04. 往昔・天翔る戦姫
これは過去の話。《顕現》世界が未だ光神プロトリシカに統治されていた頃の出来事だ。
天界と光界の境界近くで、ある夜、白天人族のみで構成された小隊が野営を行っていた。隊長は天人族の始祖にして当時の王ルシルトス・カンディアーナの長女カルクリフだ。
そのカルクリフは現在、一人だけ野営地から離れた場所にいた。虫の知らせを感じて、偵察に出たのだ。
腕を組みつつカルクリフが暫く前方へ険しい目を送っていると、背後で翼のはためく音が響く。聞き慣れた音だ。振り返らずとも彼女には何が起こったのか、直ぐに察しが付いた。
「伯母様、こんな所にいらしたのですね」
星を散らした黒い空より、金色の羽根を疎らに付けた白翼を生やした天馬が下り立つ。馬上からカルクリフに呼び掛けたのは、彼女の長弟ロジェスの娘アイシアだった。此度の任務においては、カルクリフの下に配属されている。
「他の者は?」
カルクリフが尋ねると、アイシアはばつが悪そうにして言った。
「私だけです。伯母様が中々戻って来られないので、少し不安になってしまって」
精悍な女戦士の鼻から嘲笑の息が漏れた。
「半人前の小娘に心配される程、私は衰えてはいないのだがな。まあ、良い。感覚を研ぎ澄ませて、前方をよく観察しなさい」
前方を指さしてカルクリフは命じる。天馬を降りたアイシアはカルクリフの横に並び、言い付け通りに前を見た。〈術〉も使った。だが、白天人族は基本的に夜間の活動が不得手で、経験も訓練も足りていないアイシアの目はほぼ闇しか映さない。乙女の姿をした兵士は顔を赤らめて下を向いた。
「申し訳ありません。私には何も見えません」
「ふむ、王族と言えど新兵ならば、まあこの程度のものか。しかし、それが許されるのは初めの内だけだ。次の任務までにはきちんと身に付けておくように」
「はい、そう致します……。ところで、前方には何があるのですか?」
「日が暮れるまでに周辺の景色は見たな? 此方に何があったか、覚えているか?」
アイシアは俯き加減になった後、顔を上げてカルクリフの目を見る。
「黒雲の山脈があったかと」
「では、事前に地図は確認したか? この方角に山は描かれていない筈だが」
「はい、ありませんでした。ですが、天界の大地は雲が群がって出来た物。あの山も何処からか流れて来たのではないでしょうか」
「であれば、私はこういった質問はしないさ。お前が先程見たのは雲ではない。魔物の群れが擬態した物だ。端から端まで全てな」
「あれらが全部!」
アイシアは再度黒山のある方を向く。けれども、今夜は新月。星明かりだけではその姿を浮かび上がらせるには足りない。敵も味方も隠匿する夜闇は、昼の都で暮らす白天人族には一層不気味に感じられた。
「私、都市部を出たのも初めてで、地方がこんな風になっているとは知りませんでした」
羞恥が混じった声をアイシアが吐くと、カルクリフは眉を寄せた。
「いいや、これが当たり前と思ってはいけない。流石に数が多過ぎる。私もこの規模の群れを見るのは初めてだ」
今の発言にはカルクリフなりの気遣いも入っている。しかし、普段交流が少ない所為で彼女の人となりに詳しくないアイシアには伝わらない。故に、アイシアはただただ不安気な視線を相手に送った。
カルクリフは話を続ける。
「どう見積もっても、穏やかな状態とは言えない。寧ろ、大きな災厄の前触れとさえ思えてくる。精鋭を揃えたつもりだったが、今の人数では恐らく対処は難しいだろう」
「応援を呼びますか」
「ああ。お前が使者に立て」
「私がですか? お待ち下さい。それでは伯母様の部隊に入り込んだ意味が――」
アイシアの口が滑ったのをカルクリフは聞き逃さなかった。歴戦の勇士の眼光が途端鋭くなる。
「『入り込む』? 奇怪な言い回しだな。さてはロジェスから無理矢理にでも戦功を上げるよう命じられたか? このカルクリフの名を霞ませよ、と」
「いいえ、その様な、ことは……」
失言に気付いたアイシアは、思わず目を泳がせる。それが答えだった。両者は暫し沈黙した。
突如、びゅうと風が吹く。アイシアは乱れた横髪に目元を撫でられ、慌てて邪魔となった毛を耳に掛ける。一方、短髪のカルクリフに影響はない。彼女は髪を掻き上げる代わりに、腰に提げていた剣を鞘ごと外した。
「アイシア、この剣を見よ」
カルクリフはアイシアの眼前で剣を鞘から抜く。すると、金色の光を放つ刃が姿を見せ、二人の面を照らし出した。アイシアは息を呑む。今迄意識に上ることすらなかったその剣の正体を彼女はここで漸く察した。
相手の胸中を目の様子で悟ったカルクリフは、神妙な面持ちで頷いた。
「これは神族の王――光神プロトリシカより賜った品だ。最高神の代行者たる証。『カルクリフが戦場にある時は、光神とその後継者たる天神の他は、縦え神族であっても彼の者の指示に従え』という神意の表れだ。如何なる反抗も罪と心得よ」
「で、ですが……」
「アイシア、私に身内を斬らせるな」
口先のみの脅しではない。アイシアが更に異を唱えれば、カルクリフは容赦なく彼女を処するだろう。アイシアは短い間固まった後に肩を落とした。
「承知しました。御命令に従います」
「夜明けと同時に出立を。良いな?」
声音は身内に向けたものとは思えない程に冷たい。質問の形を取ってはいるが、有無を言わせぬ圧力がある。内心では反発しつつも、アイシアは「はい」と答えるしかなかった。
◇◇◇
黒山が如き群体の中心で若い女の声が響く。
「あら、あれは何かしら?」
その問いに答える者はいない。代わりに魔物達が蠢く音だけが返ってきた。
「神ではないわね。精霊? 否、それにしては存在感が薄い様な……」
彼女は暫く思考する。やがて思い当たることがあり「ああ」と声を上げた。
「ひょっとして、あれがプロトリシカ達が言っていた『人族』なのかしら。へええっ、あれが!」
新緑の如き緑の目がきらきらと輝く。彼女は好奇心が旺盛だった。何せ百年以上もずっと同じ場所に縛り付けられているのだ。未知の存在に惹かれても無理はない。
「あらら、一つだけ群れから逸れちゃった」
遠方を〈千里眼〉で盗み見ていた彼女は、子供の様に小首を傾げる。動くべきか、動かざるべきか。悩んだ末に彼女はまた独り言を吐いた。
「もう暫く様子を見ましょうか」
そうは言っても、全く動かない訳ではない。群れを離れた一匹をもっとよく観察する為に、彼女は黒山の外へするりと抜け出た。
◇◇◇
白天人族は後に空間操作〈術〉の名手となるが、この時代にはまだ未発達と呼ぶべき段階であった。当然、移動手段は他種族と同じく徒歩か騎獣、或いは輿や獣に牽かせる車に他ならない。必然的に、移動には時間が掛かった。
天馬を駆りながらアイシアは考える。
(伯母様はお父様の企みを見抜いておられた。でも、多分それだけが理由で私を都へ返された訳ではない。恐らく私の身を心配して下さっていたのもある。ただ、その気遣いに甘んじていてはお父様の言い付けを守れない)
アイシアの出立時に、彼女の父にして白天人族の第一王子ロジェス・カンディアーナが掛けた言葉が思い起こされる。
――非情なカルクリフも気弱なバサティットも、人族の規範たる白天人族を統べるに相応しくない。私の可愛い一人娘よ、まずはカルクリフの許へ行き、奴の戦術を己が身に写し取れ。然る後に、お前が奴に取って代わるのだ。また、奴に不手際があれば逐一儂に報告せよ。どうか、お前の父を王にしておくれ。儂に似て優秀なお前ならば、必ずや成し遂げられる筈だ。
僅かに幼さの残る顔が、醜悪な権力闘争が原因で暗くなる。
(お父様……)
他者の奉仕を使命とする人族の性に反し、ロジェスは尊大で野心に満ちた男だ。そして斯くある彼を制するが如く、ロジェスは次子という立場だった。父王ルシルトスが不慮の死を遂げた際の後継は、姉カルクリフとされていたのだ。加えて、カルクリフは文武共にロジェスより優れていた。ところが、こうした事実をロジェスは断じて認めない。王の器を有するのは自分のみと決め付けていた。心の奥底では虚偽と認識しながら。
愚かな父だ。けれども、アイシアはロジェスを愛していた。疾うの昔に成年を迎えていながら、心も立場も未だ自立しない子供であった。
「戻らなければ」
アイシアは天馬に速度を落とすよう指示を出した後に、雲花の地面へと着地させる。続いて馬を降りた彼女は、荷物の中から筆記具を取り出し、魔物の群れについて書き連ねる。それが終わると、文書を折り畳んで馬具に固定し天馬に命じた。
「行って、昼の都まで」
返事とばかりに天馬は嘶く。賢い彼は主人の意思を理解して飛び発った。
天馬の姿が星程に小さくなるまで見送ると、アイシアは踵を帰した。向かう先はカルクリフの許だ。ロジェスの走狗たる彼女は迷いを覚えなかった。
一方カルクリフはと言うと、既に部下達と合流していた。焚火を囲み、談笑する。やがて、部下の一人がこの様なことを言った。
「上手くやりましたね」
含みのある言い方だ。だが、何を言わんとするかはカルクリフにも察しが付く。彼は密かにカルクリフとアイシアの遣り取りを見ていたのだ。秘密を知られたカルクリフは、以降は包み隠さず話した。
「まったく、ロジェスには困ったものだよ。歳を取る毎に欲心を肥え太らせる。戻ったら折檻だな」
「御令嬢の方への隊長の評価は、如何なるものなのですか?」
カルクリフは唸る。
「良くも悪くも『幼い』と言う他はない。年相応ではない。周囲の過保護の賜物だな。今後ロジェスはどうするつもりなのやら。ああ、後は思い込みが強い嫌いがある、か」
「ほう」
「正直好感は持てないが、然りとて放置も出来ん。私はアイシアの親族であり、年長者故な。正しく導いてやるのが私の責務だ。……ふむ、ロジェスが害となっているなら、アイシアが精神的に自立するまでは、私が養女に迎えて守ってやっても良い。ついでに色々と仕込んでみよう。日頃より熱心に鍛練を行っていたから、天軍の仕事にも興味を持っているのだろうし」
その言葉を聞き、またカルクリフの表情を見て、部下達は全員が笑顔になった。声を上げて笑う者もいた。
「隊長は何だかんだ身内に甘い。そうした心の内を正しく相手に示していれば、もっと良好な人間関係が築けるでしょうに」
「失礼な。私はちゃんと見せているだろう? アイシアを帰還させたのも、魔物やロジェスへの対応策だけではなく、あの娘の身を案じた為でもあるのだぞ」
「それは周りには伝わりませんよ。不器用です、隊長は」
カルクリフは渋面になって「そうかな」と言う。すると、部下は穏やかな口調で「ええ、間違いありません」と返した。
◇◇◇
アイシア、そしてカルクリフと部下達の様子を黒山より出た存在は夜闇に紛れて観察していた。
「ふむふむ、人族も神族や精霊と大して変わらないのね。それとも、まだ私が相違点に気付いていないだけ? でも、全く同じなんてことはない筈よね。差がないなら、種族を分ける理由も存在しないものね。一体、何処が違うのかしら?」
彼女は長考する。仲間を持たない彼女は、そうせざるを得ない。
結局、情報不足が災いして結論は出なかった。しかし、考え抜いた末に彼女は当面の方針を決める。
「少しだけ手を出してみましょうか。彼等を見極める為の試練を」
ほくそ笑む声が誰にも聞かれず流れて消えた。




