九 封印の間
朝がやってきた。布団から身を起こし、身支度をしていたミナキは、朝餉の用意ができたことを係の女人に告げられ、案内されるまま、ある一室に向かった。そこは食堂になっていて、既にアイジェスが座布団の上に座っていた。
アイジェスがラシッド語で話しかけてくる。
「おはようございます、ミナキさん。皆も呼んでありますから、揃ったら朝餉にしましょう。食事は大勢で食べたほうが、おいしいですからね」
「おはようございます」
はにかみながら、ミナキは挨拶し、座布団に腰かけた。
最近のミナキは、日常会話と中級の魔法学術用語なら、ラシッド語で理解し話せるようになっていたので、円滑に応対することができた。それに、アイジェスの話す言葉は、ラシッド語の授業をする時のカヌトの話し方と少し似ていて、聞き取りやすいのだ。
師匠と弟子は、似るものなのだろうか。そのうち、ロウがカヌトに似てくるのかと思うと、何だか気味が悪い。
「どうですか? カヌトの教え方は」
アイジェスに訊かれ、ミナキは普段思っている通りに答える。
「とても分かりやすいです。魔法を全然使えなかったわたしにも、呆れることなく辛抱強く教えてくれて……。それに、わたしがしゃべれなかった時、文字も教えてくれました。先生のおかげなんです。今のわたしがあるのは……」
「そうですか、それはよかった。カヌトもあなたも、よい出会いをしましたね」
アイジェスはほほみながら頷いたあとで、綺麗な色合いの瞳に、真剣な光を宿した。
「これからも、カヌトのことをお願いします。あの子は危なっかしいところがありますが、あなたがたがいてくれれば、もう、道を踏み外すことはないでしょうから」
「はい」
ミナキはしっかりと頷いた。
会話が終わる頃には、カゥにロウ、それにカヌトが現れ、朝の挨拶を交わしながら、それぞれ席に着いた。運ばれてきた朝餉は、様々な国の料理が、ちょっとずつ出されており、食べているだけで旅をしているような気分になった。
皆が朝餉を食べ終わり、お茶に手を出し始めると、今までほとんど黙っていたカヌトが、口火を切った。
「師匠、お願いしたいことがあるのですが」
「何です?」
「もうお分かりでしょうに。わたしは、六年前に作った禁法具の解呪を行いたいのです。許可をいただけますか?」
アイジェスは、ちょっと笑って、懐から鍵の束を取り出した。
「もちろんですよ。この通り、鍵も用意してありますしね。もう面倒な手続きはすませておきましたから、封印の間にいけば、すぐにでも始められますよ。ただし、わたしもつき添わせていただきますが。それと、せっかくの機会ですから、カゥ君も一緒においでなさい。見届け人としてね」
カゥは、にやっと笑って恭しく答えた。
「光栄です」
「俺たちはのけ者ですか?」
ロウが憤然として、ミナキも思っていたことを代弁すると、カヌトはため息をついた。
「何言ってるんだ。君とミナキもくるんだよ。わたしを補助するためにね」
ミナキたちは長い階段を下り、硝子灯が等間隔で灯るニギ支部の地下へと向かった。警備隊員が左右に佇む扉の鍵穴に、アイジェスが鍵を差し込んで回す。音もなく扉は開いた。ミナキたちはアイジェスに続き、中に入った。扉を閉める音とともに、辺りは暗闇に包まれる。
「光よ――」
呪文を唱えようとしたアイジェスを、カヌトが遮る。
「すみませんが師匠。その魔法、ミナキに使わせてやってくれませんか。今の彼女なら、立派な光が出せるはずです」
「構いませんよ。カヌト、本当に師匠が板についてきましたねえ。さ、ミナキさん」
カヌトとアイジェスに促され、初めて呪文を使うことになったミナキは、緊張で掌に汗を滲ませた。今までしてきたように、魔法図を頭の中で描き、さらに呪文を口ずさむ。
「光よ」
明るい光の玉がミナキの掌に現れた。今まではごく小さな光しか出せなかったことを思うと、感激するくらいまばゆい光だ。
「すごいよ、ミナキ」
カヌトに喜色満面で褒められ、何だか恥ずかしい気持ちになりながら、ミナキはもうひとつ呪文を唱える。
「光よ、宙に浮きて、辺りを輝きで満たせ」
玉は天井に向け、ふわりふわりと持ち上がっていき、室内を照らし出した。
「わあ……」
明るくなった室内を見回し、ミナキは思わず嘆声を上げた。広い室内には、そこかしこに棚が並び、その上に様々な形をした無数の魔法具が並べられている。
「これが、全部禁法具なんですか?」
ミナキが誰にともなく尋ねると、アイジェスが答えた。
「ええ、そうですよ。一応、室内に埋め込まれた魔法図によって無力化はされていますが、そこはかとなく魔力は感じるでしょう?」
「本当だ。何か、嫌な感じがするな」
ロウが身震いした。
「カヌトが作った禁法具は……」
室内を歩き回っていたアイジェスが、ある禁法具の前で立ち止まった。
「これですね、確認してください」
アイジェスが横にどき、カヌトが禁法具の前に立った。それは、あまりに小さく、一見、優美な模様が刻まれた木彫りの工芸品のようで、たくさんの命を奪うようなものには、とても見えなかった。カヌトはしばらくの間、その禁法具を穴の開くほど見つめ、やがて首を縦に振った。
「間違いありません。これは、わたしが作ったものです。……ミナキ、ロウ」
カヌトに呼ばれたので、ミナキとロウは彼の両脇に立った。
「今から、この禁法具を解呪して、完全に無力化する。いいかい、魔法図を出現させたら、二人はわたしの指定した記号を消していくんだ。そうすれば、わたしは魔法図を読み解くことだけに集中できるからね」
「はい」
緊張を孕んだミナキとロウの声が、自然に合わさった。
「その前に、師匠、防壁を出していただけますか。暴発した時のために、備えが必要でしょう」
「自分でおやりなさい、と言いたいところですが、いいですよ。防壁を維持しながら解呪するのは大変ですからね」
アイジェスは目を閉じて呪文を詠唱し始めた。
「壁よ、皆の前にそびえ立ち、あらゆる災いを防ぎたまえ」
魔力でできた薄い壁が、この場にいる全員の周囲に張り巡らされる。さすがはカヌトの師匠だ。ものすごく強力な魔法であることが、ミナキにも分かる。
「ありがとうございます、師匠。――さあ、始めるよ」
カヌトは禁法具に手をかざした。禁法具が発光し、真上にいつもより大きな魔法図が出現する。それを見て、ミナキは驚愕した。今までに、こんな魔法図は見たことがない。それほどまでに、この魔法図は複雑で、カヌトの作ったものとは思えないほど歪だった。
「右辺、上から二番目」
右に立っているミナキは、カヌトの声の通り、魔法図の記号を指で消していく。
「上辺、左から五番目」
危うくミナキと指がぶつかりそうになったけれど、今度はロウが記号を消す。
次第に、ミナキとロウも慣れてきて、解呪は順調に進んでいるように見えた。
だが、解呪もだいぶ進んだ頃、カヌトは指示を出さず、じっと魔法図を見つめるだけになった。
どれを消せばいいか、分からなくなってしまったのだろうか。ミナキは不安な気持ちを押し隠し、カヌトを見つめた。




