また配信されてるんですけど
私の活動限界は、だいたい三十分弱だった。それ以上動くと、魔力が足りなくなる。
胸の奥が空っぽになって、指先から力が抜けて、昨日みたいな飢餓状態に近づいていく。
だから三十分に一度、私は怜奈さんと手を繋ぎ、魔力を分けてもらう。それからまた魔物と戦い、魔石を食べ、レベルを上げる。そんな事を何度か繰り返していた時だった。
「……あ」
怜奈さんが、珍しく間の抜けた声を出した。
「どうしたんですか?」
怜奈さんの視線を追う。天井近くに、小さな球体が浮いていた。
淡い青い光を点滅させながら、静かにこちらを向いている。
調査用ドローン……怜奈さんのだ。
「記録、切ってなかったわ」
「……記録?」
「ダンジョン内では記録用ドローンの使用が推奨されているの。事故や異常発生の証拠になる。私はソロで潜ることが多いから、万が一に備えて映像と位置情報を共有してる」
「共有?」
「……限定配信」
その言葉を聞いた瞬間、身体からブワッと嫌な汗が流れた。
すごく嫌な予感がする……。
「つまり、今のも……?」
怜奈さんは、ほんの少しだけ目を逸らした。
「映っている可能性があるわ」
「可能性じゃなくて映ってますよね!?」
怜奈さんが端末を操作する。
数秒後、空中に小さな画面が浮かんだ。
そこには、ついさっきの私が映っていた。
怜奈さんの手を両手で握りしめ、ほとんど腕に縋るようにしている私。
そして、その下に流れるコメント。
『また手繋いでる』
『銀髪ちゃんかわいい』
『氷室さん、表情変わってないけど耳赤くない?』
『三十分ごとに手繋ぎイベントあるの助かる』
『氷室さんが保護者みたいになってる』
私は無言で画面を見つめた。
怜奈さんも無言だった。
ただ、繋いだ手だけは離れなかった。
「……怜奈さん。今日はもう帰りませんか」
「ええ。賛成するわ」
こうして、私のEクラスダンジョン初挑戦は、魔力不足ではなく羞恥心によって終了した。
* * *
怜奈さんの家は、駅から少し離れたマンションの一室にある。間取りは、たぶん二LDK。玄関を入ると短い廊下があり、奥にリビング。横には寝室らしき部屋と、もう一つ使っていない部屋がある。
全体的に物は少ない。生活感はあるのに、散らかってはいない。
必要なものだけが、必要な場所に置かれている感じだ。
「座って。話があるの」
「えっ、はい」
リビングのソファに座ると、身体からどっと力が抜けた。
Eクラスダンジョンで戦って、魔石を食べて、三十分おきに怜奈さんから魔力を分けてもらって。
最後には、それが配信されていたと知って羞恥心で撤退。情報量が多すぎる。
もう一日分どころか、一週間分くらい疲れた気がする。
怜奈さんはキッチンへ向かい、コップに水を注いで戻ってきた。
「飲んで」
「ありがとうございます」
受け取って、一口飲む。ただの水なのに、妙においしかった。
「彩音」
「はい?」
「家族には連絡した?」
その言葉に、手が止まる。
「まだ、です」
「……そう」
怜奈さんは短く返した。
責めるような声ではない。
でも、誤魔化せる声でもなかった。
「昨日、目が覚めたら本人から連絡させると言ってある。今日中にはした方がいいわ」
「あはは……ですよね」
分かっている。分かっているけど、気が進まなかった。
電話をしたところで何を話せばいいのか分からない。
昨日までの私とは声も身体も違う。しかも家に帰れる状態でもない。
「嫌なら、隣にいるわ」
怜奈さんが静かに言った。
「必要なら代わりに話す。でも、最初はあなたが話した方がいい」
「……はい」
私はスマホを取り出し、母に電話をかけた。
数回のコール音のあと母の声が聞こえる。
『もしもし?』
「……お母さん」
『彩音? 体調はもういいの?』
声は普通。心配しているようにも聞こえる。
けれど、どこか事務的だった。
「うん。大丈夫」
『そう……ならよかったわ』
それだけ。どこにいるのか何があったのか。
昨日の昼から帰っていないこと。もっと聞かれると思っていた。でも母は聞かなかった。
「あのさ、私……しばらく家に帰れないかもしれない」
『あら、そうなの?』
返ってきた声は、驚くほど軽かった。
「うん。ちょっと、事情があって」
『学校は?』
「たぶん、しばらく行けない」
『そうなのね』
母は少し困ったように息を吐いた。
『まあ、無理に帰ってきても大変なら、そちらで休ませてもらいなさい。こっちも今、妹の習い事とかでバタバタしてるし』
——妹。その言葉だけ、母の声が少し柔らかくなった気がした。
『落ち着いたら連絡して。必要なものがあるなら送るわ。相手方によろしく言っといて』
「うん……分かった」
『あと、あまり迷惑かけないようにね。こっちで大きな問題になるのは困るから』
「……分かってるよ」
通話が切れ、画面が暗くなる。
私はしばらく、黒い画面を見つめていた。
「帰ってこいとは、言われなかったのね」
怜奈さんは分かっていたかの様に言った。
「……はい」
言葉にすると、思ったより刺さった。
「迷惑かけないようにって、言われました」
「そうなのね」
「……変ですよね」
「普通なら、もっと聞くと思うわ」
怜奈さんは誤魔化さなかった。私は少しだけ笑おうとして、うまくできなかった。
「でも、うちは昔からそんな感じでした。私が男らしくできなくなってから、ずっと」
そう——昔は違った。女の子みたいに扱われていた頃は、まだ見られていた.
でも、成長して。身体が男性的に変わって。期待された形から外れて。
妹が生まれてからは、もっと分かりやすくなった。私に向いていた視線は、少しずつ薄くなっていった。
「だから、たぶん……楽なんです。帰らなくていいって言われた方が、楽なんですよ」
でも、それを楽だと思ってしまう自分が、少しだけ嫌だった。まだ期待していたのか……
「なら、帰らなくていいわ」
怜奈さんが言った。
あまりにも、あっさりと。
「……え?」
「必要な手続きは後で考えればいい。学校のことも、協会に相談できる。未成年探索者の保護制度もあるわ」
「でも、怜奈さんに迷惑が……」
「今さらね。昨日からずっと魔力を渡して、家に泊めて、手を繋いで一緒に寝てるのよ」
怜奈さんは少しだけ息を吐く。
「だから、しばらくここにいなさい」
「……いいんですか?」
「いいわ」
即答だった。迷いが全くない。
そのことが少し怖くて、でもそれ以上に安心してしまう。
「私、たぶん迷惑かけますよ」
「知ってる」
「魔力も吸います」
「知ってる」
「……本当にいいんですか?」
怜奈さんは、少しだけ眉を動かした。
「何回聞くの?」
「す、すみません」
「いいと言ったらいいの」
冷たい声。
でも、突き放す声ではなかった。
「少なくとも、あなたが自分を保てるようになるまでは、ここにいなさい」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
魔力とは違う。もっと静かで、ゆっくり染み込むような熱。
「……ありがとうございます」
今度は、ちゃんと言えた。
帰る場所とは違うかもしれない。
でも少なくとも、今の私がいてもいい場所だった。




