第3話:保護
親は俯いたまま、ルイの話に耳を傾けていた。先ほどのように言葉を聞き流しているわけではない。1つずつ頭の中で整理しながら、語られる内容を理解しようとする。
異世界召喚
光の道
異邦人
王宮
ルイの言葉の中には、元の世界で好んで読んでいた小説で聞いたことのある単語がいくつかあった。
その中でも、〈異世界召喚〉は1番覚えがあり何度も目に入っていた言葉だ。
現実離れした出来事すぎて、自分の身に降りかかるなど考えたこともない。
――そうか、自分は召喚されたのか
そう漠然と胸の内で言葉を飲み込もうとした。そのときだった……
胸の奥へ鋭く引っ掛かるような違和感を感じた。
――にんずうぶんのはしら
ルイが何気なく口にしたその一言が、頭の中で何度も反芻される。
――にんずうぶん
――しろいはしら
――にんずうぶん……?
ゆっくり点と点が結びついていく。そして分かりたくもない1つの可能性へ辿り着いた。
「白い柱は、もしかして、自分の分だけ?」
俯いたまま、胸に引っ掛かった違和感が、そのまま口から零れ落ちた。口に出した瞬間、親の胸がざわつく。嫌な予感はずっとしていた。だが親は認めたくなかった。心の中で何度も否定し、違う、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。
親はゆっくりと顔を上げる。涙が滲む瞳で、懇願するようにルイを見る。
否定してくれと願いながら。
親の独り言のような問いを、確かに聞いていたルイは、相手が何を恐れているのかも理解できていた。だからこそ、言葉を選ぶように一瞬だけ口をつぐむ。安易な慰めは、相手を傷つけてしまう。騎士としても、事実を偽ることもできない。
短く息を整え、表情を変えないまま、事実だけ伝えるためにルイは静かに口を開く。
「っはい。王国内で確認された白い柱、もとい光の道は現時点で1本のみです」
その言葉に、親の顔からサァーと血の気が引いていく。瞳は大きく見開かれたまま、唇がかすかに震える。
――王国内で確認された光の道は、1本だけ
ルイの言葉が頭の中で何度も繰り返される。否定したかった考えが、現実として胸へのしかかる。親は視線を逸らすことなく、ふらつく足取りでとルイのほうへ歩み寄る。
一歩。また一歩。
足元は覚束なく、今にも倒れてしまいそうだった。
そんな親の異変に、いまだルイの後方に控えていた部下たちが一斉に反応する。腰に下げた剣へ静かに手をかけて、それぞれが身構える。
異邦人は保護対象というのが王命である。しかし同時に、貴重な存在であろうと害をなすと判断した場合は拘束せよとも命を受けていた。ましてや、対峙しているのは自分らが敬愛する騎士団副団長。その上官が傷つけられる可能性を、黙って見過ごすわけにはいかなかった。
張り詰めた空気が草原を包み込む。
だがルイは、部下たちの行動にも慌てることなく片手で静かに制する。それだけで部下たちは動きを止めた。
「副団長……」
誰かが小さく呼ぶ。それでもルイは、親から目を離さない。確証があるわけではないが、ルイの長年の経験で培われた勘が告げていた。
――この人は、我々に。私に危害を加えることはない
親が突き動かしているのは敵意ではなく、ただあまりにも切実な衝動であると…
一方で、親には周りの変化など目に入っていなかった。部下であろう騎士が剣へ手をかけたことも。それをルイが手で制していたことも。涙に濡れ、ぐちゃぐちゃになっている自分の顔を気にする余裕さえも、何1つ残っていなかった。知りたくなかった現実を告げた男の目と鼻の先まで迫る。
震える手で、ルイの胸元の服を指が白くなるほど強くぎゅっと掴んだ。縋りつくような恰好になるが、この手を離してしまうと崩れ落ちてしまいそうだった。肩は小刻みに震え、乱れた呼吸と嗚咽が混じり合う。
ルイは抵抗することも、その手を振り払こともしなかった。震える手と、目の前で必死に縋りつく親の姿をただ静かに見つめる。
そして親は、すでに掠れた声で
「そんなことがあるわけないでしょう」
しかしだんだんと
「なぜ自分だけなんですか」
怒りにも悲鳴にも似た声で訴える。
「うちの子は、あの子はどこだっていうんですか!!」
こんなことを聞いても自分が欲しい答えが返ってこないことなど、頭では漠然と理解していた。それでも感情を抑え込むことは今の親にできるはずもなかった。息を荒くし、憤りの表情でルイを睨み上げる。
ルイは取り乱した親の姿を上から静かに見つめ、そして服を掴んでいた手をソッと自分の両手で包む。
その行動と温もりに、びくりと肩を震わせた親は、反射的に手を振り払う。
乾いた音とともにルイの手が弾かれた。後ろで見守っていた部下たちは副団長!と思わず声を上げる。今にも駆け寄ろうとする者までいる。だがルイは小さく手を上げ部下を制す。振り払われたことなど気にも留めていなかった。
ルイは1歩だけ距離を詰めると、怯えたように震える親を優しく抱き寄せた。目の前の人物の名前も、年齢も何もかも知らない状況ではあったが、何かせずにはいられなかったのだ。
「望んでいる答えを出せずすまない」
落ち着かせるように、子どもに言い聞かせるように、そんな穏やかなで低い声が親の耳に響く。抵抗する腕にも力が入らない。
親の張り詰めていた心は、とっくに限界を迎えていた。
「あなたの子どもは必ず我々が探し出す。陛下にも事情を説明し、探す許可を貰おう。必ず。あなただけ何故ここに召喚されたかは分からない。だか、きっとあなたの子どもも、この世界の何処かに召喚されているはずだ。だからひとまず私と一緒に王宮へ行ってほしい。明日この一帯を念のため部下に探させる。だから……」
力ない抵抗も、震えもルイは受け止めてくれた。慰めるようなその言葉たちも、温もりとともに親の心を落ち着かせていった。
親は腕のからルイの肩越しに空を見る。だいぶ西へ傾いていた太陽は、青空の端を僅かに淡く茜色に染め始めていた。
ルイもつられて1度その空を見上げると、再び腕の中の親と視線を合わせる。先ほどまで震えていた肩も、怒りに溢れていた瞳も落ち着きを取り戻していた。その様子を確かめると、視線を合わせたままルイは再び、王宮へ来てほしいと告げた。
親はルイの言葉と真剣な眼差しに、この男を信じてみてもいいのかもしれないと感じた。
なにより
――ついて行ったほうが、あの子を見つけられる可能性が高い
そう結論づけて、小さく頷いて見せた。
小さな了承の合図ではあったが、それにルイはほんの一瞬だけ安堵したように目元を和らげる。かと思えば、すぐに騎士団副団長としての表情へ戻ると、後方で待機していた部下たちへ振り返った。
「一旦、我々は王宮へ戻る。直ちに出発の準備にとりかかれ」
低くありながらよく通る声で、指示を出す。
「はっ!」
部下たちは一斉に敬礼したのち、すぐに移動の準備へとりかかった。
ちなみにその間も、親はルイに抱きしめられたままである。
ルイのおかげで色々と安心した親は、極限まで張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて切れたように睡魔が襲ってきていた。
――ねむい
意識を保とうとしても、何度も視界がぼやけてしまう。寝てはいけないと分かっているのに、体は限界だった。
しっかりと支えてくれる腕の中で、伝わってくる穏やかな体温と一定のリズムで聞こえてくる呼吸に包まれれば、誰でもそうなるだろう。眠気が押し寄せてきていても、頭の中では子どもの無事を祈ることでいっぱいだった。
親のたった1つの願い事……
その祈りだけを抱いたまま、親の意識はゆっくりと微睡みへと沈んでいった。
――どうか、無事でありますように
ルイは、腕の中の親をそのままに頭の中で王宮までの工程を素早く組み立てていた。
――最短の道で進めば、今日中に帰還できるか
やがて考えがまとまると、部下たちへ指示を飛ばす。
「護衛は前後2隊に分かれろ。補給の確認も急げ、出発後は必要最低限の休息のみとする。それと……」
ルイは1人の騎士へ視線を向ける。
「お前は一足先に王宮へ向かい、陛下へ状況を報告。異邦人の保護も含め、ありのまま伝えて構わん。受け入れの準備も整えていただくよう願い出ることも忘れるな」
「承知いたしました!」
騎士は一礼すると、すぐさま幻獣とともに王宮に向けて駆け出して行った(その幻獣の脚は地についておらず、空気のようなものを足場にして走っていく)。それを見届けようやく一段落したころ、終始無言だった親が気になり、様子をうかがおうとしたその時だった。腕にかかる重さが増したと同時に親の体から力が抜けていくのが分かった。膝から崩れ落ちるような感覚に、咄嗟に体を抱えなおす。
「っおい」
少し眉をひそめ、焦った影響で思わず強い口調にもなってしまう。だがそんなことよりも親の状態が心配だった。腕の中の親は、完全に脱力している。
ルイはすぐさま片膝を地面につけ、もう片方の脚へ体重を預けさせるように抱え、静かに体制を整える。そして落ち着いて相手の顔を覗き込む。
「ねている……」
すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた。穏やかな呼吸を繰り返すその姿を見て、ルイは肩の力をようやく抜いた。
気を失ったわけではなく、極度の疲労と精神的な消耗の果てに、眠りへ落ちたのだろうと察することができた。眠りを妨げぬよう、そっと親の体を横抱きにする。細心の注意を払いながら、自らの幻獣へと歩み寄る。
その幻獣の名は〈レグシオン〉。
部下たちも一様にぎょっとした様子で2人を見ていたが、ルイ自ら運んでいることに対して異を唱える者は誰もいなかった。あの極限状態の親を見ていたからこそ、親が限界だったことも、安心して眠りに落ちたことも皆理解しているのだ。
「この方は、このまま私がお連れする。お前たちは周囲の警戒を怠らず、しっかり護衛を頼むぞ」
そう告げると、ルイは〈レグシオン〉へ視線を向ける。
〈レグシオン〉は〈アストレアス〉と呼ばれる、星の加護を受ける神聖な幻獣である。四肢は馬と同じであるが、額には星の魔力を宿した1本の角を持つ。
翼は持たないものの、大気中の魔力を足場にし宙を駆けることができる。その速度は、地を走る馬を遥かに凌ぐ。
アストレアスの所有権は騎士団にあり、誰もが騎乗を許されるわけではない。また騎士となった者でも、アストレアス自身に主として認められなければ乗ることは決して叶わない。
ルイとともに幾度となく戦場を駆けてきた相棒のレグシオンは、他の個体より一段と賢いとされている。ルイが言葉を発しなくとも、主人の意図を理解したレグシオンは、静かにその場へ身を低くする。
ルイもその様子に口元を和らげ、撫でれない代わりに感謝を伝える。そして親を片手でしっかり抱えながら、もう片方の手で手綱を持ち慎重に鞍へ跨る。親を揺らさぬように改めて抱え直した。その寝顔は、絶望に歪んでいたのが噓のように穏やかなものだった。
部下たちもルイの命令へ返事をしたのち、すぐに各々のアストレアスへ騎乗する。そして先ほど指示を出された通り、前に2人後に3人に分かれ陣形を整えていく。
全員の準備が整ったことを確認すると、ルイは周囲を一瞥した。
太陽が西へ傾き始めて1時間半ほど経った空の端には、僅かに夕暮れの気配が滲んでいる。長く伸びた影が王宮への道を指し示すように大地へ落ちている。
「出発する!」
その一声を合図に、アストレアスに乗った騎士たちは王宮へ向けて一斉に駆け出していく。




