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第14話 マチアプ男編-背中と胸で語れ

「今日はその入口を教える」


そう言うと、ガイ児は黒い腕をゆっくり持ち上げ、ジムの奥を指した。


「まずは背中だ」


「背中、ですか」


「そうだ」


竜一は少しだけ首をかしげた。

胸とか腕とかなら、まだわかる。

いわゆる男らしい身体として想像しやすい。

でも背中、と言われると、急に実感が薄くなる。


「背中って、そんなに大事なんですか」


「大事だ」


ガイ児は即答した。


「男は背中で語る」


「それ、なんか昔の刑事ドラマみたいなセリフですね」


「だが本質だ」


また本質らしい。


ガイ児はラットプルダウンのマシンの前に立った。

上から伸びたバー。

座面。

膝を固定するパッド。

ジムに詳しくない竜一でも、なんとなく背中のマシンっぽいことはわかる。


「座れ、GUYS」


竜一は言われるまま座った。

膝をパッドの下に入れる。

バーを見上げる。

思っていたより高い。


「これ、どうやるんですか」


「引く」


「いや、それは見ればわかるんですけど」


「ならば半分は終わっている」


「終わってないです」


ガイ児は竜一の後ろに回ると、肩の位置と胸の向きを軽く確認した。


「いいか。まず胸を軽く張る。

だが反りすぎるな。

首で引くな。

腕だけでも引くな」


「注文多いですね」


「背中のない男になりたいのか」


「なりたくはないです」


「なら聞け」


ガイ児はそう言うと、竜一の肩甲骨のあたりを軽く指で叩いた。


「ここだ。

ここを使って引く。

バーを手で引きずり下ろすのではない。

肘を下へ引く。

胸へ向かって迎えにいく。

背中で引き寄せる」


正直、言っていることの半分くらいはまだよくわからない。

だが、たぶん大事なのは腕の力だけで雑にやるなということなのだろう。


「重さは最初だから軽めでいい」


ガイ児がピンを差し替える。

金属の小さな音がした。


「よし。握れ」


竜一はバーを握った。

手の幅は肩幅より少し広いくらい。

深呼吸する。


「引け」


最初の一回は、かなりぎこちなかった。


肩に力が入る。

腕で下ろそうとする。

バーは下りたが、どこに効いているのかよくわからない。


「だめだ」


早かった。


「え、もうだめですか」


「今のは背中を鍛えるふりをして、腕でがんばった男だ」


「言い方が嫌だな……」


「もう一回だ。

胸を軽く上げろ。

視線を少し前へ。

肘を脇腹に向かって落とすように引け」


竜一は言われた通りにやってみた。


バーを握る。

胸を少し開く。

肘を下へ引く。


「……あ」


さっきより、違う。


今度は脇の下から背中のあたりにかけて、何かが動いた感じがした。

派手な刺激ではない。

でも、確かにそこにいた筋肉が少しだけ起きたような感覚がある。


「それだ」


ガイ児の声が少し低くなる。


「背中は、自分では見えん。

だから意識しにくい。

だが見えないところに出るものがある。

余裕。広さ。守る感じ。

男らしさのかなりの部分は、正面ではなく背中に出る」


竜一はゆっくりバーを戻した。


「守る感じ、ですか」


「そうだ。

言葉ばかり優しくても、背中が薄いと頼りなく見えることがある。

逆に、背中がある男は、黙っていてもなんとなく安心感が出る」


それは少しわかる気がした。

学生時代でも、会社でも、なぜか頼れそうに見える男はいた。

いつも口数が多いわけでもない。

むしろ無駄に喋らないことすらある。

なのに、なんとなく場を任せられそうな空気がある。


あれは姿勢とか、肩幅とか、そういうものの積み重ねだったのかもしれない。


「もう少しやる。十回だ」


「はい」


竜一はもう一度バーを引いた。


一回。

二回。

三回。


最初より少しずつ動きがわかってくる。

脇の下から背中へつながる感覚。

肘を引くたびに、身体の後ろ側が目を覚ます感じ。


四回。

五回。


「いいぞ。

その子の後ろに立った時に、安心させる背中を作れ」


「急に恋愛に戻しますね」


「当たり前だ。

今日はそのために来たのだろう」


六回。

七回。

八回。


たしかに、ただ筋肉を動かしている感じではなくなってきた。

イメージを乗せると、不思議と動きが変わる。

誰かを守る。

少なくとも、隣に立ったときに頼りなく見えない背中。


九回。

十回。


バーを戻すと、竜一は小さく息を吐いた。


「……地味にきついですね」


「背中は地味だ。

だが、地味なものほど効く」


ガイ児はうなずいた。


「そして次は胸だ」


「来ましたね」


「来る」


ガイ児はチェストプレスのマシンへ向かった。

押すタイプのマシンだ。

竜一でもなんとなくわかる。


「背中が守りなら、胸は受け止める力だ」


「受け止める力……」


「そうだ。

男が前に出る時、最後に必要なのは押す力だ。

言葉でも、態度でも、身体でも。

引いてばかりの男は、最後に押し返せん」


それはかなり耳が痛かった。


昨日の告白だってそうだ。

言い切れなかった。

押し出せなかった。

気持ちはあったのに、最後に前へ出る圧が足りなかった。


「座れ」


竜一はチェストプレスの座面に座った。

グリップを握る。

胸の横あたりに手が来る位置。


「肩をすくめるな。

手で押すな。

胸で前へ出す」


「胸で前へ出す、ですか」


「そうだ。

ただ重さを押し返すのではない。

自分の前の空間を押し広げるんだ」


竜一は少しだけ笑った。


「言い方はだいぶ詩的ですね」


「胸は詩的な部位だ」


「そんなことあるんだ」


だが、やることは単純だった。


「押せ」


竜一はグリップを前へ押した。


最初は腕に入る。

でもガイ児がすぐに言う。


「違う。

腕で終わるな。

胸の真ん中から前へ出る感じだ」


もう一度。

今度は胸を少し張り、肩をすくめないようにして押す。


「あっ」


今度は胸の内側がちゃんと働いた。

押した、という感覚が腕より胸に近い。


「それだ」


ガイ児の声が少しだけ低く、満足そうになる。


「胸筋は見た目だけではない。

大切な人を包み込める男の土台だ」


「包み込むって……」


「文字通りだ。

細かくびくつくな。

受け止める。抱える。押し返す。

胸がある男は、その気配が出る」


竜一は何度かグリップを押した。


一回。

二回。

三回。


胸が熱くなる。

想像していたよりも前へ出る感覚がある。


四回。

五回。

六回。


気遣いだけでは足りない。

優しさだけでは選ばれない。

昨日、ガイ児に言われたことが、少しずつ身体の中で形になっていく。


七回。

八回。


「大切な人を受け止められる胸を作れ」


九回。

十回。


最後まで押し切って、竜一はふうと息を吐いた。


胸の真ん中がじんわり熱い。

背中も少し張っている。

思っていたより、嫌ではなかった。


「どうだね」


「……なんか、変な感じです」


「何がだ」


「筋トレしてるだけなのに、恋愛のこと考えてると、ちょっとだけ意味がわかるというか」


「それでいい」


ガイ児は腕を組んだ。


「男は頭だけで変わらん。

身体に通して初めて、少し腑に落ちることがある」


竜一は胸を軽く押さえた。

まだたった2種目だ。

なのに、少しだけ自分の姿勢が変わった気がした。


「……背中で語る、胸で受け止める、か」


「そうだ」


「ちょっとわかってきたかもしれません」


「よろしい。

だが、まだ上半身だ」


ガイ児はニヤリとした気配を見せた。


「次は脚だ、GUYS」


竜一はその言葉を聞いて、少しだけ笑ってしまった。


たぶん、次もきつい。

でも、昨日の夜よりは少しだけ前向きな顔をしている自分がいる気がした。

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