第2話:異邦人と王命
親は、どうしてここにいるのかという問いに対して、答えが何も浮かばなかった。というのも、ルイの声は確かに耳へは届いていた。けれど、言葉の意味までは届かず、親の意識をかすめるだけで消えていってしまった。
聞こえているのに、理解できない。
理解しようとするだけの余裕が親にはなかった……
胸を締め付ける痛み。止まらない涙。そして子どものこと。親の頭の中はそれだけでいっぱいだったのだ。
しばらくの沈黙の後、親はようやく口を開く。質問の答えではない。自分にとって今1番頭の中を占めていること。泣き叫んだ影響で喉が枯れ、辛うじて出た小さく掠れた声で呟く。
「……子ども。子どもが……いない」
あまりにも小さな呟きだった。それでもルイの耳には確かに届く。
――子ども?
胸中でその言葉を反芻する。唐突すぎる言葉に、ルイは僅かに首を傾げた。だが、その表情はすぐに険しさを帯びる。ルイ・ガルシアは〈ムスフィシパ王国〉騎士団副団長の座に就く人物だ。卓越した剣技だけでなく、周囲の気配を探る能力にも長けていた。王命による任務では、些細な違和感さえも見逃さない。ここに向かう道中から草原へ到着してからも、周囲へ意識を巡らせ続けてきた。魔物がこの土地に寄りつかないことは、騎士団にとって周知の事実のため、到着してからは人の気配、不審な動きをする存在がいないかどうかを探っていた。だが、それらしき反応は感じられない。目の前の人物の様子からして、その「子ども」が何より大切な存在であることは明白だった。だからこそ、事実を告げることは躊躇われた。しかし話を進めるためにも、ありのまま伝えるべきだと判断する。
ルイは親をまっすぐ見据え、静かに口を開く。
「子どもは見ていない。この辺りにも特にそれらしい気配は感じられない」
続けてルイは相手の様子を見ながら、自分の子どもを探しているのかと尋ねる。親は小さく頷いた。ルイはその仕草だけで、子どもの話題だと答えてくれそうだと悟った。親を刺激しないよう言葉を選びながら、問いを重ねる。
「子どもも一緒にここへ来たのか」
その問いに対して親は、ぎゅっと唇を嚙み締めた。次の瞬間、堪えていたものが溢れ出すように、涙で濡れた顔をくしゃりと歪める。続いて、分からないと答える。そして自分の身に起こったことをぽつりぽつりと語っていく。
ここではない場所で子どもと歩いていたこと
突然見知らぬ女性が地面に吸い込まれていたこと
助けようとしたらいつの間にかここに立っていたこと
それまで一緒にいたはずの子どもがいないこと
震える唇から、一言ずつ、途切れ途切れに言葉が零れていく。
「ちゃんと、腕のなかにいた……」
光景を思い出したのか、親の肩が震える。
「なのに、いない……」
そこで言葉が詰まる。涙は滝のように流れ続けている。
「どれだけ探しても……呼んでも、返事がない……」
親は力なく首を振る。声は嗚咽に呑まれ、最後はほとんど聞き取れなかった。
ルイは、親の話を最後まで口を挟まず聞いていた。途中、顔を見合わせ少しざわめきだした部下たちにも、視線だけ向ける。その一瞥だけで意図を察した部下たちは口を閉ざした。ルイは改めて親へ向き直る。語られた内容は、本来常識では到底受け入れ難いものだった。しかし、やはりと胸中で静かに呟く。これまで曖昧だった憶測は、今や揺るぎない確信へと姿を変えていた。
――この人物は、恐らくあの儀式の……
だが、話を聞き終えた直後、ほんの一瞬だけルイは眉をひそめた。ひとつだけ腑に落ちない点があった。
――もし話の内容が事実であれば、なぜこの人物だけがこの地に現れたのか
――子どもはどこへ消えた
――女性も一体どこへ
光に包まれたのは3人のはずが、この場にいるのは目の前の親だけだ。前例のない出来事に、本当にそんなことがありえるのか?と、一瞬だけ疑念が脳裏をよぎる。が、ルイはすぐに違う、と小さく首を振った。ここへ来るまでの経緯も、目の前の親の憔悴しきった様子も、何より我が子を失って絶望していたあの瞳も、全てが作り物とは思えない。余計な疑念を胸の内で静かに切り捨てる。そしてルイは目を閉じ短く静かに息を吐く。
―騎士団副団長として見るべきものは、憶測ではなく導き出せる事実だ。それを見失えば救えるものも救えなくなる。
そう自らに言い聞かせる。やがて相手に意識を戻すため、ゆっくりと視線を上げる。
目の前では、親が再び俯いていた。握りしめた拳には力が入りすぎて白くなっている。表情は伏せられた前髪に隠れ、胸中をうかがうことはできなかった。それでも先ほどまで流れていた涙は、ひとまず止まっているようだった。その僅かな変化に、ルイは胸の奥で小さく安堵する。今なら言葉が届くかもしれないと判断したルイは、なるべくゆっくりと、慎重に丁寧な口調で声をかける。
「話してくださり、感謝申し上げます。あなたは恐らく、他の王国が行った異世界召喚という儀式に巻き込まれてしまったのでしょう。そして我々がここへ参ったのは、〈光の道〉が確認されたためです」
ルイは空へと視線を向ける。親は何も言わない。だが、俯きながらもその耳は確かにルイの言葉を捉えていた。
「光の道とは、召喚された人数分だけ現れる、大地と天を繋ぐ1本の白い柱のような現象を指します。空へと向かって真っ直ぐに伸びるその光は、この世界では異世界召喚の兆候として知られています」
一拍置き、再び親へと視線を戻す。
「今回、その光の道が出現したとの報告を受け、王は直ちに我ら騎士団へ命を下されました。『異世界から召喚された可能性のある者を保護し、王宮へ連れ帰れ』それが王命です」
その声色には、騎士としての誇りが滲む。部下たちも黙って話を聞いている。
「保護の目的はただ1つ。異邦人は、王国にとっても、世界にとっても貴重であり、大切にすべき存在であるからです。我々は光の道が出現したであろう場所へ赴き、異邦人がいれば保護し、いなければ周辺を捜索する。その任務を遂行するため、ここへ参りました。ですので騎士団副団長ルイ・ガルシアの名において、あなたを召喚されし異邦人であると判断いたします」
そして最後に、力強く告げた。
「責任を持って、あなたを王宮まで護衛いたします」
ルイの声には、先ほどまでの鋭さは感じられない。
あるのは、騎士として果たすべき責務と、目の前の人物を守るという揺るぎない意志だけだった。




