怜奈お姉ちゃん
彩音達がCランクダンジョンに入っていた頃。
駅前にあるショッピングモールで、私は怜奈さんと並んで歩いていた。正確には、肩を組まれていた。いつも朝に迎えに来る綺麗なメイドさんみたいに周りを警戒しながら二人、歩いているのだ。
「……怜奈さん」
「なに?」
「距離近くない?」
「そうかしら?」
怜奈さんはいつも通りの顔で首を傾げる。
無表情。無感情……に見える。
けれど、最近少しだけ分かってきた。
この人は表情が動かないだけで、感情がないわけではない。むしろ、たぶん結構ある。
ただ、それを外に出すのが下手なだけだ。
「菜月」
「はい」
「次は服を見るわ」
「また? さっき8着も買いましたよ?」
「まだ足りないものが多いもの」
そう言って、怜奈さんは迷いなく私を店へ連れていく。今日の目的は、私の普段着や雑貨を揃えることらしい。下着。部屋着。学校用の小物。靴下。ヘアゴム。
生活に必要なものは思っていたより多い。
今までは最低限の物で何とかしていたけれど、怜奈さんはそれを許さなかった。
「必要なものは必要な時に買いなさい」
「でも、そんなに買ってもらうの悪いし」
「悪くないわ。あなたはもう、こちらで保護する子で——私の妹でもあるのだから」
「……」
その言い方は少しだけ固いと思ったが、後半には妹と呼んでくれた。感情を出さずにズバズバと言う所が怜奈さんらしいと思った。
私は横目で怜奈さんを見る。
この人は、お姉ちゃんのことが好きだ。たぶん、本人が思っているよりずっと。そして、お姉ちゃんも怜奈さんのことが好きだ。
見ていれば分かる。昨日の朝なんて、顔を赤くしながらも尻尾は隣の怜奈さんに擦り付いて離れていなかったからね。
だから二人は、たぶん大丈夫。
「菜月」
「なに?」
「私は愛想が良い方ではないわ」
「どうしたんです。急に?」
怜奈さんは服を一枚手に取りながら、淡々と言った。
「自覚はあるの」
「へぇ」
「だから、あなたと上手くやれるかは少し心配している」
私は思わず怜奈さんを見た。相変わらず顔は変わらない。けれど、声だけは真面目だった。
「もしかして、私を甘やかして味方にしようとしてる?」
冗談半分で言った。
でも、怜奈さんは否定しなかった。
「そうね」
「否定しないんだ」
「彩音の大事な妹に嫌われたくないもの」
その言葉に少しだけ胸が変な感じになった。
怜奈さんは、続ける。
「それに、もし彩音が私に飽きても、あなたは彩音の味方でいてくれるでしょう?」
「……怜奈さん」
「その上で、少しだけ私の味方にもなってくれたら助かるわ」
淡々と。本当に淡々と、そんなことを言う。
この人は無表情で無愛想で少し怖く見える。
でもたぶん、中身はかなり重い。
お姉ちゃん、大丈夫かな?
いや、お姉ちゃんも大概重いから、釣り合っているのかもしれない。本人は気づいているか分からないが、怜奈さんが構ってくれる回数が少ないと明らかに調子が悪くなるし、構え構えオーラを醸し出し始める。ぶっちゃっければ、クロの方が純粋に甘えてくるから対処が楽だ。
「怜奈さん」
「なに?」
「お姉ちゃん、たぶん飽きないよ」
怜奈さんの手が、ほんの少しだけ止まった。
「そう?」
「うん。あれはもう手遅れ」
「手遅れ……?」
「怜奈さんの話になると顔が赤くなるし、尻尾もすごいし。怜奈さんが彩音に構ってる回数が少ないと、無意識に拗ねてたし」
「……そう」
怜奈さんは短く返した。でも、耳が尋常じゃなく赤かった。私はそれを見て、笑いそうになるのを下を向いて我慢してみせた。
この人、案外分かりやすいなぁ。
* * *
ショッピングモールを出る頃には、空は少しだけ赤く染まり始めていた。
「結局、何着買ったんですか?」
「数えていないわ」
「絶対に数えた方がいいと思う」
紙袋を抱えながら歩く。正面には氷室家の車。その隣には、いつも私を送り迎えしてくれているメイドさんが立っていた。
「お帰りなさいませ。お嬢様がた」
メイドさんが頭を下げながら右手のスイッチを押せば、SUVの後部ドアが静かに開く。
私が先に荷物を車に押し込もうとしていた——その時だった。怜奈さんの足が止まる。
「……怜奈さん?」
隣を見る。
怜奈さんは車を見ていなかった。駐車場の奥。柱の影。停車している数々の車の隙間。
何かを探るように視線を動かしている。
そしてメイドさんの顔からも笑みが消えた。
「怜奈お嬢様……」
「ええ」
短いやり取り。それだけでさっきまでの買い物帰りの空気が、一瞬で消えた。
「菜月を車へ」
怜奈さんが言いかけて、すぐに言葉を切る。
「……いえ。私の後ろで菜月を守ってちょうだい」
「かしこまりました」
メイドさんが私の前に立つ。その指先が、すっと宙をなぞった。淡い光の線が空中に浮かび上がる。まるで見えない紙に文字を書いているみたいに、光の線が重なっていく。
「菜月様、私の後ろから動かないでください」
「は、はい」
メイドさんの声は落ち着いていた。けれど、その横顔はいつもよりずっと真剣だった。
メイドさんの後ろから怜奈さんの方を見れば柱の影から、人影が現れていた。
黒いフルフェイスマスクを被っている三人。
それだけで、嫌な汗が背中を伝った。
「……また、こういうの」
怜奈さんが小さく呟く。
次の瞬間、三人が同時に動いた。一人は怜奈さんへ。一人はメイドさんへ。そして最後の一人は、真っ直ぐ私へ向かってきた。
「っ!」
足が竦む。
メイドさんの指がさらに速く動いた。宙に描かれた光の文字が、ぱっと広がったと思ったら、私の前に半透明の膜が生まれた。
けれど、その刃が膜に届くより早く。
怜奈さんが、静かに一歩踏み出した。
「触らないで」
その声と同時に、空気が凍った。
比喩じゃない。本当に、駐車場の空気が一瞬で冷えた。床に白い霜が走る。車の窓が白く曇る。柱の表面に薄い氷が張りついていく。怜奈さんの足元から冷気が広がっていた。
「菜月を狙ったわね」
声は静かだった。けれど、今まで聞いたことがないくらい冷たい。
「それに、彩音と姉さんの方も心配だわ」
怜奈さんの周囲に、氷の粒が浮かぶ。光を受けてきらきらと輝いているのに、少しも綺麗だと思えなかった。怖い。そう思ってしまうくらいには、圧があった。
「だから」
怜奈さんが、襲撃者たちを見る。
「さっさと終わらせてもらうわ」
瞬間——白い冷気が爆ぜた。
音が消え、視界が白く染まる。何が起きたのか分からなかった。ただ、目の前で動いていた三人の影が、一斉に止まった。
床から氷が噴き上がり、足を絡め取る。
腕を固めて武器ごと指先を封じる。逃げようとした人影の背後に厚い氷の壁が生まれる。
全員が、声を上げる間もなく凍りついた。
完全に凍らせたわけじゃない。首から下だけを氷で固定して動けないようにしている。
武器も振るうことは出来ないが、息はできているようだ。そして、それを一瞬でやったのだと気づいて、私は言葉を失った。
「……すご」
声が震えた。
怜奈さんは息ひとつ乱していない。ただ静かに、凍った三人を見ていた。さっきまで私の服を選んでいた人と同じ人だとは思えない。
メイドさんが宙に描いていた光の文字を消す。
「怜奈お嬢様」
「分かってる」
以心伝心みたいな短いやり取りのあと、怜奈さんはこちらへ歩いてくる。私は思わず肩を揺らし、怜奈さんの足が止まる。
「あ……」
しまった、と思った。
怖かったわけじゃない。いや、少し怖かった。
あまりにも綺麗で、あまりにも冷たくて、あまりにも強かったから。怜奈さんは私の前まで来て、ゆっくりと手を上げる。
たぶん、頭を撫でようとしたのだと思う。
けれど、その手は途中で止まった。
私が一瞬怯えたことに、気づいたのだ。
怜奈さんは少しだけ目を伏せる。
そして手を下ろしてしまった。
「……怪我がなくて良かったわ」
それだけだった。
その声が、少しだけ寂しそうに聞こえた。
だから、今度は私から近づいた。
「怜奈お姉ちゃん」
怜奈さんの目が、少しだけ見開かれる。
私はそのまま、一歩前へ出る。
そして、ぎゅっと強く抱きついた。
「ありがとう」
怜奈さんの身体が固まる。
「守ってくれて」
数秒——本当に数秒だけ、沈黙があった。
それから。私の頭に、そっと手が置かれる。
「……どういたしまして」
いつも通りの静かな声だった。でも、頭を撫でる手は驚くくらい優しかった。少し離れた場所で、メイドさんが小さく咳払いをする。
「怜奈お嬢様。すぐに協会へ連絡を」
「……ええ」
怜奈さんは私をその場で持ち上げる。いわゆる、お姫様抱っこと言われる持ち方だ。
恥ずかしさから声を上げようとするが、怜奈さんの顔はまだ不安そうな表情をしていた。
「連絡しながらで良いから、彩音と姉さんが居るダンジョンまで全力で向かって」
「えっ、それって——」
「大丈夫。姉さんは私が知る限り最強の探索者だから、彩音に危害は無いはずよ。もし守れなかったら殴るわ」
そう言って怜奈さんは私を持ちながら車に乗り込む。
メイドさんはエンジンをかけてから、小さく笑った。
「飛鳥様を殴れるのは、旦那様と奥様、あとは怜奈お嬢様くらいでしょうからね」
「なら、殴らなくて済むことを祈るわ」
怜奈お姉ちゃんは、私を抱えたまま静かに言った。
次の瞬間、車が走り出す。
窓の外で、ショッピングモールの景色が後ろへ流れていく。私は怜奈お姉ちゃんの腕の中で、ただ祈ることしかできなかった。
彩音お姉ちゃんが、無事でありますように。




