魔力Gの半サキュバス
探索者協会で登録を終えた私は怜奈さんに連れられて、Eクラスダンジョンに来ていた。
昨日のFクラスダンジョンより、少しだけ遠くにある場所。
入口の黒い歪みは似ているのに近づいた時の空気が少し重い。
Fクラスが体験コースなら、Eクラスは初心者卒業試験。怜奈さんはそう説明していた。
「彩音。ステータス確認した?」
隣に立つ怜奈さんが、いつもの冷たい声で言った。
「はい。初めて見ましたけど、ステータスってシンプルなんですね」
視界に浮かぶ半透明の画面。
そこには、今の私の情報が表示されていた。
黒井彩音 レベル:4
力:C
魔力:G
敏捷:D
耐久:E
精神:F
魅力:A
スキル:性転換、魅了
状態:女性形態維持中
「……魔力、Gなんですけど」
思わず呟く。
女性形態を維持するには魔力が必要。魔力が切れたら不安定になって飢餓状態になる。
そんな説明を散々された後で、魔力Gだよ。どう考えても終わっている状態だった。
「力はC。昨日の時点でレベル4なら、新人としては高い方ね」
「爪でスライム裂いてましたからね……」
「そこは問題じゃない」
「問題じゃないんですか?」
「問題は、魔力の器が小さいこと。維持に使う燃料タンクが小さいのに、燃費も悪い」
「本当に最悪じゃないですか」
「ええ。最悪ね」
怜奈さんは容赦なく頷いた。やめてほしい。
事実だけど、はっきり言われると胸に刺さる。
「だから、Fクラスの魔石では足りなかった。でも、Eクラスなら魔石の質が少し上がる。今日はここでレベルを上げる。最低でも魔力のランクを一段階上げてもらうわ」
「……はい。頑張ります」
私は黒く伸びかけた爪を見る。爪は意識すれば伸ばせる。昨日よりも少しだけ、その感覚は分かるようになっていた。それに、戦うことに恐怖を感じていない。
それが慣れなのか、半サキュバスになった影響なのかは分からない。
「怜奈さん」
「何?」
「もしまた昨日みたいになったら……」
「任せなさい。止めるわ」
即答だった。
そう答えた直後に繋がっていた右手が引っ張られ私はEクラスダンジョンに入っていた。
* * *
魔物を殴り、蹴って、切り裂く。手当たり次第に、私は目についた魔物へ飛びかかった。
Eクラスの魔物は、昨日のスライムとは違った。角の生えた犬のような魔物。
石みたいに硬い甲羅を持つ虫。小さな火を吐く蜥蜴。
どれも、Fクラスの魔物より速くて、硬くて、嫌な動きをする。
それでも、不思議と身体は動いた。
爪が硬い外殻を削るたびに、指先へ鈍い衝撃が返ってくる。
蹴りを外せば足が滑る。火の玉が頬をかすめれば、熱で皮膚がひりつく。
それでも止まらない。倒せば魔石が落ちる。
魔石を口に含めば少しだけ身体が安定する。
そして、経験値が入る。それだけで、今の私には十分だった。
「動きが雑」
背後から怜奈さんの声が飛ぶ。
「っ、分かってます!」
「分かっているなら、正面から突っ込まない。あなたは力任せに裂いているだけ」
「でも、倒せてます!」
「……今はね」
淡々とした声。その直後、横から飛びかかってきた角犬の体当たりをまともに受けた。
すぐさま右手を振り抜いて角犬を倒すが。
「ぐっ……!」
肺の空気が抜け、身体が床を転がった。
昨日よりは動ける……でも、戦い方を知っているわけじゃない。それを思い知らされる。
「立ちなさい」
怜奈さんは助けに入らない。ただ、少し離れた場所でこちらを見ている。
いつでも止められる距離だが、簡単には手を出さない。
「あなたがこれからダンジョンに潜るなら、最低限、自分で立てるようにならないといけない。私も付き合える時間は少ない」
「……っ」
分かっている。分かっているけど、きつい。
体力が無くなり魔力は減り続けている。
倒した魔物の魔石を食べても、胸の奥の空洞は完全には埋まらない。
それでも——戻りたくない。その言葉だけで、私は床に爪を立てて身体を起こした。
「……まだ、いけます」
「そう」
怜奈さんは短く頷く。
「なら、次」
怜奈さんの声に、私は息を吸った。まだいける——そう思った。
思っていたのに足を踏み出した瞬間、視界の端が赤く揺れた。
『魔力残量:低下』
『女性形態維持、不安定化』
『状態異常飢餓の兆候を確認』
胸の奥が、きゅうっと縮む。
さっきまで無理やり動かしていた身体が急に重くなる。指先から力が抜けて、黒く伸びた爪が震えた。
「彩音?」
怜奈さんの声が、少しだけ近くなる。駄目だ。まだ足りない。
魔石を食べても、倒しても埋まらない。胸の奥に空いた穴が、また広がっていく。
「……れ、怜奈さん」
自分でも驚くほど弱い声が出た。
怜奈さんが一歩近づく。でも、すぐには手を差し出さなかった。
「まだ意識はあるわね」
「……あります」
「なら、もう少し見る。どこから危険域に入るのか知っておきたい」
「えっ……」
思わず顔を上げる。怜奈さんは真剣な顔をしていて冷たいというより、慎重な目だ。
私を苦しめたいわけじゃない。ただ、私の状態を正確に把握しようとしている。
それは分かる。分かるけど……。
「でも……」
胸が苦しくて喉が乾く。視界の中で、怜奈さんの魔力だけがやけに鮮明に見えた。
自分の唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
「……お願い」
気づいた時には、そんな声が漏れていた。
怜奈さんの動きが、ぴたりと止まる。
「彩音?」
「少しだけでいいから……手、繋いで……」
言った瞬間、自分で自分の声にぞっとした。
さっきまでの声と違う。高くて、柔らかくて。
弱っているのに、どこか甘えるような響きが混じっている。
無意識に、私は怜奈さんを見上げていた。
床に片膝をついたまま。
銀色の髪が頬にかかり、視界が揺れる。
ただ助けてほしいだけなのに——その言葉も、仕草も、声も。
まるで相手に縋るために作られたみたいに。
『魅了・微弱 発動』
「……っ」
視界の端に浮かんだ文字を見て息が止まる。怜奈さんの瞳が、ほんのわずかに揺れた。
いつもなら感情の読めない冷たい瞳。それが、一瞬だけ迷うように細められる。
怜奈さんはすぐに顔を逸らした。
「……今の、わざと?」
声はいつも通り冷たい。けれど、横を向いた怜奈さんの耳が、少しだけ赤くなっていた。
「ち、違います! わざとじゃないです!」
慌てて首を振る。
「本当に、勝手に……!」
「……そう」
怜奈さんは短く答える。
でも、まだこちらを見ない。
その反応に、こっちまで顔が熱くなる。
何これ。私、今、何した?
いや、お願いしただけだ。手を繋いでほしいって言っただけ。
でも、声も、目線も、仕草も。全部、自分の意思とは少し違っていた。
『魅了・微弱 発動中』
視界の端に浮かぶ文字が、やけに気まずい。
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていい」
怜奈さんは小さく息を吐いた。
「でも、それは危険ね」
「……ですよね」
「弱った時に魅了が漏れる。しかも本人に自覚が薄いときている」
怜奈さんは、ようやくこちらを見た。
いつもの冷静な顔に戻っている。
戻っている、はずなのに。耳の赤みだけが、まだほんの少し残っていた。
「相手によっては、厄介なことになるわ」
「はい……」
言われなくても分かる。もし今、目の前にいたのが怜奈さんじゃなかったら。
知らない探索者だったら。昨日みたいに飢餓状態のまま相手へ近づいていたら。考えたくなかった。
「でも、データは取れた」
「データ……」
「魔力残量が一定以下になると、飢餓の前段階で魅了が漏れ始める。覚えておきなさい」
「はい……」
怜奈さんが手を差し出した。細い温かい手。
「限界確認はここまで。掴んで」
「……いいんですか?」
「今は必要でしょう。手を繋ぐだけよ」
その声は冷静だった。けれど、差し出された手は少しだけ強く私を待っているように見える。
私は恐る恐る、その手を握った。
「……怜奈さん、耳赤いです」
「気のせいよ」
「いや、でも」
「気のせいよ」
「二回言った……」
握り合った手から流れ込んでくる魔力は、昨日よりも甘かった。
私はその温もりに縋るように、ほんの少しだけ指に力を込める。
そして、その甘さを覚えてしまった自分が——少しだけ、怖かった。




