いもうとちゃん初公開?
「配信するか!」
私は足を止め、高らかに宣言する。
「……今から?」
「うん」
「これから家族面談なんだけど?」
菜月はソファーに座ったまま、私を見ながらマグカップを口に運ぶ。顔色は昨日よりも良く、すでに頬の叩かれた跡は消えている。
協会での話し合いは午後二時から。
怜奈さんはその準備のため、朝から協会へ向かっていた。相談室の確保。協会担当者との打ち合わせ。駐車場の防犯カメラの確認。
出かける前に、怜奈さんは私たちへ何度も念を押した。
「親から連絡が来ても返さない。外には出ない。何かあればすぐ私に連絡しなさい」
「はい」
「彩音、勢いで動かないこと」
「はい……私だけ念押し多くないですか?」
「前科があるから」
ぐうの音も出なかった。
そんなわけで、今この家にいるのは私と菜月とクロだけである。そして私は、さっきからリビングを意味もなく歩き回っていた。
「彩音、ずっと同じところぐるぐるしてる」
「してない」
「してる。五周目」
「……運動」
「ふふ、運動に入るのかな、それは」
妹の冷静なツッコミが痛い。腹を決めたつもりではある。けれど、面談まであと四時間あると思うと、どうにも落ち着かない。座っていても足が揺れるし、立っていても意味もなく歩いてしまう。
歩くたびに尻尾の先端が床に当たって、このままだと、本当に床が削れるかもしれない。
だからこその配信である。
「昨日の件もあるし、何も言わないままだと変な噂が増えそうだしね」
「昨日の件……」
「相手の配信ドローン、ずっと回ってたでしょ。私がキレかけたところも、菜月が止めてくれたところも、多分かなり見られてる」
そう言うと、菜月は少しだけ目を伏せた。
「……私の顔とか声も、出てるよね」
「たぶんね」
そこは誤魔化せなかった。
男たちの配信がどこまで残っているのかは分からない。昨日から色々なことが起きすぎていて確認はしていないが、切り抜きが出回っている可能性もある。菜月の顔も、声も、完全に隠しきれているとは言えなかった。
「まあ、バレたものは仕方ないよね」
菜月はあっさりと言った。
あっさり。本当にあっさりだった。
「いやいやいや、仕方ないで済ませていい話じゃないからね?」
「でも、もう映ってるならどうしようもなくない?」
「それはそうだけど! それと私が自分の配信で菜月をそのまま出すのは別問題なの!」
私は端末を操作しながら、配信アプリの設定画面を開く。
「顔はモザイク。フルネームは出さない。学校も年齢も詳しく言わない。変なコメントが来たら即ブロック。分かった?」
「てかさ……私も出る前提なんだ」
「え?」
菜月に言われて、私は固まった。
そうだ。なぜ、私は菜月も出すの確定みたいに話を進めているのだろうか?
「……いや、違うよ? 出したいわけじゃなくて、もし映るならって話で」
「ふーん」
「本当だからね? 菜月を勝手に配信に出す気はないからね?」
「なんだぁ、可愛い妹を紹介したくてウズウズしてるのかと思ったじゃん」
菜月はマグカップを置いて、こちらを見てにこりと笑う。その笑顔は以前見た、おもちゃを見つけた飛鳥さんに酷似していた。
「誰がウズウズしてるか!」
「違うの? じゃあ、なんで私も出る前提で喋ってたのかなぁ? もしかして寂しいのかなぁ?」
「違う! 私は菜月の安全を考えてですね」
「はいはい。過保護お姉ちゃん」
「お姉ちゃん呼びをそういう使い方しないで!」
菜月はくすくす笑いながら、マグカップをテーブルに置いた。その笑い方を見て、少しだけ胸の奥が軽くなる。昨日、父の前で震えていた菜月とも、母の連絡に怯えた菜月とも違う。今の菜月は、私をからかう余裕がある。
それが、嬉しかった。
「でも、少しだけなら出てもいいよ。ていうか出させてよ。彩音のリスナーさんに心配かけちゃったからさ」
「……いいの?」
思わず聞き返す。
「うん。保護機能ついてるし、話すのは報告ぐらいでしょ? まぁ、顔も声もバレてるだろうけどね」
「そうだけど……本当に無理してない?」
「してないよ」
菜月は少しだけ肩をすくめた。
「怖くないって言ったら嘘だけど、心配してくれた人に何も言わないのも、なんか違う気がするんだ」
「……そっか」
守りたい。隠したい。見せたくない。そう思う気持ちはある。でも、菜月が自分で言いたいと言うなら、それを全部止めるのは違う気がした。
昨日、菜月は私を止めた。父の前でも、自分の言葉で立った。母からのメッセージを見ても、黙って飲み込むだけではなかった。
なら、今も同じだ。私は菜月の代わりに全部決めるんじゃなくて、菜月が決めたことを守ればいい。
「顔はモザイク。フルネームは出さない。学校や年齢も言わない。雑談と報告でいい?」
「はーい」
「あと、私の恥ずかしい話はしない」
「それは内容によるかなぁ」
「菜月?」
妹の目が、完全に悪戯を思いついた時のそれだった。不安も緊張もしている。でも、昨日よりずっと自然に笑えている気がする。
私は配信アプリのプライバシー保護機能をオンにする。試しに菜月が画面を覗き込むと、顔の部分だけがぼんやりとぼかされた。
「おお! 本当にモザイク掛かった!」
「おお、じゃないよ。これでも完全に安全ってわけじゃないからね」
「もう、分かってるって」
「本当に?」
「分かってる。変なことは言わない」
私は不安を覚えつつも、配信用端末をテーブルに置いた。映るのは私と、顔にモザイクがかかった菜月だけ。クロは足元で丸くなっていたが、端末を起動した瞬間、何かを察したように顔を上げる。
「クロ、今日は大人しくしててね」
「わふ」
「返事はいいんだけどなぁ……」
菜月がくすっと笑う。私は深呼吸してから、配信開始のボタンを押した。
数秒後、コメントが流れ始める。
『きたあああ』
『半サキュバスさんだ』
『昨日大丈夫だった!?』
『頬の傷は?』
『あれ、マジで妹ちゃんなの?』
『ストーカーお姉ちゃん!』
『昨日の切り抜き見たぞ』
『見守り失敗の人だ』
『黒フードの不審者お姉ちゃん』
『職質されたってマジ?』
「こらこら。ストーカーじゃないし、不審者でもないからね?」
私は思わず画面に向かって言い返す。
すると、隣に座っていた菜月が、モザイクのかかった顔を少しだけこちらへ向けた。
「いや、あれは普通に不審者だったよ」
「菜月!?」
妹の裏切りは予想よりも早かった。
その言葉にコメント欄が一気に加速した。
『妹ちゃん!?』
『声かわいい』
『本当に妹ちゃんだ!』
『いもうとちゃん初公開!?』
『妹ちゃんからの証言きた』
『不審者認定で草』
『身内証言は強い』
「身内証言って何! 菜月も乗らないで!」
「だって、黒フードにマスクとサングラスで後ろからついてきたんでしょ?」
「事実だけど言い方を考えてよ!」
『完全に通報案件』
『協会の人に止められるのも納得』
『お姉ちゃん、ストーカーが下手すぎる』
『不審者検定不合格』
『不審者ムーブ初心者で草』
『妹ちゃんの方が落ち着いてて草』
「みんな許してあげて? 彩音——お姉ちゃんは可愛い妹を心配して、ちょっとだけ不審者みたいな行動をしちゃっただけだから」
「菜月さん?」
私は妹の方を見る。もちろん、菜月の顔にはモザイクがかかっている。けれど、その向こうで絶対に楽しそうな顔をしているのが分かるくらいには笑顔であった。
「フォローしてるんだよ?」
「してるように見せかけて、背中から刺してない?」
「気のせい気のせい」
『妹ちゃん容赦なくて草』
『これは配信向き』
『姉よりコメント拾い上手い』
『妹ちゃん、もう一回お姉ちゃん呼びして』
『過保護お姉ちゃんかわいい』
『妹ちゃん推せる』
「なに? この流れ。私の配信だよね?」
「そうだね」
「なんで菜月の方が馴染んでるの?」
「ん〜……才能?」
「自分で言うな!」
菜月はくすくす笑う。その笑い声だけで、コメント欄がまた盛り上がる。
『笑い声かわいい』
『モザイク貫通してかわいい』
『美人すぎてモザイク仕事してない』
『モザイク越しでも分かる清楚感』
『姉妹揃って顔面強いのずるい』
「モザイク貫通って何!? 怖いこと言わないで! あと顔の話はやめようね! 妹の顔は出しませんからね!」
「彩音、過保護」
「過保護でいいの!」
私は強めに言い切る。すると、コメント欄に少しだけ真面目な文字が流れた。
『そこちゃんとしてるの偉い』
『昨日映ってたとしても、自分の配信で出さないのは大事』
『妹ちゃん守ってて好感』
『半サキュバスさん、ちゃんとお姉ちゃんしてる』
不意に、言葉が詰まった。
ちゃんとお姉ちゃんしてる。その一文が、妙に胸に刺さった。昨日までの私は、菜月を守るつもりで暴走しかけた。止められたのは私の方だった。父と母の前でも怖くて仕方なかった。それでもそう言ってくれる人がいる。
「……ありがとう」
思ったより、小さな声になった。
隣で菜月がこちらを見る気配がした。
「彩音は、ちゃんとお姉ちゃんしてるよ」
「……菜月」
「過保護になっちゃったけど」
「最後に余計なの付けないで?」
私は軽く咳払いをして、画面を見る。
「えっと、昨日の件で心配をかけた人がいたら、すみません。私は大丈夫です。頬の傷もほとんど治っています」
そう言ってから、菜月を見る。
「妹も無事です。詳しい事情は話せません。顔もフルネームも出せません。ご了承ください」
菜月は少しだけ背筋を伸ばした。顔はモザイクで隠れているけれど、画面の向こうをちゃんと見ているのが分かる。
「……心配してくれた人、ありがとうございました。私は、大丈夫です」
その声は少しだけ緊張していた。
でも、はっきりしていた。
コメント欄の空気が、少し変わる。
『無事でよかった』
『妹ちゃんも怖かったよな』
『声聞けて安心した』
『二人とも無理すんな』
『ちゃんと休んで』
『応援してる』
『半サキュバスさんも妹ちゃんも頑張れ』
『昨日は本当に危なかった』
知らない人たちだ。画面越しの言葉だ。全員が本気で心配しているわけではないかもしれない。それでも今の私たちには十分だった。
「……ありがとうございます」
素直に頭を下げる。菜月も頭を下げた。
コメント欄には、まだたくさんの応援が流れている。もう少し配信していたい気持ちもあった。けれど、そろそろ時間だ。
私は後ろ髪を引かれる思いで、配信終了のボタンに指を伸ばした。
「じゃあ、そろそろ行ってきます」
『いってらっしゃい』
『頑張れ』
『二人とも帰ってこい』
流れていく文字を見て、私は小さく笑う。
「うん。行ってくる」
そう言って、画面を閉じた。




