怜奈お嬢様がお待ちです
クロの事もあって帰るのが億劫だなと感じながらも私は先生と別れて、ダンジョンの外に出た——直後だった。
目の前に、黒塗りのSUVが停まっていた。
いかにも一般人が乗る車ではない。
車体はぴかぴかに磨かれていて、近づくだけで自分の姿が映りそうだった。
その横に、一人の女性が立っている。
黒を基調にしたメイド服に綺麗にまとめられた髪。まっすぐ伸びた背筋。
漫画やゲームで見るようなメイドさん。けれど、纏っている空気は冗談ではなかった。
「……え、何?」
思わず足が止まる。
隣では、クロが私の様子を真似するようにぴたりと止まった。
『メイドさん!?』
『急にジャンル変わった?』
『今度は何に巻き込まれるんだ』
コメント欄も当然のようにざわついている。
すると、メイドさんがこちらへ歩いてきた。
クロを見ても、まったく動じない。ボス狼を前にしているのに、眉一つ動かさなかった。
「黒井彩音様でいらっしゃいますね」
「えっ、はい」
メイドさんは私の前で、静かに頭を下げた。
「彩音様。怜奈お嬢様がお待ちです。どうぞ——此方に」
「……怜奈、お嬢様?」
変な声が出た。
『お嬢様!?』
『怜奈さん、お嬢様だったの!?』
『黒塗りSUVとメイドはガチ』
『サキュバスちゃん、実家挨拶?』
『しかも女狼連れ』
『浮気相手連れて本妻の実家へ行くの草』
「浮気相手じゃないですって!」
私が叫ぶとクロがびくりと身体を震わせた。
「あっ、ごめん! 怒ってないからねぇ!」
慌ててクロの頭を撫でてやれば、クロは安心したように尻尾を振った。
見た目に反して、臆病な性格なのかもしれないな。
メイドさんはそんな私たちを見ても、表情を変えなかった。
「そちらが、先ほどテイムされた黒牙狼でございますね」
「知ってるんですか!?」
「はい。配信は確認しておりましたので」
「見てたんですか!?」
「はい」
逃げ場がない。いや、配信していたのは私なので見られて困る事をしていたわけではない。
ないのだが……デートの翌日に、ダンジョンで女の子のボス狼を魅了してテイムした。
付き合っていない。
だが、怜奈さんの家の人からしたら……うん。改めて言葉にすると、かなりまずい気がしてならない。
「えっと、怜奈さんは今日は家族に呼ばれてるって聞いてましたけど……」
「はい。本日はご実家にて、ご家族とのお食事がございます」
「お食事」
「その席で彩音様のお話が出たとのことで」
「私の?」
「はい。旦那様と奥様が、ぜひ一度お会いしたいと」
「……はい?」
何を言っているのだろう。
旦那様。奥様が、会いたい?
いや、待ってほしい。私は今、ダンジョン帰りである。
服も多少汚れている。しかも隣にはさっきテイムしたばかりの巨大な狼がいる。
どう考えても人の実家に行く状態ではない。
「あの、私、今ダンジョン帰りなんで——」
「承知しております」
「クロもいますけど」
「黒牙狼用のスペースも確保しております」
「対応が早すぎません!?」
コメント欄がまた騒がしくなる。
『黒牙狼用スペース完備w』
『もう逃げられない』
『実家挨拶RTA』
『怜奈お嬢様、強い』
『配信続けてほしい』
『いや流石にここからは切った方がいい』
そのコメントを見て、私は少しだけ冷静になった。
普通にツッコミを入れていたが、普通に配信付けっぱなしなのを忘れていた。
「……えー、配信。ここで切ります」
そう言うと、コメント欄が一気に流れた。
『えええええ』
『ここで!?』
『一番気になるところで!?』
『まあ実家はしゃーない』
『ちゃんと切れて偉い』
『怜奈さんによろしく』
『クロも頑張れ』
『浮気じゃないってちゃんと説明しろよ』
私は配信用ドローンに向けて頭を下げた。
「今日はここまでです。クロの登録とか、怜奈さんへの説明とか、色々あるので……また後で報告します」
クロが隣で尻尾を振る。
その音が、妙に大きく聞こえた。
「……たぶん、怒られなければ」
『草』
『生きて帰ってこい』
『犬系サキュバスちゃん、実家編へ』
『配信おつ』
『怜奈さんに怒られてこい』
「怒られる前提で言わないでくださいよ!」
私はそう言って、配信を終了した。画面が暗くなり、コメントの流れが消える。
メイドさんが静かに車の後部扉を開ける。
「では、彩音様。こちらへ」
「……はい」
私はクロを見る。
クロは当然のように私の隣に並んでいる。
「本当に、どう説明しよう……」
小さく呟きながら、私は黒塗りのSUVへと足を向けた。
* * *
三十分ほどだろうか。快適すぎる車に揺られて着いた先は、立派な洋風の屋敷だった。
敷地は学校の校庭並みに広く、周囲は二メートルを超える塀に囲まれている。
門をくぐった時点で私はもう現実感を失いかけていた。
「怜奈さんって、本当にお嬢様だったんだ」
思わず呟いたが、雰囲気はあった。
姿勢も綺麗、所作も丁寧だし、一人暮らしにしては明らかに高そうなマンションに住んでいた。
車から降りると、クロも当然のように隣に降りた。黒牙狼用のスペースが確保されていたとはいえ、車から大きな狼が降りてくる光景はなかなかに異様だった。
メイドさんに案内され、正面玄関らしき大きな扉をくぐる。
そして、そこに怜奈さんがいた。
「……怜奈さん」
思わず名前を呼んでしまう。
怜奈さんは、いつもの服ではなかった。青色の、上品なワンピースドレス。
派手ではないけれど、生地も形も明らかに高そうで、普段より少しだけ柔らかい雰囲気に見える。
綺麗だった。
いや、普段から綺麗な人だとは思っていたが、今の怜奈さんは、いつもの冷静な探索者というより、本当にどこかのお嬢様みたいだ。
「彩音」
怜奈さんが私を見る。
それから、私の隣にいるクロを見る。その視線が、ぴたりと止まった。
「……」
沈黙が場を支配する。
うん、怖い。無表情なのが、すごく怖い。
「えっと、怜奈さん。これはですね」
私が説明しようとした瞬間、怜奈さんが静かに口を開いた。
「……女の子?」
「狼です」
反射的に答えてしまった。怜奈さんは、クロをじっと見続けている。
クロは空気を読んだのか、私の隣で大人しくおすわりをしていた。
「女の子なの?」
「……狼です」
なぜだろうか。会話が進んでいるようで、全然進んでいない。
怜奈さんの視線が、私のツノ飾りへ移る。
昨日、怜奈さんが選んでくれた銀色の飾り。
中には怜奈さんの魔力が入っている。
それから、もう一度クロを見る。
「デートの翌日に、ダンジョンで出会った女の子を連れ帰るとはね」
「狼です」
「魅了して、契約までしたのね」
「……ごめんなさい」
女の子とかはさておき、勝手に契約して連れ帰ったのは事実だからね。そこに関しては私が悪いから謝罪しなきゃいけない。
ちょっとだけ、しゅんとした顔をした私を見て、ため息をこぼしてから、手を掴まれた。
「後で、詳しく聞くけど、今はシャワーね」
「シャワー?」
思わず聞き返した瞬間だった。
怜奈さんが軽く手を上げる。すると、どこからともなく別のメイドさんが二人現れた。
「彩音様、こちらへ」
「え、あの、待ってください。私、自分でできます」
「承知しております」
「承知してるなら!?」
「ですが、旦那様と奥様がお待ちですので」
言葉は丁寧なのに、退路がなかった。
私は怜奈さんを見る。助けを求めるように見たつもりだった。
けれど、怜奈さんはいつもの無表情で言った。
「大丈夫よ。すぐ終わるわ」
「何が大丈夫なんですか!」
「身支度」
「身支度って言いました!?」
そのまま私は、あれよあれよという間に屋敷の奥へ連れて行かれた。
広すぎる廊下。高そうな絵。ふかふかの絨毯。
すれ違うメイドさんたちの完璧なお辞儀。
現実感がない。
というか、完全にジャンルが変わっている。
さっきまで私はダンジョンで黒狼をテイムしていたはずだ。
それが今は、謎のお屋敷でメイドさんに案内されている。
「……私、何の作品に出てるんだろう」
小さく呟いたけれど、誰も答えてはくれない。案内された先は、これまた広すぎる浴室だった。
いや、浴室というより、小さな温泉施設みたいな印象を受けた。
「彩音様、こちらで汗を流していただきます」
「あ、はい。ありがとうございます。じゃあ、一人で——」
「お手伝いいたします」
「一人でできます!」
思わず叫ぶ。
メイドさんたちは、にこりと笑った。
「承知しております」
「だから承知してるなら!?」
結局、私はなんとか必死に交渉して、最低限の手伝いだけにしてもらった。本当に危なかった。何が危なかったのかは分からないけれど、とにかく心が危なかった。
ダンジョン帰りの汚れを落とし、髪を整えられ、ツノ飾りは丁寧に磨かれた。クロのことを考える余裕も、怜奈さんへの説明を考える余裕もない。
ただ、流れに身を任せるしかなかった。
そして。
「こちらをお召しください」
メイドさんが差し出してきた服を見て、私は固まった。
薄水色のドレス。派手ではないけれど、明らかに高そうな生地。
袖や裾には控えめな装飾があり、私の尻尾を通すための加工までされている。
「……これ、私用ですか?」
「はい。怜奈お嬢様より、念のためにと」
「念のための範囲が広すぎません?」
しかも、サイズが完璧に合っている。
尻尾の位置も完璧だった。
怜奈さん。
あなた、どこまで準備していたんですか……
着替え終わったあと姿見の前に立たされる。鏡の中には、いつもの探索者服ではない私がいた。銀色の髪に黒いツノ。怜奈さんに買ってもらったツノ飾り。そして上品なドレス。
普通の女の子とは少し違う。けれど、昨日よりもさらに、ちゃんと女の子に見えた。
「……かわいい」
素直な声が出た。
似合っている。たぶん、似合っている。
恥ずかしさよりも、自分がここまで変われるという真実に驚き、感動してしまった。
腰の後ろで尻尾がふわふわ揺れた。
「彩音様、とてもお似合いです」
「あ、ありがとうございます……」
褒められるのは嬉しい。嬉しいけれど、この状況で褒められると少しだけ緊張が増す。
だって、この服を着て、今から怜奈さんの家族と食事をすることになっているから。
しかも私は、女の子のボス狼——モンスターを連れ帰ってきた直後である。
「……帰りたい」
小さく呟くと、メイドさんが笑顔で扉を開けた。
「では、食堂へご案内いたしますね」
帰れなかった。




