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第13話 マチアプ男編-弱い優しさと強い優しさ

日曜日の昼、竜一はいつもより遅く目を覚ました。


カーテンの隙間から入る光がやけに白い。

頭は少し重い。

昨夜のハイボールのせいか、それとも気持ちがまだ引きずられているせいか、自分でもよくわからなかった。


「……夢、じゃないよな」


ベッドの上で天井を見ながら、竜一は小さく呟いた。


マッチングアプリで会った女の子に振られたこと。

双葉駅前の居酒屋でやけ酒したこと。

そして、隣に座った黒いでかい男に、恋愛は身体を通るだの、足と胸と背中だの言われたこと。


どこを切り取っても夢っぽい。

特に最後がひどい。


(いや、なんだったんだよ、あの人……)


起き上がり、洗面所で顔を洗う。

鏡の中の自分は、三十五歳の、少しむくんだ普通の男だった。

恋に破れ、酒を飲み、変な黒いトレーナーにスカウトされた男には見えない。


キッチンで水を飲み、適当に食パンをかじる。

スマホを見る気にはなれなかった。

昨日の相手とのトーク画面を開いたところで、気持ちが沈むだけだとわかっている。


なんとなくソファに座り、ぼんやりしていると、床に置いたバッグが目に入った。

昨日のまま放り出していたやつだ。


何の気なしに手を伸ばし、財布を取り出そうとしたときだった。

妙に光る紙が指先に触れた。


「あ……」


取り出す。


ピカピカしていた。

無駄に光沢のある、あのビラだった。


ガイジマキシングをしよう!!!

双葉駅前に新装開店!!!

その名も【ガイジマックスジム】!!!

人生を変えたい弟子、大募集中!!!


「……夢じゃなかったのかよ」


思わず独り言が漏れる。


ビラの文面は相変わらずどうかしていた。

正気の店名とは思えない。

弟子ってなんだ。

しかもジムの名前より、思想っぽい言葉の方が前に出ている。


怪しい。

どう見ても怪しい。


だが、竜一はビラを捨てなかった。


ソファに腰掛けたまま、その紙を見つめる。

昨日、居酒屋のカウンターで見たガイ児の背中が頭に浮かぶ。

あの広さ。

あのまっすぐさ。

ただ座っているだけなのに、「この人は前に出られる人だ」と思わせる何か。


(……ああいうのが、足りないってことか)


悔しいが、少しだけ納得してしまっていた。


竜一は、昨日のデートのことを思い返した。


水族館。

レストラン。

会話。

気遣い。

どれも悪くなかったはずだ。

少なくとも、自分なりにはちゃんとやった。


でも結局、最後に彼女の口から出たのは、あの言葉だった。


「竜一さん、すごくいい人なんですけど……彼氏としては想像できないです」


あの一言は、地味に深く刺さっている。


ひどくはない。

罵倒でもない。

だからこそ痛い。


優しい。

気が利く。

安心する。

それで終わる。


それが一回や二回ならまだしも、もうかれこれ十連敗中だ。

初回で終わることもあるし、二回目で消えることもある。

三回目まで行って、昨日みたいにきれいに振られることもある。


「十連敗中の男が、何を選り好みしてるんだって話だよな……」


自分で言って少しだけ笑ってしまった。

笑える話ではないけど、そうでもしないとやっていられない。


ガイ児の言葉が、また頭の中で再生される。


「お前には優しさがある。だが、優しさだけではオンリーワンにはなれん」


「恋愛は身体を通る」


「足。胸。背中だ」


(いや、意味はわかんないんだけどな)


でも、意味がわからないまま無視できるほど、今の竜一には余裕がなかった。


部屋の中を見回す。

別に散らかってはいない。

でも整っているわけでもない。

テーブルの上には読みかけの雑誌。

洗っていないコーヒーカップ。

ソファの端には脱いだパーカー。


なんというか、全部が中途半端だった。

自分みたいだと思った。


「……行くか」


誰に聞かせるでもなく呟き、竜一は立ち上がった。


シャワーを浴び、髪を整え、適当な私服に着替える。

昨日みたいに気合いを入れた服ではない。

だが、どうでもいい格好でもなかった。


ジムだから運動着の方がいいのか、と一瞬迷ったが、初回から張り切りすぎるのも何か違う気がした。

とりあえず動きやすそうな格好にする。


バッグに財布とスマホを入れ、例のビラも入れる。

それが入っただけで、バッグの中身全体が少し怪しくなった気がした。


双葉駅へ向かう電車の中で、竜一は窓に映る自分をぼんやり見ていた。


彼女ができない男。

いい人で終わる男。

決めきれない男。

たぶん、その認識はもうかなり染みついている。


でも、昨日の黒い男は、その少し先を見ていた気がした。


駅を出て、ビラに書いてあった場所へ向かう。

すぐにわかった。

というか、わからない方が難しい。


花輪。

LED。

やたら目立つビルの一角。

昼間でも少しうるさい。


「……ガイジマックスジム」


口に出してみると、やっぱりだいぶ変な名前だった。


エレベーターに乗る。

五階を押す。

上がっていく間に、少しだけ心拍数が上がる。


(今さら帰るのは、なしだよな)


チーン。


ドアが開く。


昨日と同じ声が飛んできた。


「ヘイGUYS!!!!! よく来たな!!!!!!」


「うわっ」


やっぱりでかい。

そしてやっぱり黒い。


「来ると思っていたぞ、マチアプ男!!!!!!」


「その呼び方やめてもらっていいですか」


「だが今のお前を最もよく表している」


たしかに否定はできない。

悔しい。


「座れ!!!!!!」


言われるまま、竜一はパイプ椅子に座った。

ガイ児はその前に立つ。

背中が広い。

胸も厚い。

近いと余計に圧がある。


「では聞こう。お前はなぜ、毎回いい人で終わると思う?」


「いや、それがわからないから来たんですけど」


「ならば私が言おう」


ガイ児は腕を組んだ。


「お前は、相手のことを考える優しさばかりで、自分を出せていない」


竜一は少しだけ黙った。


「……自分を出すって、わがままになることじゃないですか」


「違う」


ガイ児の返答は早かった。


「それは、弱さからくる優しさと、強さからくる優しさの違いだ」


「弱さと……強さ?」


「そうだ」


ガイ児は一歩前に出た。

ただそれだけで、椅子に座る竜一には結構な圧だった。


「弱さからくる優しさとは何か。嫌われたくない。拒絶されたくない。場を壊したくない。だから相手に合わせる。相手を立てる。相手を優先する。表面上は優しい。だが、その実態は自分が傷つくのを避けているだけだ」


図星だった。


「一方、強さからくる優しさは違う。自分の軸がある。必要なら前へ出られる。嫌われる可能性があっても、言うべきことは言える。支えるべき場面では支える。受け止めるべき場面では受け止める。その上で相手を気遣う。これが強い優しさだ」


「……」


「お前はどちらだね」


「……前者、ですかね」


言いたくなかったが、言うしかなかった。


ガイ児はうなずいた。


「よろしい。自覚があるのは良いことだ」


「よろしいんですか、これ」


「良い。認識できれば変えられる」


そして、ガイ児は自分の背中を軽く叩いた。


「いいか。強さからくる優しさを持つには、まず身体の土台が要る」


「またそこなんですね」


「まただ」


即答だった。


「背中で守る。胸で受け止める。脚で踏ん張る。この三つが男の土台だ」


竜一は少し眉をひそめた。


「正直、まだ筋肉と恋愛がつながってないんですけど」


「つながる」


ガイ児は胸を張った。


「背中のない男は、余裕が出にくい。胸のない男は、押す場面で引きやすい。脚の弱い男は、いざという時に踏ん張れん」


「ずいぶん極端ですね」


「極端ではない。本質だ」


本質らしい。


「相手のことを考えるのは良い。だがそれだけでは、相手の記憶に残る男にはなれん。守れそうだ、受け止めてくれそうだ、いざという時に前へ出そうだ。そういう手応えがいる」


その言葉に、竜一は昨日の自分を思い出した。


水族館で話を合わせた。

道路では車道側を歩いた。

口コミのいい店を予約した。

それは全部良いことだったはずだ。


でも、最後の告白で自分が前に出られなかったなら、そこまでの優しさも

全部ただの感じのいい人のまま終わってしまうのかもしれない。


「……じゃあ、俺に必要なのは」


「背中、胸、脚だ」


ガイ児は力強く言った。


「男は背中で語れ。胸で受け止めろ。脚で決めろ」


その言葉は、だいぶ暑苦しいのに、なぜか少しだけかっこよく聞こえた。


「今日はその入口を教える」


「今日からやるんですか?」


「当然だ」


ガイ児はニヤリとした気配を見せた。


「十連敗中なのだろう?」


「なんでそこを強調するんですか」


「火がついているうちに動くのがよいからだ」


それは、たしかにそうだった。


竜一は小さく息を吸った。

昨日より、少しだけ深く。


(……ここまで来たら、やるしかないか)

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