冗談のつもりでした
翌朝。私は怜奈さんの家のリビングで、スマホを前に固まっていた。
通知が止まらない。昨日の配信後、元同級生がSNSに私の実名や昔の写真を晒して、誹謗中傷まがいの投稿をした件についてのコメントが飛んでいるのだ。そして、なぜか伸びている三角関係?とかタイトルに書かれている切り抜きから来ましたとか言ってるコメントもある。
情報量が多すぎて頭が追いつかない……。
「……見ない方がいいわ」
隣で怜奈さんが言った。
「でも、私のことですし」
「だからこそ、今は見ない方がいい」
怜奈さんの声はいつも通り冷静のように聞こえるが昨日からずっと声色が低い気がする。
たぶん、怒っている。私よりもずっと。
その時、怜奈さんの端末が鳴った。
画面に表示されたのは、探索者協会の文字。
「協会からね」
怜奈さんが通話を繋ぐ。
『氷室様、黒井彩音様の件でご連絡いたしました』
その声を聞いた瞬間、背筋が少し伸びた。
黒井彩音様。昨日まで、学校ではただ笑われるだけだった名前が、今は協会で丁寧に呼ばれているそれが少しだけ変な感じだった。
『まず、昨日の投稿についてですが、協会側でも確認しております。黒井様の過去の個人情報を含む内容、および誹謗中傷に該当する可能性が高い投稿として、記録を保存済みです』
その言葉が、自分のことなのにどこか遠く聞こえた。
『また、未成年探索者への嫌がらせ行為としても扱われる可能性があります。今後、黒井様へ直接接触を試みる者が出ることも考えられるため、協会としても保護対応を検討しています』
「保護対応……ですか?」
『はい。学校側への確認、投稿者本人への注意喚起、必要に応じて法的措置の案内も行います』
話が大きい。大きすぎる。
昨日まで私の中ではただの嫌な思い出だった。
笑われたり、気持ち悪いとか、女みたいだと言われた。
それだけ。
そう思おうとしていたものが、協会の人の口から次々と正式な言葉になっていく。
個人情報。誹謗中傷。未成年探索者への嫌がらせ。保護対応。
私がずっと飲み込んできたものに名前がつけられていくみたいだった。
「でも……そこまでしなくても」
小さく言うと隣の怜奈さんがこちらを見た。
表情は変わっていない。けれど、目が少しだけ冷たい。
「そこまで、なの?」
「……え?」
「あなたは昨日、明らかに傷ついていたわ」
何も言い返せなかった。
怜奈さんは端末に向き直る。
「協会としては、学校側に連絡は?」
『はい。既に一次確認の連絡を入れています。学校側からも、本日中に黒井様もしくは保護者の方へ連絡が入る可能性があります』
保護者。その言葉に少しだけ胸がざわつく。
それは即ち、母に連絡が行くと言うことだ。
そう考えた瞬間、昨日の元同級生の投稿とは別の冷たさが胸の奥に広がった。
「……お母さんに、連絡が行くんですか」
『未成年のため、通常は保護者への連絡が必要になります。ただし、黒井様は現在、氷室様の元で保護に近い状態にあると伺っています』
協会の人の声は丁寧だった。
『必要であれば、未成年探索者保護制度を利用し、協会を通した連絡に切り替えることも可能です』
「怜奈さんが前に言ってたやつですね」
「そうよ」
怜奈さんが短く言った。
「昨日も言ったでしょう。あなたが一人で抱える必要はない」
「でも、そこまでしてもらうのは……」
「彩音」
名前を呼ばれ、私は口を閉じる。
怜奈さんは静かに続けた。
「あなたはまだ、自分が我慢すれば丸く収まると思っている」
「……」
「でも、今回は違うわ。あなたの個人情報が出されて、配信を見ていた大勢の前で傷つけられた。これは、あなた一人が我慢して終わらせる話じゃない。貴方はフルネームは公開してなかったし、顔もスキルで変わったから身バレしてなかったのに、今じゃこれよ」
淡々とした声で怜奈さんは私にスマホを見せてくる。画面にはSNSでバズっている元同級生のコメントが表示されている。そこには、私の実名と、中学の卒業アルバムの顔写真が載っていた。
言葉が出なかった。
投稿されていたのは、私の実名。
それから、中学の卒業アルバムの写真。
今の私とは違う。
性転換スキルを選ぶ前の、昔の私の顔。
それが知らない人たちの前に晒されていた。
「……これ、私……」
自分でも間抜けな声だと思った。
けれど、それ以上の言葉が出てこない。
確かに、これはもう。昔の悪口とか、冗談とか、そういう話ではなかった。
『こちらでも確認しています。卒業アルバムと思われる画像が含まれているため、学校側にも出所の確認を行います』
協会の人の声は淡々としていた。
けれど、その淡々とした言葉が逆に怖かった。
『黒井様』
協会の人が、私に向けて言った。
『本日、聞き取りを行わせていただきたいのですが、ご体調はいかがでしょうか』
大丈夫です。そう言いかけて、止まった。
いつもの癖だった。
大丈夫じゃなくても、大丈夫と言う。
平気じゃなくても、平気なふりをする。
でも昨日、怜奈さんにもサキュバス先生にも言われた。痛かったなら、それは傷だと。
「……少し、怖いです」
口にすると、思ったより声が震えた。
「でも、話せます」
隣で、怜奈さんが小さく頷いた。
『承知しました。氷室様同席の上で、無理のない範囲で確認させてください』
「はい。分かりました」
通話はそこで一度区切られた。
怜奈さんが端末を置く。
リビングに、静かな空気が戻った。
「……大ごとに、なっちゃいましたね」
「大ごとにしたのは、あなたじゃないわ」
「でも」
「でもじゃない」
昨日から何度目か分からない言葉だった。
怜奈さんは立ち上がり、キッチンへ向かう。
「温かいものを飲みなさい。聞き取りの前に、少し落ち着いた方がいい」
「……はい」
そう返事をした瞬間、スマホがまた震えた。
見ない方がいい。そう思ったのに、画面の端に表示された通知が目に入ってしまう。
『例の投稿主、謝罪文出したぞ』
『なお、謝罪になってない模様』
『冗談のつもりでした』
『昔のノリを大げさに取られるとは思いませんでした』
『有名になったならそれくらい流せると思ってました』
冗談。昔のノリ。有名になったなら。
昨日から何度も見た言葉が、また並んでいる。
『卒アル晒して冗談は無理』
『個人情報出しておいて大げさは草』
『元男なの勝手にバラしてる時点でアウト』
『探索者協会に送った』
『学校にも送ってやったぞ』
『投稿消したぞ』
『逃げたw』
『スクショ残ってるの知らないのか?』
投稿は消えていた。謝罪文も、少し遅れて消えたらしい。
でも、スクリーンショットは大量に電子の海に拡散されている。
協会も保存済み。学校にも連絡がいってる。
私を笑っていた人が、今度は自分の言葉に追い詰められている。
胸がすっとしたわけじゃない。嬉しいわけでもない。けれど、少しだけ思った。
あの人は今、初めて分かったかもしれない。
大勢に見られる怖さを。笑われる悲しさを。




