七夕の願いが叶う日
「まさか、この歳で新しい娘が二人も出来るとは思わなんだなぁ!」
「きゃっ!?」
突然身体が浮いた。
気付けば私は大きな腕に抱え上げられていた。
まるで子供みたいにひょいっと。
「彩音ちゃん軽いなぁ!」
「ちょっ、下ろしてください!?」
見上げれば視界には見覚えのある男がいた。
相変わらずシャツ一枚。鍛え上げられた身体を隠す気が一切ない氷室家当主——怜奈さんのお父さんだ。
「あなた、そこまでにしないと彩音ちゃんと菜月ちゃんに嫌われちゃうわよ」
呆れたような声と共に、怜奈さんのお母さんが近づいてくる。
「む? 嫌われるのか?」
「当たり前でしょう」
そのやり取りを聞きながら、私はようやく今日が七月七日——七夕だということを思い出した。
襲撃事件から一日。
私と菜月、それからクロは氷室家へ泊まり、そのまま今日を迎えていた。そして今日は私たち姉妹が正式に氷室家に迎えられる日であり、怜奈さんの誕生日でもあった。
朝から大変だった——服選びである。
怜奈さん配下のメイドさん達に囲まれ、
「こちらです」
「いえ、こっちでは?」
「彩音様は青系統が似合います」
「菜月様は白ですね」
「姉妹なら、出来るだけ合わせたいですね」
などと好き勝手言われ続け、最終的に私も菜月も青と白を基調にしたドレスを着せられていた。完全に着せ替え人形だった。途中から怜奈さんも混ざってアクセサリーの選定までし始めて着飾るだけで数時間掛かった。
そして現在。
氷室家の屋敷には想像以上の人数が集まっている。探索者協会のお偉いさん。有名な配信者やインフルエンサー。政治関係者。氷室家と縁のある企業の社長。怜奈さんの誕生日会というより、大規模な社交パーティーだ。
そんな場所で私は今。
氷室家当主に抱え上げられていた。
「ほれ菜月ちゃんも来るか?」
「遠慮します」
「がはは、遠慮するな!」
「ちょ! ちょっと——」
抗議の声を上げる間もなく菜月は怜奈さんのお父さんに抱き上げられて、軽くくるりと回される。そんな様子を周りは微笑ましそうに見ていた。私は菜月の無事を祈りながら、少し離れた位置に座って飲み物を飲んでいた飛鳥さんの元まで避難していく。
「あら、お父さんの相手は終わったの?」
「はい。妹を生贄になんとかですけど」
「こんなに招待客が居るのに、紹介もすっぽかしてアレだからねぇ。まぁ、それほどに彩音ちゃん達——新しい娘が出来て嬉しいのだろうけどね」
「喜んでくれてるなら良かった。のかな?」
そう呟きながら飛鳥さんの隣に座ろうとした、その時だった。横から手を引かれる。
「え?」
気付けば私は、近くの椅子に座っていた怜奈さんの膝の上に座らされていた。
「れ、怜奈さん!?」
「……なに?」
「なに、じゃないです。いつの間に……」
パーティーが始まってすぐ、怜奈さんは招待客に囲まれていたはずだ。探索者協会のお偉いさんや、企業の偉い人たちに挨拶をしていて、しばらく戻って来られないと思っていた。
なのに、普通にここにいる。
しかも私を膝に乗せている。
「挨拶は終わらせたわ」
「早くないですか?」
「彩音が逃げていたから」
「逃げてません!」
「父からは逃げていたわ」
「いや、あれは逃げますよ!?」
飛鳥さんが隣でくすくす笑う。
「怜奈、招待客放置していいの?」
「最低限は済ませたもの」
怜奈さんは淡々と言いながら、私の腰へ腕を回す。完全に逃がす気はないらしい。
「今日は彩音たちを迎える日でもあるから」
怜奈さんの声が少しだけ柔らかくなる。
「私の隣にいてもらわないと困るわ」
「……」
そんなことを真顔で言われると反応に困る。
困るのに胸の奥がじんわり熱くなる。昨日、自覚してしまったせいだ。怜奈さんの何気ない一言に、いちいち心臓が反応してしまう。
怜奈さんの誕生日。そして——私と菜月が正式に氷室家へ迎えられる日。昨日までと何が変わるのかと言われれば、きっと急に生活が変わるわけではない。怜奈さんも飛鳥さんも、お父さんもお母さんも、もう十分すぎるほど私たちを家族として扱ってくれていた。
それでも、今日という日には意味がある。
思い返せば、濃厚な3ヶ月だったな……。
学校を抜け出してダンジョンに入って、性転換スキルを手に入れて、半サキュバスになって、そして怜奈さんと出会った。
不安だったことも多い。苦しかったこともある。けれど、気付けば私は一人じゃなかった。
菜月がいて。クロがいて。飛鳥さんがいて。
そして——怜奈さんがいる。あの日、学校を抜け出さなければ手に入らなかったものだ。
そんな時だった。
「おーい!」
屋敷中に響く大声は聞き覚えしかなかった。
「みんな注目だ!」
会場の視線が一斉に中央へ集まる。そこには満面の笑みを浮かべた氷室家当主——怜奈さんのお父さんが立っていた。その隣では菜月が既に嫌な予感を察したような顔をしていた。
私も同じ気持ちだった。
「あっ……」
嫌な予感しかしない。
「行くわよ」
怜奈さんが立ち上がる。
そのまま自然に私の手を握った。
「え?」
「呼ばれているでしょう」
逃げ道はなかった。私は怜奈さんに手を引かれながら、人混みの中を歩いていく。
周囲から向けられる視線は好奇心、興味などで、どこか優しい眼差しであった。
気付けば菜月も隣へ並んでいた。
そして私たちは、お父さんの前へ立つ。
「よし!」
お父さんは満足そうに頷いた。
「今日は娘の誕生日に来てくれてありがとう!」
拍手が起きる。
「だが今日は、それだけじゃない!」
会場が静かになる。
私は思わず息を呑んだ。
「以前から話していた通り——今日からこの二人は正式に氷室家の家族だ!」
その瞬間、会場中から大きな拍手が響いた。
私は少しだけ目を見開く。家族。その言葉が胸の中へゆっくり落ちていく。
複雑な気持ちがないわけじゃない。
実の両親が消えるわけでもない。
過去がなくなるわけでもない。
それでも——今、この瞬間だけは胸を張って思えた。ここが、私たちの居場所なのだと。
* * *
その後は驚くほど賑やかな時間だった。
お父さんは酒を飲みながら私たちの話を延々と続けていたし、お母さんはそれを止めながらもどこか嬉しそうだった。菜月はいつの間にか同年代の子たちと話していて、クロは料理係の人たちに可愛がられていて満足そうであった。
たくさんの人に祝福されて。
たくさんの人に歓迎されて。
気付けば、あっという間に時間は過ぎて。
そして――気付けば夜になっていた。
「……緊張する」
私は怜奈さんの部屋の前に立っていた。手には小さな紙袋がある。今日、何度も誕生日おめでとうとは言った。けれど、これは別だ。
プレゼントを渡して。それから、ちゃんと返事をする。そう決めていたのに、いざ扉の前に立つと心臓がうるさくて落ち着かない。
「……よし」
小さく息を吐いて、扉をノックする。
「入って」
返ってきた声は、いつも通り静かだった。
私は扉を開ける。
部屋の中は薄暗かった。窓の外には夜空が広がり、月明かりが床に淡く落ちている。その光の中、怜奈さんはベッドのふちに腰掛けていた。お風呂上がりなのか、黒い髪はまだ少し湿っている。月明かりを受けて艶のある髪がきらきらと光っていて思わず息を呑んだ。
綺麗だ……。
ただ、それだけが頭に浮かぶ。
鋭い目つき。無表情。側から見れば怒っているようにも見えるかもしれない。でも、今の私は知っている。怜奈さんは怒っているわけじゃない。たぶん、少し緊張しているだけ。
私と同じように。
「彩音」
名前を呼ばれるだけで、胸が跳ねる。
「は、はい」
私は部屋へ入り、扉を閉めた。
その音がやけに大きく聞こえる。
「今日、何度も言いましたけど……」
紙袋を両手で持ちながら怜奈さんの前へ。
「改めて言わせてください」
一度息を吸う。
「誕生日、おめでとうございます」
そう言って紙袋を差し出した。
「これ、プレゼントです」
怜奈さんは少しだけ目を見開いた。それから壊れ物でも扱うみたいに慎重に受け取る。
「開けても?」
「どうぞ」
怜奈さんが紙袋の中を確認する。その間、私は落ち着かなくて指先を握ったり開いたりしていた。気に入ってくれるだろうか。変じゃないだろうか。そんな不安ばかりが浮かぶ。
けれど。
「……嬉しいわ」
怜奈さんは小さく呟いた。表情はほとんど変わらない。でも、声が少しだけ柔らかい。
「よかったです」
私は小さく笑う。
そして、すぐに胸の奥がまたうるさくなる。
「それと……」
怜奈さんが顔を上げる。私は紙袋を受け取った怜奈さんの手元から視線を上げた。
逃げるな。ここで誤魔化したら駄目だ。怜奈さんはちゃんと自分の気持ちを伝えてくれたんだから今度は、私が答える番なんだから。
「この前の返事なんですけど」
心臓がうるさい。怜奈さんは何も言わずに、私を見ている。急かすわけでもなく、ただ静かに待ってくれているみたいだ。
「昨日まで、自分でもよく分かってなかったんです」
言葉にすると、少しだけ情けなかった。
「怜奈さんと一緒にいると安心するし、嬉しいし構ってもらえないと落ち着かないし……でも、それが何なのか、分かってなくて」
私は拳を握る。
「でも昨日、怜奈さんが戦ってるって思った時、頭の中が真っ白になりました」
あの時のことを思い出すだけで、胸の奥が少し苦しくなる。
「会いたくて、無事か確かめたくて、気付いたら飛んでました」
たぶん、告白としてはかなり変だ。
でも、それが私の本音だった。
「それで、分かったんです」
私は怜奈さんを見る。
今度は目を逸らさない。
「私も怜奈さんのことが好きです」
言えた。胸が熱い。顔も熱い。
でも、口は止まらなかった。
「私で良ければ、恋人になってください」
部屋が静かになる。
怜奈さんは何も言わない。
ただ、じっと私を見ていた。
「……怜奈さん?」
少し不安になって名前を呼ぶ。
すると怜奈さんは一歩近づいてきた。
そして――ぎゅっと抱きしめられた。
「れ、怜奈さん……」
尻尾が自然と怜奈さんの腰へ巻き付く。怜奈さんの腕も離れる気配がない。2人の心臓の鼓動が一つになったみたいにうるさい。
しばらくしてから、ようやく顔を上げた怜奈さんが、小さく呟いた。
「……嬉しい」
それはたぶん、今まで聞いたことがないくらい素直な声だった。だから私も少し笑った。
「それなら……良かったです」
そう言った瞬間。
怜奈さんの手が私の頬へ触れた。
「彩音」
名前を呼ばれ自然と目が合う。そして――そっと額に触れるような軽い口づけが落ちた。
ほんの一瞬。けれど胸がいっぱいになるには十分だった。離れたあとも、私たちはしばらく何も言わなかった。
ただお互いの額を寄せ合って、小さく笑う。
窓の外では七夕の星が静かに輝いていた。




