昔みたいには黙りません
協会の聞き取りの後、学校側との面談が行われることになった。本当は行きたくないけれど、協会の人と怜奈さんが同席する。
直接話す必要があるなら、今のうちに終わらせた方がいい。そう思って、私は怜奈さんと一緒に協会の支部へ向かった。
面談室には、学校の先生が二人。
協会の職員が一人。
そして、見覚えのある男子が座っていた。
私の実名と昔の写真を晒した元同級生だ。
明るく染めた髪。着崩した制服。落ち着きなく揺れる足。謝罪に来た人間の態度には、あまり見えなかった。
「黒井さん。本日は、このような形になってしまい、本当に申し訳ありません」
先生が頭を下げる。
けれど、隣の男子は頭を下げなかった。
怜奈さんの目が、少しだけ細くなる。
「本人からも、謝罪を」
先生に促され、彼は面倒くさそうに舌打ちをした。
「……すんませんでした」
軽い。あまりにも軽い声だった。
「昨日の投稿について、どういう意図だったのか確認させてください」
協会の職員が言う。
男子は椅子にもたれたまま視線を逸らした。
「いや、別に。昔のノリっすよ」
「昔のノリ?」
「だって、こいつ昔から女みたいって言われてたし。本人も別に否定してなかったし」
確かに私は否定してなかったが、それは説明するのを諦めたからで肯定した訳じゃない。
昨日の今日で色々と考えた。百歩譲って否定しなかった私が悪かったとしても、それを配信やSNSに晒す理由にはならない。
「嫌だと言えなかったことを、許可だと思ったの?」
声は低かった。
男子が怜奈さんを見る。
「は? あんた誰だよ」
「黒井彩音の保護者代理よ」
「保護者? こいつ、そんな大層な奴じゃ——」
「言葉を選びなさい」
怜奈さんの声が、さらに冷たくなる。
部屋の空気が一瞬で変わった。
先生が慌てて男子を止めようとする。
「こら! やめなさい」
「いや、だって意味分かんねぇし。ちょっと昔のこと言っただけで、なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ」
元同級生の男は机を叩いた。
「こいつが勝手に有名になって、半サキュバスとか言って調子乗ってたから、俺の探索者デビューに使えると思っただけだよ!」
いきなりの怒鳴り声にビクッと身体が反応してしまう。だが、理由を聞いてしまえば実にくだらない理由だなと感じた。
「……私は」
何か言おうとしたけれど、喉が詰まる。
言葉では理解したが、身体は追いつかない。
昔もそうだった。廊下で笑われた時も、着替えの時に嫌な目を向けられた時も、私は何も言えなかった。言い返せば、もっと面倒になると思っていた。だから、黙っていた。
「おい」
男子が椅子を蹴るように立ち上がった。
「なんか言えよ、黒井。昔みたいに黙ってんじゃねぇよ」
怜奈さんが私の前に少しだけ身体を出した。
「彩音に近づかないで」
「は? なんであんたが仕切ってんだよ」
「これ以上、彼女を傷つけるなら止めるわ」
「傷つける? 大げさなんだよ。こいつも、周りも」
男子は鼻で笑った。
「ちょっと昔の写真出しただけだろ。元男なのも事実だろ。何が悪いんだよ」
協会の職員の手が端末の上で止まった。先生の顔が青ざめる。たぶん、今の言葉で完全に越えた。そんな空気が、部屋の中に広がる。
でも、男子だけは気づいていない。
「おい、黒井。お前もなんとか言えよ」
そう言って、彼は机を回り込んできた。
「やめなさい!」
先生が止めるが元同級生の彼は聞かない。
私の肩へ、手が伸びる。
「聞いてんのかよ」
掴まれる。そう思った瞬間だった。
「触らないで」
怜奈さんの声が、静かに落ちた。
次の瞬間、男子の手は私に届かなかった。
怜奈さんが手首を掴み、ほんの少し身体をずらす。それだけの動作に見えた。けれど、男子の身体はあっさりと床に崩れていた。
「いっ……!? 痛ぇ! 離せよ!」
怜奈さんは男子の腕を極めたまま、床に押さえ込んでいる。動きは静かで無駄がなくて、怒鳴りもしない。
ただ、冷たい目で男子を見下ろしていた。
「面談中の暴言。本人への接近。接触未遂」
怜奈さんは淡々と言った。
「これでまだ、冗談だったと言うつもり?」
男子の顔から血の気が引いていく。協会の職員が、静かに端末へ記録を入力した。
「今の行為も記録しました」
その一言で、部屋の空気が完全に凍った。
「は……? いや、違……俺は、ちょっと話そうとしただけで……」
「本人が拒否している状況で、威圧的に接近した時点で問題です」
協会の職員の声は、事務的だった。
「加えて、昨日の個人情報拡散および誹謗中傷の件もあります。投稿者本人については、探索者登録申請中であることを確認していますが今回の件により審査は一時停止とします」
「は?」
男子の声が裏返った。
「なんで俺の登録まで関係あんだよ!」
「未成年探索者に対する悪質な嫌がらせ、個人情報の拡散、面談中の威圧行為。探索者としての適性を確認する上で、十分な判断材料になります」
「ふざけんなよ! 俺はただ——」
「冗談のつもり、ですか?」
協会の職員が静かに言った。
男子は口を開いたまま固まった。
昨日、自分で書いた言葉。謝罪文に並べていた言葉。それが、今度は自分を逃がさない言葉になってしまっていた。
「……っ」
男子は何かを言おうとしていたが、何も言えなかった。怜奈さんが、ゆっくりと手を離す。
男子は床に座り込んだまま、悔しそうに顔を歪めていた。さっきまであれだけ大きかった声が、もう出てこない。
私は、その光景を見ていた。胸がすっとしたわけじゃない。嬉しいわけでもない。
でも、少しだけ思った。昔、私が黙っていることを何をしてもいい理由にしていた人が。
今、初めて黙っている。
それが不思議だった。
「く、黒井……」
床に座り込んだまま、彼が私を見る。
さっきまでの勢いはもうなかった。
怒鳴る声も、机を叩く手もない。
ただ、焦ったように、縋るように私へ手を伸ばしてくる。
「なあ、ちょっと待てよ。さすがに審査停止はやりすぎだろ。お前からも何か言ってくれよ」
その手が私の方へ伸びる。少し前なら、きっと身体が固まっていた。昔みたいに黙って、されるがままになっていたかもしれない。
でも。
今は、不思議と怖くなかった。
床に座り込んだ彼は、さっきまでよりずっと小さく見えた。それだけじゃない。彼の魔力が、ひどく薄く感じた。
怒鳴っているのに、威圧しているのに、全然怖くない。むしろ怯えている匂いがした。
胸の奥で、何かが静かに動いた気がした。
怖い。そう思っていたはずなのに違った。
この人は、私より強かったわけじゃない。
ただ、私が何も言えないことに甘えていただけだ。
「黒井、なあ——」
彼の指先が私の袖に触れようとした瞬間、腰の後ろで尻尾がぴんと立った。それは怯えではなく、威嚇に近い反射的な反応だった。
自分でも驚くほど自然に、私はその手を払っていた。ぱしん、と乾いた音が室内に鳴る。
部屋の空気が止まった。
「……触らないでください」
声は少しだけ掠れていた。
けれど、ちゃんと届いた。
「は……?」
私は一度だけ息を吸った。
「私に、助けを求めないでください。あなたは私を助けてくれなかったし、傷つけたことを冗談で済ませようとしました」
言葉が出る。少しずつ。
けれど、止まらなかった。
「私は、あなたの登録が止まるように頼んでません。でも、あなたがしたことをなかったことにするつもりもありません」
胸の奥が熱い。
怖さとは違う熱だ。
「だから、私にすがらないでください」
彼の顔が歪む。
「お前……調子乗って——」
言いかけた瞬間、怜奈さんが一歩前に出た。
それだけで、彼は言葉を飲み込んだ。
その様子を見て、私は思った。
ああ、やっぱり、この人は怖くない。
私が黙っていたから大きく見えていたんだ。
今の私は、昔の私じゃない。性別も変わり、種族も人間から半サキュバスになった。守ってくれる人もできた。
でも、一番変わったのはそこじゃない。
私はもう、黙っているだけじゃない。
自分の言葉で、嫌だと言える。
* * *
面談室を出た後、私は廊下で大きく息を吐いた。
「……ちょっとだけ、怖かったです」
「よく言えたわ」
怜奈さんが静かに言った。
「私、ちゃんと言えてましたか?」
「ええ。ちゃんと拒絶できていたわ」
腰の後ろでは、魔力補給のために怜奈さんの背中へそっと絡めていた尻尾が、嬉しそうに揺れていた。
「……今、喜んだわね」
「んー、はい。喜んじゃいました」
そう答えると怜奈さんが少しだけ目を丸くした。
「今日は素直ね」
「今日は、ちょっと疲れたので」
「なら、帰ったら休みなさい」
「はい」
「魔力も減っているでしょう」
「……それは、まあ」
言いながら尻尾が怜奈さんの腰にさらに寄っていく。自分の意思ではない。たぶん。いや、少しは自分の意思かもしれない。
怜奈さんはそれに気づいているはずなのに、何も言わなかった。ただ、私の手を取る。
「帰りましょう」
「……はい」
私は小さく頷く。
ちょっと怖かったし、傷ついた。
今でも完全に平気になったわけじゃない。
でも、昔みたいに黙っているだけじゃない。ちゃんと嫌だと言えた。
それだけで、少しだけ息がしやすくなった。
それが、今の私には何より大きかった。




