第5話:ムスフィシパ王国
この世界に来て 2日目
王宮へ保護されて 1日目の朝
◇ ◇ ◇
親が次に目を開けると、外は既に明るくなっていた。まだ少し寝ぼけた頭で窓のほうを眺める。朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋を穏やかに照らしている。昨夜は考え事で寝れるか少し不安だった。
「寝てたんだ……」
思わず苦笑いが漏れる。あの状況でぐっすり寝た自分に妙に感心すら覚えた。
その時、コンコンと控えめな音が部屋へ響く。親は反射的に扉へ視線を向けた。
「異邦人様、お目覚めでいらっしゃいますでしょうか」
女性の声だった。
「湯あみの準備とご朝食の用意が整っております。入室してもよろしいでしょうか」
少し惚けていると、再度遠慮がちに「異邦人様?」と声がかけられた。
「っはい! 起きてます!」
慌てて返事をすると、扉の向こうでくすりと小さく笑った気配がした。「失礼いたします」と言って綺麗な所作で入ってきたのは、メイド服を着た女性と執事服を着た男性だった。2人とも無駄のない、美しく洗練された所作で一礼する。
「おはようございます、異邦人様。」
その所作と挨拶に、親はベッドの上で思わずピンと背筋を伸ばし正座になる。
「初めまして、異邦人様。わたくしは、侍女のミラと申します」
ミラは両手を腹部の前で重ね、きれいな一礼をした。続いて隣へ視線を向ける。
「こちらは、執事のガクでございます」
ガクも優雅に頭を下げた。
「本日より、我々が異邦人様のお世話を仰せつかりました。どうぞよろしくお願いいたします」
2人の洗練された立ち振る舞いに、親は正座のまま深々と頭を下げる。
「おはようございます! こ、こちらこそよろしくお願いいたします!」
その勢いのよい親の挨拶に、ミラとガクは一瞬だけ目を丸くした。だがすぐに表情を和らげ、どこか微笑ましいものを見るように視線を交わす。
「どうか我々には気楽に接してくださいませ」 ミラは柔らかな笑みを浮かべて言った。
「何かありましたら、どうぞ遠慮なく我々へお申し付けください」 ガクも穏やかな口調で続ける。
2人の言葉には、優しさと温かさが感じられた。親の強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。
気づけば3人は見つめ合っていた。その何とも言えない空気に我慢ができなくなり、親がぷっと吹き出した。そんな親を見て、ミラとガクも笑みを深くする。この世界にきて親が自然と笑えたのは、これが最初のことだった。
するとそこに低い声が加わる。
「随分賑やかな朝だな」
3人が同時に声のした方へ振り向く。開いたままの扉にもたれ掛かるように、1人の男が腕を組んで立っていた。騎士団副団長の制服に身を包み、少しだけ口元に笑みを浮かべる、ルイ・オルガルドその人だった。
「ルイ様」
ミラとガクが慌てて一礼をする。それにルイは軽く手で制すと、部屋へ入ってきた。親の傍まで歩み寄ると、ベッド脇に置かれていた椅子を手繰り寄せて座る。ルイは親の顔を見つめ、安堵したように小さく頷いた。
「顔色は悪くないな。これから湯あみや朝食を済ませてもらう。だが危険なことは何一つないから安心してくれ」
一度言葉を切ると、一度表情を引き締める。
「それら全て終わった後、陛下への謁見が控えている。今回の件について、いくつか尋ねられるだろうが、君が知っていることを話してもらえればそれで十分だ」
ルイは親の反応をうかがうように視線を向ける。
「大丈夫そうか?」
静かな気遣いだった。親は言葉を受け止めながら、小さく息をのむ。陛下への謁見というだけで正直怖くないと言ったら嘘になるだろう。それでも子どものことを考えると、不思議と恐怖はどこかへ消えていった。親は真っ直ぐルイを見つめ、力強く頷いた。
「大丈夫です。自分に分かることだったらなんでも話します。我が子を探すためならなんでもすると決めましたから」
それを聞いたルイは、目を細め口元を綻ばせた。
続いて親は「あっ!」と何かを思い出したかと思えば、
「それと副団長さん。昨日は失礼な数々、すみませんでした」
そう言うとベッドの上で正座したまま、再び頭を下げる。気がかりだった謝罪ができたお陰で、胸のつかえが少しだけ軽くなる。
ルイは一瞬だけ目を丸くした。謝罪をしてくるとは思っていなかったのだろう。しかしすぐ立ち上がると、親の肩にそっと手を置き顔を上げさせる。
「あなたは何もしていないし、気に病む必要もない。だが、謝罪は受け入れよう」
親が気にしていることを察して、謝罪を受け入れてくれたことが伝わってくる。親は内心、人格者だなぁと感動していた。親が感謝を伝えた後、しばらく2人は見つめ合いながら、互いに微笑み合っていた。そんな2人にミラが、咳ばらいを一つする。
「お2方、微笑ましいところ大変恐縮なのですが、急がなければ……」
ミラの言葉にはっと我に返り、それぞれ慌ただしく動き出す。ルイは部屋の前で待機。ミラとガクは、それぞれ湯あみの手伝いや朝食の準備など手際よく動いていく。親はというと、慣れないことに色々と四苦八苦しながら、手伝ってもらいつつ準備を済ませる。ちなみに本来ミラとガクの役目は、手伝うことではなく主人の身の回りの全て世話をするのが仕事である。だが、親がそこまでしなくていいと拒否を示した。話し合った結果、着替えや食事で分からないとき、助けてほしい時に手伝うということで折り合いがついた。親としては2人の仕事を減らしてしまって、申し訳ない気持ちだった。けれどもさすがに全ての世話をされるのは、そうしても慣れることができそうになかったのだ。
そうして準備が整い、部屋の前でずっと待機してくれていたルイとともに王のもとへ向かう。
◇ ◇ ◇
執務室へと続く廊下を、並んで歩くルイと親。昨夜、月明かりが差し込んでいた大きな窓からは、朝の陽光が差し込んでいる。
互いに話しもせず歩いているせいか、少し気まずい空気が流れる。だがそんな空気の中、親は迷った末意を決して口を開いた。
「あの、すいません」
その一言に、ルイの視線が親へと向けられる。
「副団長さんの名前を、もう一度教えていただけませんか」
親の中でもう1つ、昨夜から気にしていたことがあった。それは聞いたはずのルイの名前を、憶えていなかったことだ。
ルイはその質問を聞き、一瞬だけ目を瞬かせた。そして自身が名乗った時のことを思い返し、あの状況下では覚えてないのも無理ないかと1人納得すると、ルイは小さく笑みを浮かべた。足を止め、親へ向き直る。
「改めて、私は騎士団副団長、ルイ・オルガルドだ」
穏やかな目つきで名を告げた。
親は、「ルイ・オルガルド」と小さく復唱する。名前が分かったことに安堵したのもつかの間、新たな悩みの種に気づいた。ルイの名の呼び方だ。
「……ルイさん? ルイ様とも呼ばれていたような……いやオルガルド様?……」
顎に手を添えて、ぶつぶつと独り言を零しながら、真剣な表情で悩み続ける。その様子を見たルイは、思わずクッと小さく息を漏らした。そんなことで本気で悩むのかと、少しだけ可笑しくなったのだ。
「ルイで構わない」
あっさりと告げられた一言に、親の思考が止まる。親はぱっと顔を上げ、おずおずと「ルイさん?」と不安げに呼んでみる。
「ああ、それでいい」
穏やかに頷いてくれたルイに、親の表情は一瞬で明るくなる。
先程までの気まずい雰囲気は消え去り、2人の間に流れる穏やかな空気とともに、執務室へと歩みを再開した。
◇ ◇ ◇
ようやく執務室に到着した2人。
親は緊張の面持ちで、胸は早鐘を打っている。それでも瞳は揺らいではいなかった。決意をもった瞳で真っ直ぐ扉を見つめる。
そんな横顔を見たルイは、この覚悟を無駄にさせるわけにはいかないと感じた。この先、困難に直面することもあるだろう。その時は副団長として、1人の人間として、できる限り力になろう、そう密かに心へ誓った。
ルイが執務室の扉を3度ノックする。すると中から「はい」と返事が聞こえたかと思うとすぐに扉が開き、執事長であるエドマンドが顔を覗かせた。2人の姿を認めると、エドマンドはにこやかに扉を開き、中へ入るよう手で誘導する。
「お待ちしておりました。どうぞ、中へお入りください」
足を踏み入れた親の目に、最初に飛び込んできたのは、高級感あふれる部屋の中央にあるソファーに並んで座る男女2人。女性は、端麗な容姿をしており、繊細な刺繍と宝飾だと見てとれる落ち着いた色合いのドレスを完璧に着こなしている。座っているだけだというのに、気品を漂わせていた。隣の青年も、同じ人間とは思えないほど整っている顔立ち、金糸のような艶やかな髪と、澄んだ青い瞳。身に纏っている衣装は、物語にでてくる王子そのもののような美しい作りだった。2人のあまりの美しさと存在感に、親は思わずその場で固まる。
――ルイさんも十分整った顔だけど、それ以上に美形すぎる
呆然と立ち尽くす親へ、重厚感のある低い声がかかる。
「貴殿が、召喚に巻き込まれたと報告があった、異邦人殿ですね」
親ははっとして、慌てて声の主に目を向ける。1人掛けソファーの横に立っていたのは、壮年の男だった。こちらの深い色合いの衣装も、王であることを示すような豪奢な装飾が施されているが、この男性には驚くほど似合っていた。そして何より、その顔立ち。美青年と同様、驚くほど整っている。目元や半筋がよく似ており、一目で血縁者だと分かるほどだった。
――いや、美青年がこの人に似ているのか
とそんな場違いなことをぼんやりと考える。横にいた苦笑い気味のルイは、返事がないことに対してそっと肘で親の腕をつついた。
その小さな合図で、親は我に返る。慌てて姿勢を正し、少し裏返った声で返事をする。
「あ、はい! そうです!」
焦りのあまり、思った以上に大きな声になってしまったが、誰一人として気にした様子はなかった。その反応に多少安堵していると、ソファーに座るよう促される。
全員が席に着いたことを確認した壮年な男性は、柔らかな笑みを浮かべたまま口を開く。
「改めて、はじめまして。私はムスフィシパ王国の国王〈リアム・ムスフィシパ〉と申します 」
ルイと同じような冷たさを感じさせる低い声なのに、不思議と人を安心させるような声だった。リアムはそのまま隣へ視線を向ける。
「こちらに座っているのが、王妃の〈オリビア・ムスフィシパ〉と、息子で第一皇子の〈アルベルト・ムスフィシパ〉です」
親の正面に座る紹介された2人は、優雅な笑みを浮かべ座りながらも丁寧に一礼する。それに対して親も深く頭を下げる。
「は、初めまして。よろしくお願いいたします」
そこで親はふと違和感を覚えた。
――あれ? そういえば、この世界に来て誰かに自己紹介とかしたっけ……
親が首を傾げながら少し考えた後、今も自分だけ名を告げていないことに気づいた。それはやばいと、3人に向き直り自分の名前を告げようと口を開く。
「私の名前は……」
名乗ろうとしたその時だった。リアムが徐に小さく片手を上げ、親の言葉を止めた。親も思わず口を噤んだ。
「異邦人様、貴殿の名前は現段階だと認識されません」
予想もしなかった言葉に、「え?」と親は目を見開く。そんな親をそのままに、リアムは続ける。
「異世界から召喚された直後の人間は、存在そのものが曖昧な状態だとされています。顔や姿は認識できます。ですが、その者に関する情報を他者が認識できないという現象が起こるのです」
そんな現象は自分が読んでいた小説にもででこなかった。親は言葉を失った。
「そのため、この世界では〈魂鑑定〉という、異邦人のための鑑定の儀を執り行います。魂に刻まれた氏名等の情報を読み取り、世界に認識させるというのがこの儀式の目的です。言い換えるならば、この世界へその存在を登録する儀式です」
〈魂鑑定〉、それも初めて聞く言葉だった。そんなもの小説で見たことも聞いたこともない。この世界では、儀式を受けないと自分の名前が認識されない。リアムの言葉を反芻し、誰からも自分の名前を呼んでもらえないことを想像した瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
「恐らく貴殿は、自ら名前を名乗ろうという考え自体浮かばなかったと思います。それもこの現象の影響といわれていますので、気になさらないでください」
今朝までのことを振り返り、確かに一切疑問に思わなかったと親は考える。ルイもミラもガクも自己紹介をしてくれていた。にもかかわらず、自分は特に何も思わなかったのである。とても不思議な感覚だった。
――ということは、あそこで見つけてもらえたのは奇跡に近い事だったのでは?
そこまで考えて再びぞっとした。
――見つけてもらえなかったら、儀式さえできないということ……
ぞくりと全身に鳥肌がたつ。今になって紙一重の状況だったことを理解する。そんな心中の親を知ってか知らずか、リアムは場の空気を変えるように手を合わせて、ぱん、と打ち鳴らした。
「さて、本来であればその魂鑑定をすぐにでも受けていただく予定だったのですが、依頼をしていた協会の神官がまだ到着しておりません。ですので、鑑定は一旦置いておきましょう」
リアムは申し訳なさそうに微笑んだ。
「その代わり、改めて貴殿の口からここまでの経緯を説明願いたい。ルイからも報告は受けていますが、相違がないかの確認も含めておりますので、よろしくお願いいたします」
親は頷き、これまで自分の身に起こったことを落ち着いた口調で説明していく。部屋にいる誰1人として口を挟むものはいない。リアムは静かに耳を傾け、オリビアは案じるような眼差しを向け、アルベルトも真剣な表情で話を聞いていた。
しばらくして説明が終わった。そのことを確認したリアムは、ルイと親を1度見て頷く。ルイも頷き返した。
「報告と相違はないようですね。安心しました。とはいえ魂鑑定をするまでは、正式に貴殿を異邦人だと断定することはできない。ただ決してあなたの話を信じていないわけではありません。あくまで体裁を守る、必要な手順なのです。申し訳ありません」
そう言ったリアムは、少しだけ眉尻を下げ申し訳ないという表情をした。
その顔が、思わずかわいく見えてしまった親は、こっそり胸の中で、顔の割に可愛い人だなと失礼なことを思いつつ、自分が王の立場でも、同じようにしただろうと考える。だからこそ拘束などもせず、立派な部屋でゆっくり休ませてくれたことが驚きだった。
「いえ、どこからどう見ても怪しい人間だと思うので、当然の行いです。むしろここまで良くしていただけていることに感謝しています。ただ……」
そこで言葉を切ってから、膝の上で両手をそっと握る。そして強い決意を宿した瞳でリアムを見つめ返す。
「だた自分は、子どもを探せればそれだけでいいんです。そのために必要なことはなんでもします」
毅然とした態度で言い切った。我が子を必ず見つけ出す、という強い信念。
リアムもルイも、その場にいた誰もが、その決意と信念をしっかりと受け止めたのだった。




