糖菓子よりも甘かった。
今回で第一章は完了となり、明日から第二章を開始いたします。
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第二章からは完全書き下ろし部分になりますため、今後とも楽しんで頂けましたら幸いです。




