第2話 月明かりの密談
夜半過ぎ、喉の渇きを覚えて厨房へ水を汲みに行こうとした時だった。
父の使っていた旧書斎の扉から、細いランプの光が漏れていた。
普段は鍵がかけられているはずの部屋だ。泥棒かと思い、息を潜めて近づいた私の耳に、甘ったるい笑い声が届いた。
「……ん、アルフレッド様、くすぐったいわ」
「エリス、君は本当に愛らしいな。あの陰気なクララとは大違いだ」
私の心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。
鍵穴の隙間から中を覗き込む。
月明かりが差し込む革張りのソファの上で、私の婚約者アルフレッドが、義妹エリスの肩を抱き寄せ、熱心に唇を重ねていた。
「でも、いいの? お姉様との婚約を破棄したら、伯爵家の借金はどうするのよ」
エリスが甘えるようにアルフレッドの胸元に指を這わせる。
アルフレッドは冷笑を浮かべ、エリスの髪を撫で回した。
「心配いらないさ。すでにガートルード夫人と手はずは整えてある。来月の王宮大夜会で、クララが『エリスを嫉妬から毒殺しようとした』という筋書きにするんだ」
「まあ……毒殺未遂の悪女ね!」
「そうだ。現場の証拠として、クララの部屋に毒薬の小瓶を仕込んでおく。大勢の貴族の前で現行犯として告発し、その場で婚約破棄。公証人を抱き込んで、あいつを即座に北の修道院へ幽閉する。そうすれば、母親の持参金と爵位の継承権は、合法的に妹のお前へと移る手はずだ」
「素敵……! あんな愚図な女、最初から邪魔だったのよ。一生、薄暗い修道院の石畳でも磨いていればいいわ!」
二人は楽しそうに笑い声を上げ、再び激しく抱き合っていた。
暗い廊下で、私は壁に背中を預けて立ち尽くしていた。
足先から、血の気が引いていくのが分かった。
怒りでも、悲しみでもなかった。
十七年間、私を縛り付けていた「良い娘でいなければ」「耐えなければ」という分厚い氷の鎖が、
カラン……と、あまりにも呆気なく、粉々に砕け散った音がした。
(……ああ、そう)
涙の一滴すら出なかった。
心の中に広がったのは、信じられないほど透き通った、絶対零度の静寂だった。
私が耐えていたのは家族のためでも、愛のためでもない。
ただ、私を食い物にして使い潰すことしか考えていない、浅ましい寄生虫たちのためだったのだ。
「……もう、やめよう」
声に出した瞬間、全身から重石が外れたように、息が軽くなった。




