尽くすタイプは嫌い?
外に出ると、思っていた以上に風が冷たい。
「うっ……」
スカートの裾がふわりと揺れる。反射的に押さえそうになって、私は慌てて手を止めた。隣には怜奈さんがいる。いつも通り無表情で、いつも通り落ち着いていて。そして、いつも通り私の手を握っている。
……いや、いつも通りではない。
魔力補給のために手を繋ぐことには、だいぶ慣れてきた。ダンジョンでも、家でも、移動中でも。
怜奈さんの魔力が指先から流れてくる感覚は今ではかなり安心できるものになっている。
けれど、今日は違う。今日はデート。そう思った瞬間、繋いだ手の温度が急に意識される。
「……彩音」
怜奈さんがこちらを見る。
「歩きにくい?」
「い、いえ。大丈夫です」
「スカート、気になる?」
「気になりますけど……それ以上に、手が気になります」
「手……?」
怜奈さんが、私と繋いでいる手を見る。
「魔力補給なら、いつもしているでしょう」
「そうなんですけど。今日は、そういうのとは少し違うというか……」
言いながら自分で顔が熱くなるのが分かる。
魔力補給。状態確認。迷子防止。
いつもなら、そんな理由があった。でも今日は違う。
理由があるようで、ない。
……いや、ある。デートだから。
それが、どうしようもなく恥ずかしい。
「……嫌?」
「嫌じゃないです!」
思ったより強く否定してしまった。
怜奈さんが少しだけ目を丸くする。
「あ、違っ……嫌じゃないです。ただ、慣れないだけであって、私は好きですよ。繋ぐの」
「……そう」
怜奈さんは短く返す。
それから、繋いだ手にほんの少しだけ力を込められる。
「なら、慣れればいいわ」
「……簡単に言いますね」
「慣れるまで繋いでいればいいもの」
「怜奈さん、それ本気で言ってます?」
「本気よ」
いつも通りの声だった。
けれど、耳が少しだけ赤い。
……この人、本当にずるいな。
街の中心地に近づくにつれて、人通りが増えていく。すれ違う人の視線が、ちらちらとこちらへ向いた。銀色の髪に黒いツノ。淡い色の服。腰の後ろで揺れたり、怜奈さんの腰に巻き付いたりする尻尾。
目立たないわけがない。それに、隣には怜奈さんがいる。整った顔立ちで、姿勢が綺麗で、歩いているだけで目を引く人。
そんな人と手を繋いで歩いている。
それを意識した瞬間、また顔が熱くなった。
「……見られてますね」
「そうね」
「そうね、で終わるんですか?」
「あなたを見て可愛いと思っているだけよ。それに貴女は有名だから……」
「さらっと変なこと言わないでください」
「事実よ」
「事実でも言い方があると思います」
そう言いながらも腰の後ろの尻尾はふわふわ揺れている。
本当に今日は敵だな。この尻尾。
「少し休憩しましょう」
「え?」
「人が多い。魔力も少し使っているわよ」
「あ……」
言われて、自分の身体に意識を向ける。
歩いているだけなのに、いつもより少しだけ魔力の減りが早い気がした。緊張しているからだろうか。
それとも尻尾が勝手に動きすぎているせいだろうか。たぶん、両方かも……。
「探索者向けのカフェが近くにあるわ」
「探索者向けのカフェ?」
「魔力入りのメニューがあるの。ポーションより効き目は穏やかだけど回復効果がある」
「そんな便利なものがあるんですか?」
「あるわ。値段は少し高いけれどね」
「高いんですね……」
またお金の話だ。半サキュバスの身体、維持費がかかりすぎる。
怜奈さんに手を引かれ、私たちは街の中心地にある通りへ入った。
しばらく歩くと、ガラス張りの綺麗な店が見えてきた。普通のカフェに見えるが、壁には探索者用の装備ラックがあり、入口には『探索者休憩所兼カフェ』と書かれている。
「……本当に探索者向けだ」
「ダンジョン帰りに寄る人も多いわ」
店内に入ると、甘い香りがふわっと漂う。
普通のケーキの匂いとは少し違う。甘いのにどこか胸の奥がくすぐられるような、不思議な香りがする。
「……なんか、いい匂いがします」
「魔力入りの焼き菓子ね」
その言葉だけで、お腹が反応した気がした。
いや、お腹というより、胸の奥というか、身体の奥の方というか。
半サキュバスになってから、魔力に対する感覚が妙に鋭くなった。
ポーションもそうだが、魔力が含まれているものは、匂いだけで分かってしまう。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
店員さんが笑顔で声をかけてくる。
その視線が私の髪やツノ、尻尾へ一瞬、向く。
「あの、奥の席は空いていますか?」
「はい。ご案内しますね」
怜奈さんが自然にそう言った。たぶん、私が視線を気にしないようにしてくれたのだと思う。案内されたのは、店の奥にある少し落ち着いた席だった。向かい合う形で座り、私はオシャレな内装を見て、すごいなぁなんて思っていた。
怜奈さんはそんな私を見て、少しだけ口角を上げてからメニューを開こうとする。
その時だ。
「怜奈じゃん。久しぶり」
後ろから、明るい声が聞こえた。振り返ると、そこには一人の男の人が立っていた。
明るめの髪を上げ、ストリート系の服を着ている。
けれど、姿勢や仕草の端々に妙な品があって、ただの軽い人という感じではない。
怜奈さんの表情が、ほんの少し面倒くさそうになる。
「……蓮」
「反応うっす。幼馴染に対して失礼だなー?」
「用がないなら帰って」
蓮と呼ばれた男の人は苦笑して、それから私を見た。次の瞬間、目がぱっと輝く。
「もしかして、彩音ちゃん? 配信見てるよ。魔力ポーション飲んで、うめぇ——」
「やめてください! そこ覚えないで!」
思わず叫ぶと、怜奈さんが静かに蓮を見た。
「蓮。近い」
「え? あ、悪い」
蓮さんは素直に一歩下がる。軽い人だと思ったが、怜奈さんが止めた瞬間、引いた。昨日の元同級生とは違う。踏み込んでくるけれど、踏み越えてはいけない線は分かっている人なのだと思う。
「自己紹介しとくな。御堂蓮。怜奈とは幼馴染。あと、飛鳥さんの未来の旦那候補」
「違うわ」
「即否定やめろよ」
「姉さんに迷惑だから」
情報量が多い。怜奈さんの幼馴染らしい。
仲が良くて良いなと思う反面、怜奈さんの知らない一面を見た気がして、少しだけ胸がむずむずした。
「まあ、邪魔する気はないよ。ここなら魔力パンケーキがおすすめだよ」
「詳しいですね」
「飛鳥さんがよく食べてるからな」
「姉さんの情報を勝手に出さないで」
「怒るとこそこ?」
怜奈さんが無表情でじっと見つめると、
蓮さんはすぐに両手を上げた。
「分かった分かった。邪魔しないって。彩音ちゃん、良いこと教えてやるよ」
「何ですか?」
「こいつ、尽くすタイプだから」
「蓮」
「はい、黙ります」
そう怜奈さんが言えば、蓮さんは本当に黙った。
強い。というか尽くすタイプなのか……クール系だからリードする側だと勝手に思っていた。
蓮さんは笑いながら手を振り、店の奥へ去っていった。
残された私たちの間に少しだけ沈黙が落ちる。
「……賑やかな人ですね」
「うるさいだけよ」
「でも、悪い人ではなさそうです」
「悪い人ではないわ。面倒なだけ」
怜奈さんはそう言って、メニューを開いた。でも、私は少しだけ気になっていた。
怜奈さんにも、私の知らない時間がある。
私の知らない人間関係がある。
当たり前のことなのに、目の前で見せられると、少しだけ落ち着かない。
「彩音。どうかした?」
「いえ。何でもないです」
そう答えた瞬間、腰の後ろの尻尾が、テーブル越しに怜奈さんの手首にきゅっと絡んだ。
「……何でもなくはなさそうね」
「いや、これは……魔力不足で」
私は気まずくなって、慌ててメニューを覗き込んだ。
さっき蓮さんが言っていた魔力パンケーキを注文用のタブレットに入れる。
怜奈さんは巻き付く尻尾には突っ込まずにカフェラテをタブレットに入れて送信した。
数分後、注文の品が来た。
私の前に置かれたのは、ふわふわのパンケーキだった。表面には淡い青色のクリームが乗っていて、近づけるだけで胸の奥がじんわり温かくなるような香りがする。
「これ、普通のパンケーキじゃないですね」
「魔力入りだから」
「匂いだけで分かります。すごいです、これ」
フォークを手に取る。美味しそうで、可愛くて、普通のカフェメニューみたいなのに、私の身体ははっきりと魔力を求めて反応した。半サキュバスの身体は本当に分かりやすい。
私は小さく一口分を切り取って、青いクリームを少しつける。それを口に運んだ瞬間。
「……っ」
甘い。ただ甘いだけじゃなく、喉を通ったあと胸の奥に温かいものが広がっていく。
ポーションより穏やかに、けれど確かに魔力が満たされていく感覚があった。
そして何より。
「……うめぇなぁ」
思わず、低い声が漏れてしまった。私は慌てて口を押さえる。けれど、もう遅い。
怜奈さんがカフェラテのカップを持ったまま、じっとこちらを見ていた。
「また出たわね」
「違います。今のは不可抗力です」
「美味しいの?」
「……はい。すごく」
悔しいけれど、否定できなかった。
普通に美味しい、魔力も回復する。甘いものとしてもちゃんと美味しい。これはずるい。
「ポーションより補給しやすいでしょ」
「飲み物じゃなくて食べ物ですけど……でも、こっちの方が好きです」
「基本は私が魔力をあげるけど、たまには外ではこういう店も使いましょう」
「いいんですか? 高いんじゃ」
「必要経費よ。あなたが安定して外に出られるなら、必要な出費になる」
怜奈さんは当然のように言った。その言葉に、フォークを持つ手が少し止まる。
今日のデートも、ただ遊ぶだけじゃない。怜奈さんは、私が外で普通に過ごせる場所を探してくれている。魔力が切れた時に頼れる店。人の視線を避けられる席。私が食べられるメニュー。
そういうものを、増やしてくれている。
「本当に、尽くすタイプなんですね」
「……尽くすタイプは嫌い?」
怜奈さんは、否定しなかった。
いつもなら「必要だからよ」とか「状態確認よ」とか、そんな言葉で流すのに。
今は、まっすぐ私を見ている。
「……嫌いじゃ、ないです」
自分で言ってから、顔が熱くなる。
「むしろ、その……嬉しいです」
言葉にすると、胸の奥がむずむずした。
住む場所を用意してくれた。魔力を分けてくれた。配信の時も、面談の時も、ずっとそばにいてくれた。今日だって、私に似合う服を用意して、私が魔力を補給できる場所まで探してくれていた。
それを嬉しくないなんて言えるはずがない。
怜奈さんは少しだけ黙った。
それから、カフェラテのカップに視線を落とす。
「……そう」
短い返事だった。けれど、耳は少しだけ赤い。
尻尾がふわふわと揺れているが、もう止める気にもなれなかった。
パンケーキの魔力は甘く、身体にじんわり染み込んでいく。
でも、怜奈さんから手を通して流れてくる魔力の方が、もっと甘い。
(……いや、何を考えてるんだ私は)
そして、それと同じくらい、怜奈さんの言葉も胸の奥に残っていた。
尽くすタイプは嫌い?
そんなの、嫌いなわけがない。ただ、少しだけ困る。
嬉しすぎて、どう反応すればいいのか分からないから。
だから私は、照れ隠しのようにフォークを動かした。
怜奈さんは何も言わず、ただ静かにカフェラテを飲んでいる。
その横顔を見ながら、私は思う。
今日のデートは、まだ始まったばかりだ。
でも、もう十分すぎるくらい、胸が忙しい。




