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燃える森

 森は燃え続けた。

 乾いた木々が爆ぜ、火の粉が夜空へ舞い上がる。

 赤黒い炎の向こうで、巨大な影がのたうっていた。

 まるで森そのものが苦しんでいるみたいだった。

 鐘の音はまだ続いていた。

 カラン。

 カラン。

 カラン。

 けれど、その音は少しずつ乱れていく。

 子どもの泣き声も。

 女の声も。

 全部が混ざり合って、最後には意味のわからない叫びへ変わっていた。

 リオが震える声で呟く。


「……終わるの?」


 ハルは答えなかった。

 終わってほしいと思った。

 だが、確信はなかった。

 炎の奥で、“母体”が動く。

 巨大な身体を引きずりながら、ゆっくりこちらへ近づいてくる。

 燃えながら。

 村人たちが悲鳴を上げた。


「まだ来るぞ!」


 炎の中から現れたそれは、もう原形を保っていなかった。

 黒い肉の塊。

 無数の腕。

 無数の顔。

 溶けた子どもたちの影。

 その中心で、巨大な目だけがぎょろりと動いている。

 ハルは息を呑む。

 燃えているのに、止まらない。

 執念だけで動いているみたいだった。

 カラン。

 鐘が鳴る。

 すると、村人の一人がふらりと前へ歩き出した。


「おい!」


 止めようとした男を振り払い、その村人は泣きながら叫ぶ。


「もう村もおしまいだ……みんな死ぬんだ。」

 

 ハルは咄嗟に飛び出した。

 男の肩を掴み、地面へ叩き倒す。


「正気になれ!!」


 怒鳴った瞬間。

 母体の目が、ハルを見た。

 ぞわり、と背筋が粟立つ。

 頭の奥が熱い。

 視界の端に、また文字が掠める。


【核】


 一瞬だけ。

 ハルは目を見開く。

 巨大な肉塊の中心。

 顔や腕に埋もれた奥。

 そこだけ、炎の色が違った。

 赤くない。

 黒い。

 まるで穴みたいに暗い塊。

 あそこだ。

 理由はわからない。

 けれど直感した。

 あれを壊さない限り、終わらない。

 ハルは周囲を見回す。

 槍。

 斧。

 火。

 だが、届かない。

 近づけば死ぬ。

 その時、リオが震えながら言った。


「ハル……あれ」


 視線の先。

 倒れた荷車があった。

 油樽を運ぶためのものだ。

 片輪が壊れ、坂の上で止まっている。

 ハルは一瞬考える。

 そして理解する。


「……押せ」

「え?」

「荷車だ!」


 村人たちも気づいた。

 何人かが慌てて荷車へ走る。

 母体が唸る。

 黒い腕が伸びる。

 その先で、村人の一人が引き裂かれた。

 悲鳴。

 血。

 それでも、もう止まれない。


「押せぇぇ!!」


 ハルが叫ぶ。

 荷車が動く。

 坂を下る。

 油樽を積んだまま、炎を浴びながら加速していく。

 母体が気づく。

 巨大な目が見開かれる。

 次の瞬間。

 荷車が激突した。

 轟音。

 油が爆ぜる。

 炎が一気に膨れ上がった。

 母体の身体が燃える。

 無数の顔が絶叫する。

 子どもの泣き声。

 女の悲鳴。

 鐘の音。

 全部が混ざって、夜を裂いた。

 そして。

 ――ぱきり。

 何かが割れる音がした。

 母体の中心。

 黒い“核”に、亀裂が走っていた。

 黒い核の表面が、ガラスみたいにひび割れていく。

 母体が絶叫した。

 もう声ですらなかった。

 子ども。

 女。

 老人。

 獣。

 あらゆる音が無理やり混ざったような、耳を塞ぎたくなる叫びだった。

 村人たちがその場に蹲る。

 リオも顔を歪め、耳を押さえていた。

 ハルは炎の向こうを睨む。

 核の亀裂から、黒い煙みたいなものが漏れていた。

 いや、煙じゃない。

 影だ。

 小さな人影が、無数に溢れている。

 子どもたちだった。

 輪郭は曖昧で、風が吹けば消えそうなほど薄い。

 それでも、泣いているように見えた。

 母体が暴れる。

 巨大な腕が振り回され、燃えた木々が吹き飛ぶ。

 熱風が村へ届く。

 だが、さっきまでの勢いがない。

 崩れている。

 形を保てなくなっている。

 ハルは歯を食いしばった。


「……あと少しだ」


 誰に言うでもなく呟く。

 その時だった。

 母体の巨大な目が、再びハルを見た。

 ぞっとするほど真っ直ぐに。

 次の瞬間。

 黒い腕が地面を裂きながら伸びる。


 「ハル!!」


 リオの叫び。

 ハルは咄嗟に横へ飛ぶ。

 直後、さっきまでいた場所が抉れた。

 土が吹き飛ぶ。

 母体はまだ死んでいない。

 いや。

 最後に、ハルを道連れにしようとしている。

 腕が再び動く。

 速い。

 避けきれない。

 そう思った瞬間だった。


「行かせるかよ……!」


 掠れた声。

 炎の向こうから、誰かが母体へ飛びついた。

 ダンだった。

 全身血まみれだった。

 片腕は力なく垂れ、顔も半分焼けている。

 それでも、まだ生きていた。


「ダン!?」


 村人たちが目を見開く。

 ダンは母体の腕へしがみつき、狂ったように笑った。


「これで……終わりにしろ」


 母体が暴れる。

 ダンの身体が引きずられる。

 骨の折れる音が響いた。

 それでも離さない。

 ハルは一瞬だけ迷う。

 だが、その迷いをダンが怒鳴り飛ばした。


「やれッ!!」


 ハルは火のついた木材を掴む。

 熱い。

 掌が焼ける。

 それでも、走った。

 炎の中へ。

 母体の目が開かれる。

 黒い影に無数の顔が喚く。


「いたい」

「こわい」

「やだ」

「たすけて」


 ハルは目を逸らさない。

 逸らしたら、足が止まる気がした。

 核は、もう目の前だった。

 黒い亀裂。

 その奥には、底の見えない暗闇がある。

 ハルは燃える木材を握り直した。

 そして。


「終われ!!」


 全力で突き刺した。

 瞬間。

 世界が止まったみたいに静かになった。

 母体の動きが止まる。

 巨大な目が、ゆっくり見開かれる。

 ひび割れた核の奥から、白い光が漏れた。

 次の瞬間。

 無数の子どもの影が、一斉に空へ溢れ出す。

 泣いていた。

 けれど最後には、少しだけ笑っているようにも見えた。

 母体が崩れる。

 黒い肉が灰になっていく。

 鐘の音が、遠ざかる。

 カラン。

 ……カラン。

 最後の音は、驚くほど小さかった。

 やがて。

 森は静かになった。


 パチパチと炎の爆ぜる音だけが残っていた。

 さっきまで村を覆っていた叫び声も、鐘の音も、もう聞こえない。

 燃え崩れる木々の向こうで、黒い灰が雪みたいに舞っている。

 ハルはその場へ膝をついた。

 全身から力が抜ける。

 熱い。

 肺の奥まで煙が入り込んで、息をするたび喉が焼けた。


「ハル!」


 リオが駆け寄ってくる。

 無事な顔を見た瞬間、ようやく現実感が戻った。

 終わったのだ。

 少なくとも、あの化物は。

 村人たちも少しずつ立ち上がり始めていた。

 泣いている者。

 呆然としている者。

 死んだ仲間を探している者。

 誰も勝った顔はしていなかった。

 当然だった。

 失ったものが多すぎる。

 その時、誰かが叫んだ。


「ダンは!?」


 空気が止まる。

 ハルははっとして炎の向こうを見る。

 倒木。

 黒い灰。

 崩れた肉片。

 その中に、人影があった。

 ダンだった。

 村人たちが駆け寄る。

 ハルも立ち上がろうとして、足がもつれた。

 それでも歩く。

 近づくにつれ、嫌でもわかった。

 助からない。

 ダンの身体は酷い状態だった。

 胸は裂け、片腕はもう形がない。

 それでも、まだ呼吸していた。

 村人たちが膝をつく。

 誰も何も言えない。

 ダンはぼんやり夜空を見上げていた。


「……消えたか」


 掠れた声だった。

 ハルが頷く。


「ああ」


 ダンは少しだけ笑った。

 その笑みは、ひどく疲れていた。


「馬鹿みたいだよな……」


 誰も返事をしない。

 ダンはゆっくり目を閉じる。


「最初は……仕方なかったんだ」


 独り言みたいに呟く。


「冬を越せなくて……食い物もなくて……」


 村人たちが俯く。


「一人ならって、思った」


 声が震える。


「病気の子なら……どうせ助からないなら……って」


 リオが息を呑む。

 ダンは笑おうとして失敗した。


「そう思ってた。」


 誰も顔を上げられない。


「泣かれるのも……母親が壊れるのも……見ないふりして……」


 ダンの目から涙が零れる。


「気づいた時には、もう……何人埋めたかも、わからなかった」


 ハルは黙って聞いていた。

 責める言葉は浮かばなかった。

 許せるとも思わない。

 ただ、わかってしまった。

 これは特別な悪人の話じゃない。

 少しずつ壊れた結果だ。

 見ないふりを重ねた結果だ。

 ダンがゆっくりハルを見る。


「……お前、変なやつだな」

「普通、逃げるだろ」

 ハルは少しだけ笑った。


「逃げたかったよ」


 本心だった。

 ずっと。

 ダンは小さく喉を鳴らす。

 笑ったのか、咳き込んだのかわからなかった。

 そして最後に、リオへ視線を向ける。


「……悪かった」


 リオは何も言えなかった。

 ダンは静かに目を閉じる。

 そのまま、二度と開かなかった。

 夜風が吹く。

 燃え残った灰が、空へ舞い上がっていく。

 ハルは黙って空を見た。

 星が見えていた。

 森が燃えたせいか、妙に綺麗だった。

 その時。

 頭の奥で、微かな熱が走る。

 一瞬だけ、視界の端に文字が浮かんだ。


【事件解決】


 すぐに消えた。

 ハルは目を細める。

 それだけだった。

 新しい力も。

 説明も。

 祝福もない。

 まるで、本を一冊読み終えた後みたいな、静かな感覚だけが残る。

 ハルは小さく息を吐いた。

 そして燃え続ける森を見ながら、ぼんやりと思う。

 ――この世界、ろくでもないな。

 けれど。

 だからこそ、見えてしまうものがあるのかもしれなかった。

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