お姉ちゃんって難しい
「誰に手を出したのか、分からせてあげようか?」
自分でも驚くほど冷たい声だった。男たちは顔を引きつらせたまま、一歩、また一歩と後ずさる。けれど、私は止まらなかった。
足元の草を踏みしめながら男たちへ近づく。
上着の中に隠していた尻尾が、するりと外へ出た。黒い尻尾が地面を撫でるように動く。
サキュバス先生には言われていた。
怒りで声を使うな。感情に任せて魅了を流すな。相手を支配する力は、自分の心が乱れた時ほど暴走しやすくて、制御が難しくなる。
分かっている。
分かっているのに……。
「い、いや、待てって……!」
「ちょっと脅かしただけだろ!?」
「脅かした?」
私は笑った。
たぶん、笑えていなかったと思う。
「菜月に当たってたかもしれないのに?」
「だから、当たってねえだろ!」
「当たってなければ、いいんだ……てかさ、私には当たってるんだけど?」
声に魔力が乗る。空気が少しずつ重くなっていく。
けれど、その時の私は気づかなかった。
男達の肩がびくりと震え、さらに後ずさる。
そして、そんなやり取りを配信用ドローンが私の顔を捉えたまま空中で映し出していた。
たぶん、誰かがこの状況を見ている。怜奈さんや飛鳥さん。もしかしたら、お父さんやお母さんかもしれない。だけど今はそれすら、どうでもよかった。
私は手を伸ばして男の胸ぐらを掴むつもりだった。その瞬間、上着の中から飛び出した尻尾が、私より先に動いた。
「ひっ……!?」
黒い尻尾が男の手首に絡みつく。
さっき魔力の刃を出した方の手だ。
ぎり、と力を込めると、男の顔が歪んだ。
「い、痛っ……! 離せよ!」
「痛い?」
私は首を傾げた。
「菜月に当たってたかもしれない攻撃をしておいて、自分が痛いのは嫌なんだぁ」
サキュバス特有の少し甘めの声に、魔力が乗って男の鼓膜を揺らす。男はがくりと揺れた。
尻尾に、さらに力が入る。男の手が不自然に強張り、喉から情けない声が漏れた。
「や、やめ……っ」
その声を聞いても、私は止まらなかった。
止めようと思わなかった。このまま力を入れれば、簡単に動けなくできる。このまま地面に伏せさせて、二度と同じことができないくらいには——
「彩音!」
背中に、温かい重みがぶつかったと同時に細い腕が、私の胴に回される。ぎゅっと、必死にしがみつくように抱きつかれていた。
「やめて!」
菜月の声だった。
「……菜月」
私の足が止まる。伸ばしかけていた手が、宙で止まった。背中越しに菜月の震えが伝わってくるのが分かる。怒っているのか、怖がっているのか、それとも両方なのか……。
「もういいから! もう、やめて……!」
その声を聞いた瞬間、頭の奥で冷えていたものが、少しずつ溶けていく。
私は何をしようとしていた?
菜月を守るため——そう思っていた。
でも本当に、それだけだったのか?
私は、自分の怒りをぶつけたかっただけではないのか。傷つけられかけた恐怖を相手に返そうとしていただけではないのか。昔なら傷付いたら我慢していたのに……。
これも成長なのか、はたまた別の何かか。
「……ごめん」
声が掠れた。
菜月の腕の力が、少しだけ強くなる。
「私、別に……彩音にそんなことしてほしかったわけじゃない」
「……うん」
「助けてくれたのは、嬉しかった。でも……怖かった」
胸の奥が、きゅっと締め付けられる感覚。
男たちではない。私を見て菜月が怖がった。
その事実が、頬の傷よりずっと痛かった。
私はゆっくり手を下ろす。
尻尾も、力を失ったように地面へ落ちた。
「……分かった。もうしない」
そう言うと、菜月はようやく私から少しだけ離れた。でも、完全には手を離さない。服の裾をぎゅっと掴んだままだった。
その様子を見て、男の一人が息を吹き返したように声を上げる。
「な、なんだよ……ビビらせやがって」
「てか、こいつ有名な半サキュバスじゃん」
「マジ? なぁ、俺らも悪かったからさぁ、一緒にコラボってことで流そうぜ?」
「そうそう。さっきのも演出ってことにすれば、そっちも燃えずに済むだろ?」
その言葉で、私の眉が動いた。この期に及んで、まだそんなことを言うのかコイツら。
けれど、今度は前へ出なかった。出ようとした瞬間に菜月の手が私の服の裾を強く掴んだ。
「……彩音」
小さな声。でも、それだけで私は止まれた。
代わりに菜月が一歩、私の横へ出る。
顔色は悪いし、手も震えている。
それでも菜月は男たちから目を逸らさない。
「映ってるなら、ちょうどいいですね」
その声は震えていた。
けれど、はっきりしていた。
「嫌だって言ったのに声をかけ続けたことも、ドローンを向けたことも、魔力で攻撃したことも、全部映ってますよね」
男たちの顔色が変わる。
「いや、それは——」
「協会の人に確認してもらいます」
菜月はそう言って、近くを巡回していた監視員の方へ視線を向けた。どうやら我を忘れかけていて気づかなかったらしい。ここは最近見つかったばかりの人気ダンジョン、故に初心者から上級者の探索者がいっぱいいる。
「男どもが悪いな」
「あの子、やり返さなかったの偉いわね〜」
「いやいや、締めても良くないか? あれ」
「推しが美少女を守る絵面いいわぁ……」
周囲の声が、男たちの逃げ道を塞いでいく。
自分たちの配信用ドローンに周囲の探索者。
協会の監視員。そして、菜月の言葉。
私が手を出さなくても、もう十分だった。
男たちは顔を青くしながら後ずさる。けれど、その背後にはすでに監視員が立っていた。
「詳しく、お話を聞かせてもらえますか」
淡々とした声。さっき私を職務質問した筋肉質な強面の監視員さんだった。
ちょっと、気まずい。
けれど、今だけはありがたかった。
男たちは何か言い訳をしようとしていたが、配信用ドローンはまだ空中に浮かび、生放送中で証拠は残っている。周囲の探索者も見ていて、逃げ場はどこにもなかった。
私はようやく息を吐いた。怒りはまだ残っているし、頬も痛い。だけど、菜月の手が服の裾を掴んでいる感触が、私をここに繋ぎ止めてくれていた。
「……ありがと、菜月」
「それ、こっちの台詞なんだけど……」
菜月は小さくそう言った。
まだ声は震えている。
けれど、さっきよりも少しだけ強かった。
私は何も言えず、ただ頷く。
見守るつもりだった。守るつもりだった。
でも、止められたのは私の方だった。
お姉ちゃんって、本当に、難しいらしい。
* * *
その後、事情聴取は思っていたよりも早く終わった。男たちの配信ドローンには、菜月が何度も拒否していたことも、男が魔力を使った瞬間も、全部残っていたらしい。
おかげで私たちは、注意だけで済んだ。
……いや、私はまた監視員さんに「見守り方は考えてください」と言われたけれど。
本日二度目の注意である。
つらい。
「いや、言うでしょ。黒フードにマスクにサングラスは普通に通報案件だし。なにより、女子中学生を後ろから勝手に見守ってるやばい奴だし」
「ぐうぅぅ……」
言い返せなかった。全面的に私が変質者だったのは変えようのない事実であった。私は落ち込みながらも菜月の手を繋いで、並んでダンジョンの出口へ向かう。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、菜月は少しだけ落ち着いていた。まだ完全に元通りではない。でも、隣を歩く距離は、少しだけ近くなった気がする。
「……彩音」
「なに?」
「さっきは、ほんとにありがと」
「うん」
「でも、次はちゃんと言って」
「……何を?」
「見守り——心配で来るなら」
「怒らないの?」
「いや、怒るけど」
「怒るんだ」
「当たり前でしょ。過保護過ぎるって」
菜月はそう言って、少しだけ笑った。
その笑顔を見て胸の奥が少しだけ軽くなる。
私は頬の傷を指で触りながら、小さく息を吐いた。
「……分かった。次は言う」
「絶対だからね」
「たぶん」
「絶対」
「……はい」
お姉ちゃんの威厳とやらは今日もなかった。
そんなことを考えながら、私たちはダンジョンの外へ出た。
眩しい光が視界に差し込む。
現実の空気が肌に触れる。
そして。
出口の少し先に、見覚えのある二人の姿があった。
「「……え」」
二人して足が止まる。
隣で、菜月が息を呑む気配がした。
そこに立っていたのは——父と母だった。




