十 解呪
カヌトは魔法図を凝視していた。これほどまでに歪で、醜い魔法図を描いてしまった過去の自分に内心で呆れながら。
これが最後になるであろう、消すべき候補はふたつ。間違えれば、おそらく暴発する。この禁法具は特定範囲内の全ての生物を静かに殺す。いわば、強力な毒のようなものだ。アイジェスが張り巡らせた壁があるとはいえ、少しは影響があるかもしれない。
ここにいるのは、全て自分の大切な人たちだ。少しでも危険な目に遭わせるのは、矜持が許さなかった。それに、ミナキとロウを補助に選んだ以上、最初から失敗するつもりは毛頭ない。二人をここに連れてきたのは、禁法具の解呪から何かを学んで欲しかったからだ。
(授業で弟子を危険に晒しては、師匠とはいえないからな)
カヌトは頭の中で計算に計算を重ね、やがて、ひとつの答えに辿り着いた。
カヌトが澄み渡るような声で言った。
「右辺、下から一番目。……これで終わりだ」
ミナキは指定された記号を慌てて消した。途端に、多くの記号が抜け落ちて隙間ができたものの、前よりずっと整然とした配列になった魔法図が姿を消した。カヌトの作った禁法具は、今や何の魔力も感じられない、ただの工芸品となり果てた。
カヌトがアイジェスのほうを向いた。
「これ、持って帰ってもいいですか?」
「ダメですよ。それはあなたが解呪をしたという証拠ですから。持って帰ってどうするつもりだったのです?」
「自分への戒めに、部屋に飾っておこうかと思ったんですよ。この模様なんか、なかなかよく彫れてるし」
アイジェスは、呆れたように首を何度か横に振ったあとで、ミナキとロウの顔を交互に見た。
「二人とも、よく頑張りましたね。解呪の補助を、見事に務めていましたよ。さすが、わたしが育てた解師の弟子です」
「え? 先生は解師だったんですか?」
思わずミナキが声を上げると、ロウとカゥとアイジェスが、なぜかくすくす笑い出した。どうやら、知らなかったのは自分だけらしい。
「今まで隠していてごめんよ。禁法具を作った人間が解師を自称するのは、どうかと思っていたからね。……まあ、だけど、今回のことで、ようやくわたしも解師の端くれになれたのかなあ」
カヌトが人差し指で頬を掻きながら、説明してくれた。
「先生は、立派な解師です」
ミナキが力説すると、アイジェスが噴き出した。
「よい弟子を持ちましたね、カヌト。時にミナキさん、よく一年でここまでの力を身に着けましたね。ものすごく勉強したのでしょう」
「そんなことないです。たまたま、魔法図と解呪が得意だっただけで……」
「それでも、一朝一夕でできることではありませんよ。あなたの魔法図と解呪の知識は、同い年の魔法院の卒業生に匹敵します。十八歳になったら、是非、うちの資格試験を受けにいらっしゃい」
「は……はい!」
ミナキは嬉しかった。近い将来、必ず協会の試験を受けにいこう。できれば、カヌトと同じ、解師になるための試験を。そう心に強く誓った。そのためには、まず身近にいるロウと競い合うことだ。今まであやふやだった将来の展望が、ようやく開けた気がする。
(でも……)
具体的になりつつある夢の他にも、もうひとつ、叶えたい夢がミナキにはある。それは、まだまだふんわりと淡い夢だったけれど、ミナキの心をとらえて離さなかった。
地下室を出、階段を上りきると、灯火や魔法の光ではなく、眩しい朝の光が、窓から射し込んできた。ずいぶん長い時が流れたような気がしていたのに、地下室で過ごした時間は、実際のところ、一テュマン(一時間)にも満たなかったらしい。ミナキたちは目を自然光に慣らしながら、広間に佇んでいた。アイジェスが、ふう、と息をついた。
「さて、カヌトが無事に禁法具を解呪したことですし、その件も併せて、これから聴取が始まりますねえ。面倒なことです。やれやれ、歳を取ったら、大役は引き受けないに限りますよ」
(そういえば、この人は幾つなんだろう……先生と、それほど歳は変わらないように見えるけど)
ミナキは首を傾げた。しかし、答えを知っているはずのカヌトとカゥは、聞こえない振りをしているのか、無反応を決め込んでいた。魔法使いの世界は、まだまだ分からないことだらけだ。
「それはそうと、カヌト」
アイジェスが呼びかけると、さすがにカヌトもそちらを向いた。
「はい」
「昨夜、わたしがあなたに伝えた言葉の意味、ちゃんと分かりましたか?」
「もちろんですとも」
カヌトは少し大仰に答えると、首のうしろに手を回し、呪いのかかった金鎖を取り外す。カヌトが目の高さまで掲げて見せた金鎖を、一同はまじまじと見つめた。アイジェスだけが驚いた様子も見せずに、その光景を満足げな笑顔で見つめている。
カゥが金鎖を指差して言った。
「カヌト、お前、その鎖、取れないはずじゃあ……」
「ああ、さっき呪いを解いたからね。驚いたろう?」
「さっきって、いつ、呪いを解いたんですか!?」
今度はロウが問い質す。
「禁法具を解呪した時にさ。この金鎖の呪いは、わたしが作った禁法具と連動していてね、わたしが禁法具を解呪すると、自動的に呪いが解けるようになっていたんだ。わたしも師匠から手がかりをもらうまで、全く気づかなかったよ。……こんな厄介な仕掛けを思いついたのは、あなたですね? 師匠」
「あなたの罰を決める時に、進言しただけですよ。あなたの場合、事情が事情ですし、更生の機会を与えたい、とね。協会は、規則に反した者を処罰することはできますが、元々、法に基づいた刑罰を執行するための組織ではありませんから」
「そうだったんですか! ジズの奴、師匠を罪人扱いしやがって! やっぱり許せねえ」
ロウが口にしたのは、喧嘩をしたという同級生のことだろう。
ミナキはただ嬉しかった。これでカヌトは金鎖によって記憶を失うこともないし、心を痛めながら禁法具を作る必要もない。
カヌトがロウに、そんなことは忘れなさいと語りかけ、ロウが仕方なさそうに頷いた。カゥがカヌトに、今度祝杯を上げようと笑いかける。アイジェスがその様子を、ほほみながら見守っている。皆がそれぞれの方法で、カヌトが自由になったことを喜んでいる。ミナキはにっこり笑って、カヌトに近づいていった。
「おめでとうございます。先生!」
金鎖をアイジェスに手渡しているところだったカヌトが、晴れやかな笑みを返してくれた。




