第8話 冷血判事との取引
法務記録所の窓を叩く木枯らしの音だけが、部屋の沈黙を埋めていた。
ヴィンセント・フォン・ラドクリフ侯爵は、机の上に置かれた硝子板から視線を上げない。指先で銀縁の眼鏡を押し上げ、映し出された偽造署名の日付、印章の微細な歪み、そして闇金業者ドレクスラーの口座番号を、冷徹な目線でなぞっていた。
「……面白いな。偽造された印章の陰影角、契約書の割印のずれまで、王立鑑識院の拡大鏡を通したかのように鮮明だ。何より、この光の文字そのものが魔術的な偽造を許さぬ『絶対真実律』を帯びている」
ヴィンセントは背もたれに体重を預け、細く長い指を組んだ。
氷のような藍色の瞳が、私の顔をじっと射抜く。
「アンバーク子爵令嬢。君は社交界では『声も小さく、義母と妹の贅沢の影で震えるだけの地味な娘』と噂されていたはずだが」
「ええ。その通りにしておりました」
私は一歩も退かず、背筋を伸ばしたまま微笑みさえ返した。
「ですが、家族の都合で毒殺未遂の罪人に仕立て上げられ、北の石畳で生涯を終える筋合いなど、私には一片もございません。……証拠の確度はご理解いただけたはずです。閣下のお力を借りたい」
「私は法を司る判事であって、貴族の泥沼劇の後始末をする便利屋ではない」
「便利屋などと滅相もございません」
私は手鏡の縁をそっと撫でた。
「ランカスター伯爵家は、貴族院の司法予算委員会に籍を置き、閣下が推進されている『貴族特権制限法案』を裏工作で執拗に潰し回っている親玉のはず。……彼らの破滅は、閣下が法廷で振るう天秤をこれ以上なく有利に傾けるはずですが?」
ヴィンセントの眉が微かに跳ねた。
冷徹な男の瞳の奥に、獲物を見定めた捕食者のような冷たい火が灯る。
「……なるほど。気弱な令嬢どころか、急所を的確に突く毒針だな」
彼は引き出しから、王立裁判所の最高機密指定が施された黒革の手帳を取り出した。
「乗ろう、その企みに。告発状の受理、公証人の身辺洗いは我が手で秘密裏に進める。だが、来週の王宮大夜会で舞台を整えるのは君の役目だ。……敵を一人残らず油断させ、壇上へ引き摺り出せ」
「ええ、喜んで。道化の役はお手の物ですから」
法務記録所の冷たい空気の中、私と冷血判事の間に、誰にも知られぬ共犯関係の結び目が固く結ばれた。




