06. 往昔・侵食
アイシアの周囲にいた魔物は滅ぼせたものの、彼女の身体に取り憑く泥を完全に消し去ることまでは叶わなかった。天神はやや離れた場所から様子を伺いつつ、背後に立つ衛生兵に尋ねる。
「あれは……近付いても大丈夫なのか? この距離でアイシアの状態について判断出来るか?」
「申し訳御座いません。少なくとも私は初めて見聞きする現象ですので、皆目見当が付きません」
「もっと詳しい者に見せるべき、という訳だな。相分かった。アイシアを近くの砦へ運べ。それから、残りの隊員の捜索も行うよう」
天神が天軍兵を引き連れてこの地へ来たのは、カルクリフの部下が天宮に戻って報告を行った結果ではなく、自領の異変を己で感知したからだ。そうして最初に発見したのが、一番目立っていたアイシアであったのだ。故に、天神はまだ他の隊員の安否を知らない。けれども、彼の懸念は即座に解決した。
年嵩の兵士が一人進み出る。
「其方についてなのですが……」
躊躇いがちにそう言って、彼は後方に立つ集団へと目配せする。その薄汚れた身形の兵士達は、正しく天神が探させようとしていた相手だった。
集団の代表者と思しき青年は敬礼し告げる。
「カルクリフ隊所属、ヘキネンサと申します。隊長の指示により、隊長とアイシア王女以外の者は全員避難し、事なきを得ました。しかし、両名は魔物の群れの中に残り……」
「そうか」
元より険しい顔をしていた天神の眉間に一層皺が寄る。確証はないが、カルクリフは既に生きてはいないだろう、と彼を含めて殆どの者が思った。だが、カルクリフの部下達だけは認めたくないという思いが勝った。
一人が叫ぶ。
「お探しします!」
すると、天神は片手を軽く上げて相手を止めた。
「否、お前達もアイシアと共に砦へ行き、念の為に検査と治療を受けよ。捜索は我々が行う。事の子細は後程聞くが、直ちに報告が必要なものはあるか?」
カルクリフの部下達は肩を落としつつも、瑕疵のない天神の命令に素直に従うと決め、代表者の兵士が問いに答えた。
「御座います。アイシア様の件です。魔物の群れを発見した際、王女は応援要請を行う為、隊を離れておられました。ですが、暫くしてからあの御姿で戻って来られたのです。然る後に、王女が纏っておられる黒い液体が新たな魔物を生み出し……」
兵士はそこで言葉を詰まらせる。焦れた天神は急き立てる様に尋ねた。
「アイシアは当時、何か語っていたか?」
「いいえ。王女は意識を保ちながらも正気は失っておられる状態でしたので」
天神は唸り、呟く。
「初めて耳にする事例だな」
この言葉には天神の傍らに立っていた将官が応じた。
「作為の可能性もありますね」
「であれば、幾分か遣り易いのだがな」
天神はやや声を低めて言う。しかし、次には声量を上げた。
「ともあれ、承知した。私と共に来た兵の内何名かは、念の為この者達に付いて行け。そして、到着後引継ぎを済ませたら、医神と薬神への伝令も行うのだ。ああ、あと闇神へも。斯くの如き怪しい技は、彼女等の方が詳しかろう。見解を知りたい。ここに残る者にはカルクリフの捜索を行ってもらう。魔物の動向にも注意を払え。この地の魔物は特殊らしい。些細な異変も見逃すな。当然だが、集落へは向かわせるなよ」
主神の号令を受けた眷族は、一斉に了解の意を返した。
◇◇◇
やがて陽は落ち、また昇る。
結局、前日中にはカルクリフは残骸すら見付からなかった。正午前になると、天神は現場を眷族に任せて自らは天宮に帰還する。そこでまず諸事を済ませた後、彼は漸くアイシアが送られた軍事拠点へと向かった。
天神が目的地に到着した時、敷地内にある医療施設では医神コラメフラと彼の眷族がアイシアへの処置を行っていた。しかし、名うての彼等を以ってしても状況の改善は叶わなかった。
数刻後、アイシアは手術室とは別棟にある部屋に移される。彼女が眠る寝台の周囲には、瘴気と泥が広がるのを防ぐ〈結界〉が置かれていた。医神達は成す術なく、ただ青い顔をして〈結界〉の外よりアイシアを眺めるだけだった。片や天神は彼等の隣に立ち、やはり無言のままアイシアを見詰める。
そこへアイシアの父ロジェス・カンディアーナが遣って来た。
「おお、アイシア、アイシア! 何という姿に……」
開口一番、ロジェスはそう言って涙を流し、寝台に縋り付こうとする。だが、天神が彼の腕を掴み止めた。
「近付くな。未だ事態の全容が分かっていないのだ。対策が万全である保証もない。此処より先へ進めば、お前自身もきっと無事では済むまいよ」
それを聞き、小心なロジェスは動きを止めるも、然して間を置かず声を上げる。
「カルクリフは何処にいるのです! あの者を信じて娘を預けたのに」
天神は淡々と返す。
「恐らくは死んだ。死体は未だ発見されていないが、状況から察するに、魔物共に食い尽くされた可能性が高い」
「姉上が……? そんな、まさか……」
ロジェスはまた言葉を失う。暫く沈黙が続き、やがてぽつりと掠れた声が漏れた。
「任地はそこまで過酷であったのですか?」
「らしいな。見渡す限りの地面が魔物で埋め尽くされていたよ。私もあの数の群れは初めて見た」
「私、がアイシアに惨い命令を出した所為で……」
「お前だけが原因ではない。この事態は誰にも予測が付かなかった。だから、余り思い詰めるな。ただ、覚悟はしておけ」
一瞬瞠目した後、ロジェスは膝を折り地面に手を突いた。室内に嗚咽の声が響く。天神は彼に痛まし気な視線を送り、次に医神を見た。
「で、あれが如何なる現象かは掴めたのか? 回復の算段は?」
「現状については大凡。あの泥は身体の一部が魔物に変じたものと思われます。精霊が外的要因によって変質する現象が稀に確認されますが、其方と近い事例で御座いましょう。ただ、治療法は未だ……」
「『変じた』? 寄生されたのではなく?」
「はい。私も過去に見聞きしたことがない症例です。ただ、天人族に関しては彼等をお創りになった天神様の方がよくご存じかもしれません。お心当たりは御座いませんか?」
「否、斯様な機能は加えた覚えは……」
天神は利き手で口元を覆い、考え込む。直前に呟いた通り、彼には全く心当たりがなかった。だが、元々天人族は《命》に纏わる神ではない天神が、戯れに作った存在だ。故に、作り手の関知しない粗が存在するのかもしれない。そう思い至って彼は蒼褪めた。
室内の空気が更に重くなる。その時だった。
「ふ、ふ、ふ。皆様、お困りの様ですね」
場違いに明るい声が背後から響いた。蹲っているロジェスを除き、皆一斉に振り返る。続いて扉付近に立つ者を確認し、先んじて天神が声を上げる。
「ステラスフィア! ユリスラも」
幻神ユリスラと智神ステラスフィア――共に最高位神たる闇神ウリスルドマにの傘下にある高位神だ。特に幻神は闇神の後継者で、彼女の名代を務め得る立場であった。
「邪魔をする。実はステラスフィアが――」
用件を告げんとする幻神を押し退けて、智神が前に出る。場の空気に反して、彼女は屈託のない笑みを浮かべていた。
「本日の私はユリスラのおまけではありません。どうも、理神タロスメノスの名代で参りました知識の泉ステラスフィアです。ああ、光神様からも『宜しく伝えておいてほしい』との御言葉を賜っておりますよ」
勢いに押され呆気に取られた天神は、ただ「はあ」とだけ返す。直後、苛立った顔をした幻神が智神を横に退かして再び前に立った。
「済まない、ポルトリテシモ。どうやらステラスフィアには良案があるらしいのだ。何を思うてか、未だに私にも詳細を語らないが……」
幻神は智神を睨む。智神も幻神に視線を返したが、相手の怒りなど何処吹く風といった様子だ。傍から両者を観察していた天神は、やがてぽつりと率直な感想を漏らした。
「嫌な予感しかしないな」
智神は態とらしく頬を膨らませる。
「信用がないですねえ。大丈夫ですよ――と言いたい所なのですが、残念ながらアイシア嬢の回復は確約出来ません。ただ、試してみる価値はあるかと思うのです」
「どうぞその方法をお教え下さい、智神様。僅かでも娘を救える可能性があるなら、賭けを行わない理由はありません」
ロジェスが目の色を変えて話に割り込み、天神も幻神も更に渋面となる。逆に、智神は肩を竦めて天神にしたり顔を向けた。
「だ、そうですよ」
「ふん、ならば聞いてやる。ロジェスに感謝するが良いよ。それで、お前は一体何を思い付いたんだ?」
天神が面倒臭そうに腕を組むと、智神は利き手の人差し指を立てて答えた。
「命界ですよ」
「ネクティホルト? 確かに通常の負傷や病気ならば、彼女に頼るのも選択肢の一つとなろうが、此度はまた違うのではないか?」
訝し気な目が医神を映す。医神は天神の視線に直ぐ様気付き、困惑しながら答えた。
「魔物化部位は概算で五割弱。しかも、症状は肉体のみならず魂体にまで及んでおります。故に切除も難しく、恐らくは命神様でもどうにも……」
「いいえ、切除です。肉体も魂体も共に」
「何ですって?」
智神以外の全員が動揺を表す。彼女を連れて来た幻神も例外ではない。
「おい、冗談も休み休み――」
苦言には聞く耳を持たないと言わんばかりに、智神は言葉を被せる。
「切り捨てます。然る後に、欠損部分を現在命界で開発中の充填剤で埋めるのです。都合の良いことに、彼方は協力者を募集しています」
「実験台か」
組んでいた腕を解き、天神は智神を睨んだ。手は無意識に腰に提げた剣の柄に添えられる。智神はその手を一瞥するも、怯まなかった。
「『治験対象者』と呼びなさい。ですが、仮に実験動物扱いであっても、貴方達は彼女を救いたいのでしょう?」
「馬鹿を言うな。一般的な患者としてだ。もしや一連の事件、お前達の謀ではあるまいな」
あらぬ嫌疑を掛けられて、幻神が慌てる。
「待て待て。私が斯様な蛮行を成すものか」
「お前のことは疑っていないよ。ステラスフィアとネクティホルトに対してだ」
この発言を受けて、智神は短い笑声を上げる。
「まさか! 私だってやりませんよ。ネクティホルトは尚更」
「どうだか」
張り詰めた空気が漂う。天神と智神が共に不快感を抱いて見詰め合う中、ずっと青い顔をして黙っていたロジェスが、漸く弱々しいながらも声を吐き出した。
「娘は……どうなってしまうのですか? 半分も魂を失って……」
「当然、今迄通りとは行かないでしょうね。心の有り様が変わってしまうと思います。でも、半分は救えるかもしれないのです」
ロジェスは「ですが」と言い掛けて口籠る。彼の内に湧いたのは本能的な忌避感だ。けれど、智神に反論しようにも彼には対案がない。上手い理屈を考えたかったが、威圧的な智神の声に阻まれた。
「今直ぐ決断して下さい。迷う時間が長ければ長い程、状況は悪化します。そして、最後には死――いいえ、魂ごと消滅するでしょうね」
「そんな……しかし……」
無力で哀れな父親はまた地面を向いた。心を閉ざし始めていると感じた天神は、ロジェスの代わりに話し出した。
「ロジェス、お前が決められないなら、主神である私が決める。ステラスフィア、我が眷族を一旦命界に預ける。ただし、命界へは私も付き添う。良いな」
「ええっ、遣り辛いですねえ。そんなに信用出来ないですか?」
苦情の声は道化めいている。天神は暴言を吐き掛けるも、先に幻神が智神を諫めた。
「当たり前だろう。胡散臭過ぎるんだよ、お前は。私もしっかり見張るからな」
「お兄様まで! まったく、貴方達は私を何だと思っているのです? 可能ならば数日掛かっても、はっきりさせたい所ですよ。……兎も角、了承を頂けたということで、早急に手筈を整えます。貴方達、付いて来るなら色々と手伝ってもらいますからね」
不機嫌を装いつつ智神がそう告げると、天神と幻神は夫々「ああ」「分かっている」と応じた。
◇◇◇
遍く《顕現》世界を統べる王の御座所にして光に満ちた宮殿――光宮。その最奥で光神プロトリシカに「貴方」と声を掛ける者がいた。光神は振り返り、相手の名を呼ぶ。
「タロスメノス」
金糸の如き眉が僅かに歪む。それに気付いて、彼の妻たる理神タロスメノスは気が重くなるも、再び口を開いた。
「何方へ向かわれるのですか?」
光神は曇りのない笑顔を作る。
「ロジェスの娘が大怪我をしたと聞きましたので、見舞おうかと。ああ、断じて弱り目に付け入って手を出す腹積もりではありませんよ。どうぞ、ご心配なく」
だが、理神は言葉通りには受け取らなかった。冷たい目をして彼女は核心を突く。
「処分を命じられるおつもりで?」
「必要とあらば」
「なりません」
光神は苦笑し、また「タロスメノス」と呟く。けれども、理神は止まらない。
「私情で申し上げているのではありません。アイシア・カンディアーナは将来必ず世界に必要となります。故に――」
「《理》の《顕現》神としての判断なのですね?」
「はい」
理神の口振りに迷いの色はない。光神は小さく唸った。
「アイシアの快復を確約出来ますか?」
「理神の称号に賭けて」
部屋が静まり返る。両者は暫し視線をぶつけ合った。やがて、光神の方が先に語り出す。
「であれば、良かった。美しい娘ですからね。失われるとなると、やはり胸が痛みます。此度は大人しく慰問を行うだけにしましょう」
「いいえ、それもなりません」
光神が歩み出そうとするのを理神は袖を掴んで制止する。戸惑い混じりの笑顔が理神へ向いた。
「何故です? アイシアを殺さない意向は真実ですよ」
「先程『弱り目に付け入って手を出す』と仰いましたね。聞かれてもいないのに」
「手を出さない、という話です」
そう返しつつも、光神は「しまった」と言わんばかりに顔を引き攣らせ、目を泳がせる。当然、理神は見逃さないし許さなかった。
「普通は今の様な状況で、斯くの如き不謹慎な言葉は吐かぬものです。例えば、僅かなりとも期待でもしていない限りは」
「邪推が過ぎますよ。酷い方ですね、己が伴侶を疑うなんて」
「日頃の御自身の振る舞いを見返されては如何ですか? 何れにせよ、貴方は当分光界から出しません。遊び歩いている所為で、仕事も山程溜まっているそうですね。粉骨砕身して働いて下さいまし」
理神は光神の腕を掴み、彼を追い越す。片や光神は足を縺れさせた後に、理神が導く方向へと歩き出した。行先は天界にあるアイシアの病室ではなく、光宮内の執務室だ。
「分かりました、分かりましたよ。もう、貴女には敵いませんね……」
静かな廊下に二つの足音と一つの深い溜息が響いた。




