第9話:聖女と少年
《ルマスディ王国》
◇ ◇ ◇
親改め、慧が妖精の森に現れたのと同時刻。
◇ ◇ ◇
〈ルマスディ王国〉の召喚の間。
2本の光の道が、召喚の間の天井を通り抜け、空まで伸びる。
召喚を行ったこの王国の人間数十名が、部屋の中央、召喚の魔法陣から少し離れた場所で固唾を飲んで立っている。
しばらくして、光の道の閃光が消え去った。
「……え?」
広い召喚の間に、誰のか分からない動揺した声が複数響いた。
中央の魔法陣の上に、2人の人間が座り込んでいた。1人は年若い女だったが、もう1人は子どもだった。
召喚を見守っていた者たちの間に、どよめきが広がる。誰もが目を見開き、信じられないものを見るように、その小さな姿を見つめていた。
子どもが召喚によって現れたという記録は、文献には一切残されていない。
まさに前代未聞の事態だったのである。
一方で、どよめきの中心人物である2人は酷く狼狽していた。
女は状況が掴めず、焦った様子できょろきょろと辺りを見回す。その顔には、不安の色が滲んでいた。
子どもにいたっては、周囲を見渡しても自身の親が見当たらないことに加え、見知らぬ部屋。見知らぬ大人たち。大人でも恐怖を感じる状況で、幼い子どもが耐えられるはずもなかった。すぐに心も体も恐怖で蝕まれていった。子どもの目には涙が滲み、小さな肩がカタカタと震え始める。
そんな2人をよそに、困惑していたはずのルマスディ王国の人間たちは、今や満面の笑みで話し合っていた。
「やったぞ、ようやく女が現れた!」
「聖女だ!」
「聖女が召喚された! この国の勝ちだ!」
異邦人として女性が召喚された。
それだけで聖女だと決めつけ、大いに喜びを分かち合っていたのだ。現実逃避をするように、子どものことを頭の片隅に追いやって……
女はその喜びに浸っている者たちの言葉を聞いて、瞬時に状況を理解する。何を隠そうこの女も、ムスフィシパ王国にいる慧と同じ系統の小説を好んで読んでいたのだ。そのお陰で、〈聖女〉という言葉も、幾度となく見てきた。
しかし、好んで読んでいたとはいえ、女が聖女という役目を羨ましがることは一切なかったのである。むしろ苦手な類だった。
――誰が聖女なんてやるか
――ってか、私は聖女なんかじゃないし
口には出さなかったものの、胸中は荒れまくっていた。最初に不安な顔をしていた人物とはまるで別人である。
ちなみに、聖女という役目が苦手な理由は、単純明快。
自由がない、清廉潔白でなければいけない、本当に自由がない
女の勝手なイメージではあったが、あながち間違いではないと思っている。
そんなことよりも、この状況をどうするかと考え始めた。
その時、自身の背後から、グスッと鼻を啜る音が聞こえた。女が反射的に振り返ると、そこには子どもが1人、肩を震わせている。涙が流れるのを堪えるためか、目元を何度も擦っていた。
そこで女は、ようやくここに来る直前のことを思い出す。
歩いていた地面が突如光り出したこと
気づいた時には徐々に地面に吸い込まれていたこと
咄嗟に助けを呼んだ際に、誰かが助けに来てくれたこと
その誰かの隣には子どもがいたこと
手を掴まれ、引っ張り出してもらえると思った瞬間に眩しい光に包まれたこと
そうして気づいたらここにいた
――ああ、あのときのお子さんなのか
泣いている子どもが、助けようとしてくれていた人物と一緒にいた子だと理解した。だが理解した瞬間、血の気が一気に引いていく。
――え? もしかしなくても巻き込んだ?
同時に、改めて周囲を見渡した。あの時、手を差し伸べてくれた人間がいないことに気づく。嫌な予感が頭の中をよぎった。
予感が外れていてほしいと願いながら、とりあえず子どもに声をかけるべく立ち上がって歩み寄る。
子どもの目の前まで近寄ると、再び座った。その行動に、いまだ騒がしくしている周りの人間たちは、全く気付かない。
ばれないように、小声で優しく話しかける。傷つけないように気を付けながら。
「こ、こんにちは。私は、癒安 灯花って言います。君の名前は?」
女もとい、灯花の声にびくっと反応を示した子どもは、目を擦りながら顔を上げた。自分の問いかけに、子どもが反応をしてくれたことに対して、少し嬉しくなる灯花だった。
子どもは少し間をおいて、考えてから口を開く。多少警戒をしている様子だが、優しそうな灯花に、若干心を許したようだった。
「ぼくは、愛降 蓮太郎です……8歳です」
蓮太郎はそう言うと、女の子に泣いているところを見られてしまった、というように顔をほんのり赤らめながら、強めに目元を擦った。
そんな蓮太郎を見て灯花は、微笑みながら擦っている手をやんわり握ってやめさせる。
そして、色々と混乱しているであろう蓮太郎に申し訳ないと思いながら、質問していく。
「蓮太郎くん、ごめん……。混乱してると思うけど、今からいくつか質問するね。周りの人にばれたくないから小声で話すね」
蓮太郎は静かに頷き、灯花の目を見る。灯花の話をしっかり聞けているようだった。
「蓮太郎くんと一緒にいた大人の人は、今いないよね?」
蓮太郎は頷く。
「じゃあ、自分に何があったのかは分かる?」
蓮太郎は首を横に振る。その瞳は、不安で揺れていた。
「そうだよね。本当にごめんね……」
灯花は嫌な予感が当たってしまったことに、俯きながら謝罪する。震える拳を強く握りしめた。
対して蓮太郎は、灯花が何に謝っているのか理解できなかった。首を傾げて、少し迷ってから、俯いている灯花の頭を子どもの手で控えめに撫でる。
灯花は俯いたまま、目を見開く。突然、しかも被害者側である子どもが頭を撫でてくれたのだ。優しさに灯花は涙ぐむ。落ち込んでいる人を慰めるという蓮太郎の心の優しさが、灯花を包み込んだ。
――この子は絶対に私が守る
そう心に決めた灯花は、泣き顔がばれないように、ぱっと顔を上げて微笑む。
「ありがとう蓮太郎くん! 優しいね」
蓮太郎は褒められて、嬉しそうにはにかんだ。
はにかみ顔が可愛いと悶えながら、蓮太郎にとある作戦を提案する。
「っこれから、多分周りの大人たちに、色々と聞かれると思う。その時、私を姉だと言ってほしいんだ。私も蓮太郎くんのこと、弟ですって伝えるから」
灯花は、今も聖女が現れた喜びとともに、この先の対応をその場で話し合っているここの人間をそっと窺っていた。そこで、あることに気づいたのだ。
誰一人として、蓮太郎のことを口にしないのだ。
召喚されたもう1人の存在など、まるで最初からいかなったかのように扱われている。
その光景に、このままでは蓮太郎の身の安全が保障されないのではと感じていた。
確証があったわけではないし、灯花の勘違いの可能性もあった。だが、直感的にそう思ったのだ。灯花は自身の直感を信じ、策を講じることにしたのである。
蓮太郎も、灯花の思惑をなんとなく察していた。
8歳、小学3年生、まだまだ子どもで、世の中の事を知らない純粋で無垢な子ども、それが世間一般的な印象だろう。だが蓮太郎にいたっては、両親が3歳の時に目の前から消えてしまっている。
それから家族として本当の自分の子どものように大切に育ててくれた慧が傍にいた。それでも慧が見ていないところで心無い親戚連中が、蓮太郎に容赦のない言葉を投げつけていたのだ。
事態に気づいた慧が、その親戚を厳しく叱責したのち、2度と近づけないように対処した。けれど、蓮太郎の心には深い傷が残り続けた。
あんな環境で数年過ごした蓮太郎は、いつの間にか常に人の顔色を窺い、先を読んで行動するようになっていたのだ。それは、生きるために身につけた術でもあった。
そうしてどこか達観した少年へと成長した蓮太郎は、今も灯花を密かに観察していた。その結果、この人なら大丈夫だと判断し、提案を受け入れたのだった。
聖女と呼ばれた女と、心に傷を負う優しき少年との、偽りの姉弟物語の始まりだった。




